タウンプレスよみうり

読売センター幸手が隔週で発行している地域ミニコミ紙「タウンプレスよみうり」の内容をご紹介

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友達の輪415号(2012年7月22日発行) 
大庵工業(有) 代表取締役 田中 肇 さんへ

まもなく開会するロンドンオリンピックに全世界が注目していますね。日本選手団には大いに活躍していただきたいと思います。さて、本日の友達の輪には木工業を営んでいる畑山秀勝さんからご紹介いただいた田中肇さんに登場いただきます。

【本紙】 こんにちは。畑山さんから公私にわたっての友人とご紹介されました。

【田中】(敬称略)畑山さんとは東4丁目4区エリアで地域イベントなどをやっていました関係で知り合いました。また、仕事上では作りつけの家具や特殊なものに関しては全て作ってもらっています。

【本紙】 大庵工業の二代目とのことですが創業時のお話や名前の由来を聞かせてください。

【田中】父が昭和53年に創業したのですが、以前は横浜でサラリーマンをしながら、家業として個人商店を営んでいました。お店の向かい側に中学校の校庭くらいの広い芝生があり、飼っていた白い秋田犬とよく遊んでいた思い出があります。幸手に越してきたのは私が小学校に入学する前ですね。ここに来た理由は実家が杉戸だったということもあると思いますが、幸手に何か魅力を感じたのではないかと思います。父は鉄鋼関係の会社に勤めていましたが、当時は住宅開発も盛んで、アルミサッシの建具が普及し始めた時期でした。それで脱サラしてそれらの販売施工する事業を興したようです。名前の由来は事業の願望を描いていた父の夢の中に出てきた文字らしいです。父がなぜこの「大庵」という名にしたのかはしっかりと伝わってないですが。以前は、この二文字がトラックに入っていたのでよく魚屋さんと間違われました。(笑)

【本紙】 家業に入ったのはいつですか?

大工さんになりたい 友達の輪写真

【田中】23歳の頃です。当時、私は木下工務店に勤めていて、そこで現場の管理体制や販促品の販売などをやっていました。実は小さい頃は大工さんになりたかったんです。小学校の文集でも自分の未来像に大工さんが描いてありました。父の仕事は見ていたので、相談をしてみたところ「大工が取り仕切る棟梁・頭と言われている時代から、ハウスビルダーの時代に変化していくだろうからよく考えろ」と言われました。そうした中、色々な方と触れ合い、協力会社の社長さんや父、勤めていた木下工務店の支えもあり、内装を中心とした「インテリアサービス大庵」という社名で独立することが出来ました。事業を立ち上げたと言っても取引相手も一部の企業だけでしたから、どのように成長させたらよいかわかりません。そんなとき、「ファクトリー庭山」さんから、どこにも所属していないのなら、青年会議所(JC)に入ればいいと勧められたのです。

【本紙】 JCで学んだ事や、思い出などはありますか?

チャレンジ100km

【田中】 いくら並べてもきりがないくらい、JC活動の中で学ばせてもらえました。企業として重要な書類の管理や事務的なことなどや、人との連携をとるコミュニケーションなどはとても役に立ちました。そして、39歳のときに理事長になりましたが、それまでは理事長になるとは思ってはみませんでした。思い出もたくさんありますが、実行委員長として関わった「夏休みに小学生を連れて100キロ歩く事業」がありました。三泊四日の日程で、スタッフ含め総勢124名が参加しました。その中には昌平高校女子陸上部員38名もおり、陸上経験者のサポートのおかげで成功する確信が生まれました。幸手をスタートして、権現堂の桜堤を越えて、久喜・鷲宮・栗橋。そして、関宿城方面まで行き、ゴールが再び権現堂の桜堤です。宿泊は公共施設に協力をいただき、B&Gのシャワー施設や極楽湯さんなどにも協力いただきました。サポート隊としてもスタッフの車両が給水車など含めて5台ほど常についていました。天候にも恵まれ一生の思い出に残る事業となりました。

【本紙】 田中さんも子どもの頃、このような体験をされたことなどあるのですか?

4年連続少年の船 友達の輪写真

【田中】 そうですね。「少年の船」に小学3年から6年まで毎年行っていました。親に体験して来いとひとりだけで参加しました。一般参加で700人くらいの子どもたちがいました。これがスパルタなんですよ。小学生1年から6年までを大学生が管理するんです。竹刀が飛んできたり、4時間正座があったりと本当に大変でした。台風なんかがくると、船が大きく傾くので片足は床を踏んで、もう片足は壁につけないと歩けないくらいで、そのときはさすがに気持ち悪くなりました。こういった厳しいものだと知っていたのかは分かりませんが、親もよく行かせたなと思ってしまいます。グアムとサイパンが2回と沖縄。それと途中で台風が来てしまったので、緊急避難として日本一周に変更になったときもありました。四国の方に入って、そこから大分にといった感じです。当時の私はあまり人前に出るような性格ではなかったので、それを直す意味があったのかも知れません。こういった経験で思いやりを持つという事を学んだように思えますね。

【本紙】 趣味などは?

仲間がいっぱい

【田中】 魚釣りです。その中でも海釣りですね。初めて連れて行ってもらったときが小学生でした。最初は岸からだったんですが、そのうち船に乗るようになりました。基本的にはなんでも釣ります。アジやイサキといった食卓に並ぶような魚です。最近は2ヵ月に1回行ければいいほうですね。東京湾だったら、そんなに朝早く行かなくても大丈夫ですが、外房といった遠くへ行く事になると朝も早いですし、泊まりになってしまいます。地元の仕事仲間や釣り仲間と行く事が多いです。魚釣りも楽しみますし、釣った魚で仲間達と一杯やるのもまた楽しいです。釣れる時は忙しいので夢中になりますが、釣れないときは仲間達と飲んだりして楽しみます。

【本紙】 ありがとうございました。では、お友達をご紹介ください。

【田中】同級生で、高田商事の社長である高田永清さんをご紹介します。

【本紙】どうもありがとうございました。ますますのご活躍を期待します。(田中さんの座右の銘は「成せば成る」だそうです。少年の船で学んだ思いやりをもって子どもたちの健全育成に取り組んだり、今後の活躍が期待されます。)