タウンプレスよみうり

読売センター幸手が隔週で発行している地域ミニコミ紙「タウンプレスよみうり」の内容をご紹介

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友達の輪419号(2012年9月23日発行) 
有限会社 柳沼建材 専務取締役 柳沼 憲一 さんへ

曼珠沙華まつりも始まり、権現堂へ訪れる方々が幸手駅から「まち歩き」を楽しむ姿が見受けられます。さて、本日の友達の輪にはエクテム(有)の渡辺光浩さんからご紹介いただいた柳沼 憲一さんに登場いただきます。

【本紙】 渡辺さんから取引先とご紹介いただきました。

【柳沼】(敬称略)渡辺さんは公私にわたりお世話になっている方です。当社は砂利や砂やブロック等を建設会社様などに販売しています。

【本紙】 柳沼さんはいつ頃からやっているのですか?

【柳沼】 大学を卒業して新幹線や、駅のデッキ、電光掲示板などを扱う交通広告の代理店に就職しました。営業を3年やって、その後に媒体の管理や制作・デザインなどを担当し5年勤めていました。会社は東京駅の八重洲口前にあり、通勤に往復4時間かかりました。1日の6分の1を通勤に使い、仮に30年間働いたとしたら5年間分に相当すると考え始めたらもしかして違う時間の使い方があるのではと、ふと思ってしまったのです。当時、私の父が10トンダンプを所有し、自分で運転し荷物を運ぶ仕事をやっていました。ダンプ一台の個人営業ですから、私自身、父を継ぐという考えはありませんでした。そんな時に、父が時間のあるときに砂利をまとめて運んでおくための仮置場を借り、そこに小さいながらも会社の看板をつけたのです。そこの前を通るたびに、「ずっとサラリーマンをやっていれば、父が辞めたときにこの看板はたたむのか?」とか、サラリーマンとしても頭打ちではなかったのですが、「このまま一生交通広告代理店で看板を売っていてもいいのか?」「このタイミングで何かをやったほうがいいのではないか?」と思い始めたのです。それで、27歳の時に誰にも相談もせずにサラリーマンを辞めて、会社を継ぐ準備に勝手に入ったのです。

 

【本紙】 ご家族はいかがでしたか?

母の大反対 友達の輪写真

【柳沼】 母が大反対でした。どっちに転ぶか分からないという苦労を知っているからでしょうね。せっかく大学を出して、就職も出来て、5年も勤めたわけで、わざわざ大変なところに来る必要はないんじゃないか、と言われましたが、もうこの時点では辞めているわけでどうにもならないですよね(笑)。なんとかやってみるから、という事で話をつけました。知り合いの建設会社で2年間勉強させていただき、いざ家業に入ってみて、今考えると当時の売掛・買掛などを見るとビックリするような内容で、少なくとも自分の分は自分で何とかしないとと飛び込みで営業をするようになりましたが、サラリーマン上がりの堅物の人間をこの業種の方々はほとんど誰も相手にしてくれませんでした。参ったなぁ、と思っていたときに、渡辺光浩さんが顧客を紹介してくれたのです。当時、渡辺さんは幸手市商工会青年部の部長であり幸手青年会議所(JC)にも属していて、渡辺さんとお会いしたときに、JCへの入会を勧められました。「なんですか、それ?」と聞いてみても、「来ればいいよ、大人の友達が増えるから」とだけなんです。ただ渡辺さんの友人の多さを垣間見たとき「友達が増えるから」という言葉の現実味に惹かれ、藁をもすがる気持ちでJCに入会しました。正直入会した当初は仕事が欲しくてという気持ちが強かったですね。友達が増える=お客様として繋がればいい、という考えでした。しかし意に反して2、3年の間、思ったほど仕事が増える事もありませんでした。でも、JC活動では勉強になった事はたくさんありますし、メンバーとも好意的な話が来るようになりました。私の人生にとっては大切な時間となりました。その後その活動の先に仕事のお付き合いもあるということを痛感しております。

【本紙】 趣味はなんですか?

野球とサッカー 友達の輪写真

【柳沼】 運動バカと言われ続けるほど体を動かすことが好きで、小学、中学、高校で野球をやっていました。大学生から今現在に至るまで23年間は、杉戸町でドルフィンズという草野球チームに所属しており1番でレフトをやっています。小学校の時は本気でプロ野球選手になれると思ってやってました。まあ体も小さい方でしたので中学の3年のには現実が見えてきて諦めましたが。実は小学校のときにサッカー少年団と少年野球の両方に属するというタブーをおかしていました。小学校6年生のときにサッカー少年団が出来たのですが私はどうしてもサッカーもやりたかったのです。当時は団員獲得のため野球もサッカーも人が欲しい環境で、「野球とサッカーを両方やるとは何事だ」と私にどちらかを選べと大人の事情で迫ってきました。が、そんな事情は気にも留めず私は午前中は野球をやって午後はサッカーをやっていました。両方は止めてくれと大人の方々に言われたのですが、聞かなかったですね。悪いことをやっているわけではないと自負していましたので。中学に入学したら野球よりもサッカーをやりたかったのですが、幸手東中学校にはサッカー部がありませんでした。運動部の選択肢は野球か剣道か陸上しかありません。どうしてもサッカーがやりたかったので、クラブチームに入ろうとしたのですが、「部活には入らないといけない、訳わからないこと言ってるな」と一蹴され、そのまま野球部に入りました。でも、サッカーをやることはまだ諦め切れなくて、高校に入ったら今度こそやろうと思ってました。が、中学のときに巷で名の通ったピッチャーが同じ高校に来たんですね。彼が僕の教室に来て一緒にやろうぜ、と言われまして、彼と一緒なら結構いいとこまでいけるんじゃないか?と欲が出てサッカーよりも野球を選びました。その後、卒業をしその高校のときの先輩達が草野球チームを作るというので、同級生を2人、3人を拾ってもらって今に至る感じです。まだまだ真剣勝負の中で体を動かしていきたいのですがのですが、肩を痛めてしまいそろそろ現役の引退を考えていたりします。今後はJC活動やスポーツをやってきた中での経験を微力ながらも子どもたちに伝えていける立場でいたいなと思います。

【本紙】 ありがとうございました。では、お友達をご紹介ください。

【柳沼】 同級生でみゆき食堂を経営している、内藤佳明さんを紹介します。

【本紙】 ご活躍を期待します。(柳沼建材さんは野球指導を行う中で、野球技術はもちろんですが、将来の夢に向かい、「諦めず納得のいくところまでやってみよう」と、教えたいとお話下さいました。)