友達の輪391号 FELEZA FC 監督 眞山 英之 さんへ
節電の中、異常な暑さで熱中症も心配される毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか。さて、本日の友達の輪にはスタイリストの岩野義久さんにご紹介いただいた眞山英之さんに登場いただきます。眞山さんはフェレザ・フットボールクラブの監督をされています。
本紙 こんにちは。岩野さんからご紹介いただきましたが、現在サッカーチームの監督をされているということですが?
眞山(敬称略)現在は幼稚園から中学生までの子供たちに、サッカーの指導をしています。幼稚園での指導は2002年W杯の時期に始めました。サッカーがとても話題になっていた時で、幸手の各幼稚園へご挨拶などに回ったところ、第二幸手幼稚園でサッカーというよりは、ボールを使った遊びを保育の一環として取り入れてもらうことになったのです。小学生はアスカル幸手で、平日の夕方に練習しています。参加者は地域のサッカー少年団に入っている子どもたちで、平日にもサッカーをやりたいという子どもや、土日は保護者の都合が悪く、少年団に入れないという子どもたちが来ています。練習は水曜と金曜日の夕方で低学年向けのクラスが5時から6時、高学年が6時から8時までです。中学生は火・水・木は久喜工業高校と上高野小学校のグラウンドをお借りして、ナイターで練習を行い、土日は幸手高校で行っています。こちらは「埼玉県クラブユース連盟」に加盟している公式なサッカーチームです。
本紙 眞山さんもサッカー少年だったのですね。
レギュラーから補欠
眞山 私がサッカーを始めたのは小学校4年で本格的にやりはじめたのは、小学校5年のときです。本格的というのは、5年生のときに与野に引っ越し、そこで本格的なサッカーというのに初めて触れたのです。引っ越す前までの所属していたチームは、それほど強くなく私はチームでもレギュラーで上手なほうに入っていました。それが、与野のチームに入ったら、全然レベルが違ったのです。与野のチームでは試合にはほとんど出られず補欠でした。中学に上がった際には、小学校での悔しかった思いもあり、努力しました。私が通っていた中学も埼玉代表で関東大会に出るような強いチームでした。そこで、一生懸命取り組んだ結果、中学3年のときに与野市の選抜になりました。その後も浦和東高校に進学しサッカーを続けました。浦和東時代はベスト4に何回か入り、個人的には国体の候補選手ということで選ばれたりもしました。日本代表のキーパーの川島選手も浦和東です。
本紙 それから先はどうしたのですか?
クラブチーム
眞山 まだJリーグがなかったというのもありますが、選手としての目標は終わってしまった感じが強かったのです。かといって、サッカーへの強い思いは変わらず、逆に、サッカーに関わる仕事をずっとしていきたいという思いのほうが強くなっていきました。それで、いろいろなスポーツの指導ができるようになるための専門学校へ行きました。そこでサッカーの指導者のライセンスも取りました。その後、さいたま市のフェスタフットボールクラブという埼玉のクラブチーム代表にもなるような力のあるチームで11年間指導していました。クラブチームというのは埼玉県には70チームほどあります。浦和レッズや、大宮アルディージャの小学生、中学生クラブなどのように強いチームもあります。いつしか、自分でもクラブチームを作りたいと思うようになっていました。
そして、幸手出身の佐藤太一という浦和レッズの選手との出会いによって、クラブチームを幸手にも作って、子どもたちにサッカーを広く普及させていきたいという気持ちが始まりです。中学生のチームは四年前に作り、今年高校一年になった子どもたちが1期生です。成績は埼玉県でベスト32まで進みました。私が中学校で、育てた子たちもサッカーの名門高校へ行っているので、その子たちの将来が楽しみですね。
本紙 どんなスタイルを目指しているのですか?
バルセロナスタイル
眞山 目指すところはバルセロナのようなパスを繋ぐサッカーとイマジネーション豊富に色々なことができるチームを目指しています。今のバルセロナの選手たちは、彼らが小学校のころから一緒にチームメイトとしてプレーしている選手たちなんです。日ごろからチームメイト同志のイマジネーションを噛み合わせて、一つにしていくという感覚です。サッカーはコンマ何秒でパスが通らなかったり、通ったりという世界です。ですから、チームの阿吽の呼吸というのは、長い時間をかけて作り上げていくものなのです。バルセロナのサッカーは小学生でも取り入れることができる部分がたくさんあります。そのうちの一つがバルセロナはボールを下へ転がします。駆け引きと相手の逆を突くということが戦略で、これは子どもでもできるのです。上へ上げるボールですとどうしても力の強い体の大きい相手にはかなわないのですが、小さくても駆け引きや戦略で勝つことは十分可能なのです。ですから、これが日本人に向いているのではと思います。
本紙 フェレザとはどんな意味?サッカー以外のプライベートは?
眞山 私と佐藤太一でつけた名前で、ポルトガル語の「しあわせ」と「さくら」を掛けた言葉です。幸せはフェリスで、桜がセレージャといいます。子どもたちに幸せになってもらいたい気持ちと、幸せになるための実を見つけてほしいという気持ちです。桜というのはさくらんぼという意味もありますし。プライベートでは、月曜日がお休みなので家族と過ごしたり、趣味の海釣りへ行ったりします。海釣りは特にはまっていて、日曜の練習が終わってその日の夜中から、月曜の夕方までずーっと寝ないで海へ行って釣りをやっています。自分のペースでリフレッシュをしながら、楽しんでやっています。なぜか体は疲れているはずなのに、釣りのときだけは眠さを感じず、起きてられるんですよね。(笑)
本紙 では、お友だちをご紹介下さい。
眞山 サッカーでお世話になっています第二幸手幼稚園の副園長である並木昭憲さんをご紹介します。
本紙 ありがとうございます。幸手から世界に通じるサッカー選手を輩出して下さい。ますますのご活躍を祈念します。(眞山さんは昨年の11月に結婚され、現在長男にも恵まれたそうです。きっとサッカーボールをおもちゃに大きく育つことでしょう。)