タウンプレスよみうり

読売センター幸手が隔週で発行している地域ミニコミ紙「タウンプレスよみうり」の内容をご紹介

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友達の輪401号 彫刻家 小林 晃一さんへ

友達の輪第四集も無事に発刊され、新たなる500人にむかってスタートを切らせていただくことになりました。その記念すべき401人目の方は一級建築士・土地家屋調査士である池澤均さんからご紹介いただいた彫刻家の小林晃一さんです。今年のトリを飾っていただきます。

【本紙】 こんにちは。彫刻家としてご活躍されていらっしゃいますが、幼少期から物造りがお好きだったのですか?

【小林】(敬称略)こんにちは。私は創作活動を始めて24年になります。幼少期ですか?そうですね、小さいころから図工が大好きでした。図工の時間は一週間に1回2時間続けての授業でしたが、その授業の時に、先生から次回の図工の時間の課題が出されるんです。大体素材を集めたりというのが多かったのですが。それで、木とか枝とかを自分で探してくるんです。とにかく次の図工の時間までに、どんなものを作ろうかと一生懸命素材を探していたのを記憶しています。周りの同級生は前日まで準備をしない人が多かったのですが、私は全然違っていました。また、図工の授業だけでは物足りなく、うちに帰ってからも、物を作ることをしていました。プロになって聞いた話ですが、この世界では素材集めは仕事の成果の半分を占めると言われています。それくらい準備というのはとても重要なのです。やはり好きなものこそ上手なれで、私は自然とそういうことを小学校でやっていたのですね。図工というのは右脳を使ったもので、算数や国語など、五教科の基本になっているような学問だと思います。

【本紙】 楽しかったのでしょうね。それで、現在の道に進まれたのですね。

建築から彫刻へ 友達の輪写真

【小林】 そうですね、将来を考えた時には、この道を自然に歩むんだろうなと思っていました。それで、アートを生業とするために、高校を出てからは、建築を勉強しました。職業としてなら建築家がいいかなと思ったのです。ところが、二年位図面を引いたりしているうちに、なんだか実感が湧かなくなってしまって、自分のしたいこととのズレを感じるようになってきてしまったのです。オーケストラに例えれば、指揮者よりも、楽器を演奏するほうが私に合っていると思ったのです。それで、建築家の道から彫刻家への道を選びました。芸大を受験しなおして入学し美術系に進み、石を使った彫刻をやろうと思いました。

【本紙】 卒業後は東北で制作活動をされていたようですね?

東北に制作拠点を

【小林】 石を素材に扱う場合、加工するのに音が伴うのです。上野の芸大で石を加工している時、音がうるさいので教授から近所に配慮するように言われました。また、宮城県で「泥かぶり石」と言ういい石が取れるのです。この石はとてもきれいな石で、外が茶褐色で内側が黒なんです。このコントラストがよくて、日本にはそこにしかないとてもきれいな石です。そんなこともあり、大学卒業時に宮城へ行きまして、制作拠点を東北にしたのです。ですから、作品も幸手市内にもありますが、東北にはもっとあります。モニュメントもたくさん建てました。作品の制作依頼は市役所などが多く、個人からの依頼はほとんどありません。設置するところもほとんどが公共施設でした。モニュメントは3mとか4mのサイズが多いですね。社会福祉センターや葬祭センター、病院など、建築家と組んでやることが多いですね。

【本紙】 ボランティア活動にも積極的ですね。

復興ボランティア 友達の輪写真

【小林】 モニュメントって誰のためにやっているんだろうと疑問に感じたこともありました。制作した石は100年200年形を維持できます。それでいったい誰のために、何のために、と考えた時期もありました。人のためにやっているわけではなく、天にお供えをするという意識をもってやったこともありました。でも、やはり料理を作ったら目の前で「美味しい」って言ってもらえるような、そういう環境がいいなと感じたのです。それで、アートで社会に貢献できないか、アートで人に役立つものをやっていけないかと探しました。今の社会情景をみると、自殺者が年間3万人以上12年間続いています、うつ患者は予備軍を含めると100万人以上もいます。アートセラピーという治療法もあります。アートって力をもっているなと感じました。3.11の地震で妻の実家が被災し、私の作品も倒れたり、津波に流されてしまいました。悲しみはつきものですが、半年も過ぎて乗り越えてきたかなという時期に、アーティストとして自分はなにができるかなと考えたのです。それで、双葉町の皆さんが避難されている騎西高校へ行き、いろんな人の力を借りて被災者の方に、粘土でいろいろ作って、その作品を野焼きで焼成しました。粘土に触ることは自分自身との対話になります。そして、粘土に触っているときの表情ですが、とっても楽しそうに目が輝いていました。自分自身を見つめなおして希望を見出していただけたような明るさを感じました。

【本紙】 継続してほしいものですね。

幸手の手は

ものづくりの手

小林 そうですね。幸手市内のいろいろな方たちの協力で成り立っていますのでこれからも取り組みたいと思っています。幸手のシンボルになっている「幸せの手」はモノづくりの手だと思います。その手でものづくりをしながらボランティアが行われています。私たち彫刻家は手で考えます。頭よりも手が先行します。五感を使って自分自身と向き合えるのがアートでもあります。今でも小さいころの図工で持っていたあの意識は変わりません。私にはうれしい賞状があります。それは手作りの飛行機で滞空時間を競う大会があったのですが、小学校四年の時に、44秒の滞空時間で2位になりました。うれしかったですね。数ある賞状の中でそれが一番うれしい賞状です。想像するというわくわく感、いつになっても大切にしたいですね。

【本紙】 では、お友だちをご紹介下さい。

【小林】 ひょうたんをつかったアイデアを出してくれる㈱津野製作所の津野裕之さんをご紹介します。

【本紙】 ありがとうございます。これからも地域に根ざした制作活動に期待します。(小林さんのこれからの計画は京都の有名なお寺で個展を開くことだそうです。将来的には実現する予定だそうで、それに向けての作品作りをしているところだそうです。また、黒幻焼、掌六地蔵、黒幻スピーカー、ひょうたん照明などバラエティーに富んだ様々な商品も制作販売しているようです。 http://kobabiken.com/ )

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