タウンプレスよみうり

読売センター幸手が隔週で発行している地域ミニコミ紙「タウンプレスよみうり」の内容をご紹介

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友達の輪378号  株式会社平間自動車修理工場  代表取締役 平間 一夫さんへ

新年明けましておめでとうございます。読者の皆様には良い年が迎えられたことと思います。本年もタウンプレスよみうりと「友達の輪」をよろしくお願いいたします。さて、新春を飾るトップバッターは山中自動車修理工場の山中雄史さんよりご紹介いただいた平間一夫さんに登場いただきます。平間さんは自動車修理工場を経営されている方です。

本紙 おめでとうございます。新春第一号ということでよろしくお願いいたします。山中さんから「おじいちゃんが平間さんで修行した」と伺いましたが?

平間(敬称略)おめでとうございます。今年のトップバッターですか?何かのご縁ですね。縁起が良いと思って今年は頑張りたいですね。山中自動車さんの創業者でいらっしゃる山中三郎さんがうちで修行していたと聞いております。山中雄史さんは三郎さんのお孫さんで、今でも良いお付き合いをさせていただいております。三郎さんがうちで働いていたころは、私が小さかった頃で、よくお守をしてもらった記憶があります。

本紙 創業者はお父さんですか?

薪燃料の木炭車 友達の輪写真

平間 昭和24年に父が創業しました。父は根っからの自動車好きで、将来の事業は車に関するをやろうと心に決めていたようです。それで、幸手の柿沼自動車さんで修行して独立したようです。現在は車の販売もしておりますが、創業時の父は車を売ることにはそれほど興味がなく、修理をやりたかったようです。昔はのんびりした時代で、木炭車が広く普及していました。

うちにも運送屋さんが修理で出入りしており、燃料の薪が余ると我が家に置いていってくれるのです。その薪でお風呂を沸かして「運送屋さんが我が家のお風呂に入っていた」という話を小さいころに聞いたことがあります。車の修理をいただきながら、お風呂に入ってくつろいでいただくなど商売の上手さやサービス精神が父にはあったように感じます。義理人情でお客様とおつきあいをさせていただいていたようですね。お客様とお互いに信頼しあっていたということにもなると思います。

本紙 いい時代ですね。平間さんも自然に家業にはいられたのですね。

料理人になりたかった

平間 私は子どものころから親の仕事をよく手伝いました。風呂焚きや掃除もやっていました。小さい頃から自分のすぐ近くで親が一生懸命やっている姿を見て、それで自然とこの道に入りましたね。もともとは修理工場で働きたいという気持ちはあまりなく、一時期は料理人になりたいと思ったこともありました。小学校高学年の時にボーイスカウトに入っていて、キャンプでカレーとかご飯を作るのが大好きだったのです。それで、そういう世界に入りたいという気持ちが大きくなっていました。もっといい料理があるなら、「ぜひ自分で作りたい」という気持ちが強かったと記憶しています。

ところが、中学校へ入ると遊ぶ仲間が変わってきて、人間は良い方向へ変わることは難しいですが悪いほうへは簡単に行けちゃうんですよね。また、その頃の中学は縦の関係が厳く、先輩のいうことは絶対です。今でも中学の先輩とは、お付き合いをさせていただいています。「カズ」なんて呼び出されたらすぐに行きます。中学は人間関係の礎を学んだ時代でした。そしていつのまにか料理人になるという気持ちはどこかへ消えてしまいました。

本紙 家業に入ると決めたのはいつですか?

突然、代表取締役 友達の輪写真

平間 20歳くらいです。高校を出てから将来に迷っていた時期がありました。自分には何が向いているのか分からなかったんですね。両親からも何をやれとか強制されたことは一切ありませんでした。自由すぎるぐらいでしたが、逆に言えば、私を信頼してくれていたんだと思いました。ですから、家業には自然に入ることができました。そして、父の後をついて来ましたら、父が「そろそろどうだ」という感じで、43歳のときでしたが、会社の印鑑を見たら、私が代表取締役になっていたんです。

代表になっても何かあったら父に相談していました。その父が四年前に83歳で亡くなりました。その時のショックは大きかったですね。それほど父は大きな存在でした、そこにいるだけで安心が出来る、攻めの仕事ができる、という存在でした。親は偉大だとよく言いますが、本当ですね。居るときはわからなく、いなくなってしまうとそれを実感しました。今は妻の支えもあり夫婦で仲良くやっています。

本紙 趣味なども豊富なようですが?

夢は三味線で慰問

平間 今頑張っている趣味は三味線です。はじめたのは13年前頃ですね。母が三味線をやっていて、普段何気なく見ていました。ある時、細川たかしがテレビで後ろに100人くらいの津軽三味線を従えて歌っているのを見て、津軽三味線をやりたいと思ったのです。それで、歌を歌うのも好きでしたので、幸手の野口先生に紹介していただいた先生に弟子入りしたのです。ところが、全くの素人ですから最初は大変でした。先生がハイレベルな曲を弾いて、それを「見よう見まねでやりなさい」と言われるのです。ただただ必死で、先生が弾いているのをテープにとり、何回も聴いて頭にいれ、一小節ずつ練習していきました。一曲に1年以上かかりました。今ではだいぶ曲を覚えるのも早くなってきました。

今度発表会もあります。民謡連盟が主催の会が2月に行われ、そこに参加させてもらいます。グループ20人くらいでステージに立ちます。大池会というグループでやっています。稽古は毎晩自宅で行っています。先生にも怒鳴られながら一生懸命やっています。(笑)大きな舞台もいいですけど、将来は三味線持ってデイケアセンターなどの施設を慰問できたらと思っています。

本紙 楽しみですね。では、お友だちをご紹介下さい。

平間 仕事に一生懸命な「いこい食堂」の井草宏二さんをご紹介いたします。

本紙 ありがとうございました。益々のご繁栄を祈念いたします。(平間自動車修理工場さんの技術スタッフは国、県で講習会があって、そこへ定期的に行き勉強しているそうです。平間さんは「優秀なスタッフがいるので本当に恵まれています。」と技術スタッフを称えていました。修理がメインとおっしゃる創業者の意志を繋ぎ、従業員を大事にする社長あっての企業と感じました。)

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