タウンプレスよみうり

読売センター幸手が隔週で発行している地域ミニコミ紙「タウンプレスよみうり」の内容をご紹介

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友達の輪421号(2012年10月21日発行) 
(有)大原自動車工業 二代目 大原 剛志さんへ

本日、幸手市、久喜市では市民祭りが開催されます。この季節は全国各地でも色々なイベントが開催され、秋の一日を楽しめますね。さて、本日の友達の輪には旬菜亭みゆきの内藤佳明さんからご紹介いただいた大原 剛志さんに登場いただきます。大原さんは(有)大原自動車工業の二代目です。 

【本紙】 こんにちは。内藤さんとはどのようなご関係でしょうか?

【大原】(敬称略)幸手東中学からの同級生です。彼は陸上部で、僕は剣道部でした。

【本紙】 東中は伝統的に剣道が強いですね。それで剣道部に入ったのですか?

【大原】 当時は埼玉県で常に1番で、関東大会でも好成績をおさめました。部員も1学年に1チーム5人でAからEチームという総勢100名近い部員がいました。私はAからEまであるチームの中でDだったので、応援ばかりで選手としてなかなか活躍できませんでした。強かった理由としては顧問の先生がとても熱心だったからでしょう。剣道部に入った理由ですが、体育部には入ろうと思っていたのですが、走るのが嫌いだったので、剣道部だったら走らないだろうと思って入部しました。(笑)でも、部活としては一番きつかったと思います。なにせ、夏休みは一番暑い盛りの2時から6時まで練習して、冬休みは朝の6時という寒い時間に部活でした。

 

【本紙】 高校では剣道はやらなかったんですか?

柔道で役に立ったこと 友達の輪写真

【大原】 柔道部に入ってしまいました。当時、「ベストキッド」という映画が流行って、空手がいいなと思ったのですが、空手部がなくて柔道部に見学に行ったらそのまま入部となりました。私たちの柔道部は弱小だったので大会には出られませんでした。でも、後でバイクが趣味になったとき何度か転倒した事があるのですが、柔道で受身をしっかりやっていたおかげで、転倒時も受身で怪我もしませんでした。(笑)

【本紙】 お仕事について伺いたいのですが?

タクシー会社で板金課

【大原】 昭和52年に父が創業しました。元々、父はタクシー会社に整備士として入ったのですが、当時の会社には板金をする部署がなく、父は自分でそれを勉強してタクシー会社内で板金課を作ったようです。それで自信をつけて、板金をメインに独立開業しようと幸手に越してきました。ですから、今でも板金がメインです。当時の板金は車のボディに使っている鉄板が厚く、重量も違い部品がないときなどは、鉄板から作ったりしたようです。塗装の色合わせも塗料の調合も、いわゆる勘に頼っていた時代ですね。ですから、家業に入ったときは「新しい道具や設備などを入れたい、塗料を変えたい」と思っても、「もったいないからいい」とか、「自分でやるからいい」とかです。塗装も普通、調色機という機械を使ってやるのですが、使わずに勘でやろうとするのです。今は色を何パーセントと計って、指定の色に近づけ、後は焼き具合などを調整するのですが、そういうのを使いたくないらしいのです。(笑)それでも少しずつ変えながらやっています。

【本紙】 跡を継ごうと思ったのはどのようなきっかけですか?

機械いじりが好き

【大原】 子供のときからプラモデルなどが好きで、中学でラジコン、高校に入ってバイクといった機械いじりが好きだったので、その流れでしょうか。中学生くらいからそういった職種に就こうとは思ってました。それで、高校を卒業して、埼玉工業専門学校に入り、2年間学び二級整備士の資格を取りました。その後、埼玉マツダに入りました。3、4年は勤めようと思ってましたが、父が体を壊してしまい、帰ってきてくれと言われました。戻ってきて感じたのですが、農村地域なのでお客さんも2代目が入ると安心するみたいで、温かく迎えてもらえました。もう20年近くになりますね。

【本紙】 これからやってみたいことってありますか?

お客様を大事に 友達の輪写真

【大原】 特にないですね。今が必死ですから。当社は板金がメインですが、安全運転意識がまって事故が減りました。社会にとってはとっても良いことですが、それにより板金の件数も激減しました。また、多少のへこみだったら、我慢する人も増えていると思います。ですから、お客様を少しでも大事にしたいと思い、費用を少しでも安くしたり、修理の際に少し小さな傷などがあったら、サービスで直したりしています。

【本紙】 ご趣味などは?

【大原】 昔は広く浅くいろいろやっていました。オートバイやアウトドア、釣りなどですね。でも、今も続いているものってないんですよね。本当はオートバイが一番好きなんですけど、体を壊してしまってから乗らなくなってしまいました。子供がもう少し大きくなったら、アウトドアなんかもしたいんですけど、まだ3人目が生まれたばかりなので難しいですね。子供と一緒に遊ぶのが今の趣味みたいなものですね。

【本紙】 身体を壊したというと?

突発性拡張型心筋症

【大原】 昔7年くらい前、少し息苦しかったので病院に行ってみたら、肺に水が溜まっているといわれすぐ入院しました。検査の結果、突発性拡張型心筋症という病気で、主治医から心臓移植しかないと言われ驚きました。突発性拡張型心筋症という病気は心臓が大きくなって不規則な動きになり、ポンプとしての機能が弱くなってしまうようです。人間の体は不思議なもので、ポンプ機能が弱まると、さらに強くしようと心臓が大きくなっていくんです。イメージとしては膨らませた風船のようでしょうか。嫁は本当に驚いたと思います。まだ最初の子供がお腹にいて、これからって時ですからね。でも、うちの家族はみんな前向きで、「やるしかないよ」と応援してくれました。2週間くらい入院しましたが、幸い手術はせずに、投薬治療で現在も定期検査を行っています。心臓のポンプ機能も基準値近くに戻ってきているらしくひと安心しています。

【本紙】 身体が一番ですよね。では、お友達をご紹介ください。

【大原】 長い友人の小森谷安彦さんを紹介します。

【本紙】 ありがとうございました。ますますのご繁盛を祈念します。(大原さんは大きな病気をされても前向きに明るく向かっている方と感じました。完治も近いのではないでしょうか。)