タウンプレスよみうり

読売センター幸手が隔週で発行している地域ミニコミ紙「タウンプレスよみうり」の内容をご紹介

サイトマップ・個人情報取扱いについて
  • トップ
  • 友達の輪
  • タウンプレスとは
  • タウンプレス最新号
  • 会社案内
  • 特集号
  • 学校新聞
  •  
  • 読売新聞

友達の輪435号(2013年5月26日発行) 
青木 福次郎さんご夫妻へ

紫陽花の花が待ち遠しい季節です。新緑から初夏へとすがすがしさを感じる反面、今年も強い陽射しを感じる今日この頃です。さて、本日の友達の輪にはクラブ幸手の栗田勇夫さんからご紹介いただいた青木福次郎さんご夫妻に登場いただきます。

【本紙】 こんにちは。市内の老舗店で長い間お勤めされ、今では聞かない丁稚奉公をされたと伺いましたが。

【青木】(敬称略)こんにちは。私は合併前の鷲宮町桜田(当時は桜田村)で生まれました。昭和26年の終戦間もない時期で食糧にも不足していた頃、中学卒業と同時に幸手の永文商店に住み込みで丁稚奉公に入りました。8人兄弟と家族が多く農家の貧しい地域でしたからひとりでも出れば食費が浮くんですね。普通の生活をしている人はもちろんいましたが、当時で言う「口減らし」でした。賃金が1ヶ月500円で1年間6千円。前払いのようなもので、親がそれを持っていってしまうんです。ですから、辞めるわけにはいかなかったですね。宿もありご飯を食べさせてもらえばいいという感じでしたが、自宅で麦飯でしたのが、白いお米のご飯をいただきうれしかったですね。この頃の500円は今で言うと4万円くらいでしょうか。丁稚奉公は2年くらい続いたと思います。3年目から、お店の方で定期預金として積み立ててくれるようになりました。先代のおばあちゃんがとても良い方で、中学を卒業してすぐでしたのでとても可愛がっていただきました。お年玉やお小遣いなどもいただきました。今では考えられないですが、丁稚奉公のお休みは、藪入りといって1月の15日、16日。お盆の15日、16日の年間4日間だけでした。

【本紙】 どんな生活リズムだったのですか?

規則正しい生活友達の輪写真

【青木】 お店に3畳間がありまして、そこで寝泊りしていました。また、着るものも多くありませんでしたので、破れたりすれば自分で繕っていました。自分のことは自分でやるというのが当たり前でした。朝は5時に起きて店前の掃き掃除です。自分のところだけ掃いても、風が吹いたりしてしまったら意味がないので、両隣も必ず掃くようにと先代から教えられました。それから店内にはたきをかけ、ふき掃除をします。社長さんが2階から降りてきてチェックするんですが、汚れていたらやり直しになってしまいます。それからご飯を食べて、自転車で御用聞きに出ます。町内ほとんど回りました。お味噌や、しょう油、お酒などの注文を受けたら、かごの中に瓶を預かってきて配達していました。あの頃は瓶が貴重だったので、再利用が基本でした。注文は500匁(もんめ、1匁3.75グラム)が多かったです。それがだいたい20~30くらいですね。味噌や、しょうゆ、砂糖などなので、かなりの重量になります。

【本紙】 配達もするのですか?

正確さと1円が大事

【青木】 午前中御用聞きをして、午後からは品物を量って配達です。伝票は先代の社長さんの妹さんが起こしてくれました。配達する際は掛売りせずに全て現金でした。社長さんの妹さんに教えられましたのがお金の取り扱いです。「1円多かったら、すぐに返してくる。1円でも足りなかったら、恥ずかしからずにすぐに貰いにいく。」たった1円だけど、とても大事なんです。1円でも足りなければ電車に乗せてもらえませんから。そして、「注文を500匁受けたとして、それより多くなってしまったらお客さんが得をしてお店が損をする。逆に500より少なかったらお店が得をしてお客さんが損をする。それが見つかってしまったらその時点で信用を失い取引がなくなってしまう、しっかり正確に計りなさい。」と教えられました。あるとき、病院の先生が届けた品物を棒秤で計られたときに、おたくは正確だということでお酒を注文してくれるようになりました。まさかその場で計るとも思わなかったですが、うれしかったですね。

【本紙】 お二人が出会ったのは?

結婚して店にも入って

友達の輪写真

【青木(敦子)】 私は農家の娘で、農家が大変だった時期に手伝っていました。馬を使って耕している時代です。蚕もいましたし、1年中休みがありません。農家からの縁談の話はたくさんありましたが、私は3度のご飯が2度になってもいいから、サラリーマンがいいと言いました。近所の岡さんという方が永文商店の社長さんと戦地で同じ部隊で、その岡さんの紹介で主人も永文商店に務めたのですが、今度は主人に私を紹介してくれたのです。それで、結婚して専業主婦でしたが、お店にいた方が出産の関係で辞めることになり、お店を見てくれる人がいないから、社長さんが主人に子供を連れてきてもいいから、私にお店を見てくれないかと言われたのです。下の子が3歳になる前で上の子が幼稚園に上がった頃でした。職場は同じですが、私は小売部のほうで、主人は卸のほうでした。

【本紙】 今も活発に活動されているようですが?

スケジュールがいっぱい

【青木】 辞めてから色々とやっています。元気アップ体操のOBたち50名くらいで、鼠年に始まったからマウスクラブとして体操を続けています。毎週月曜ウエルス幸手でやっています。金曜日には東公民館でダンベル体操というのを午前中やっています。また、テクテクウォーキングにも入りましたし、幸手健康ウォーキングというのも出来たので、それにも入っています。第3火曜には男性料理教室にも通っています。第2と第4土曜日にジョイフル本田でやっている手打ちそば打ちにも参加しています。

【青木(敦子)】 いろいろなクラブに参加して楽しめる健康の有難さに感謝しています。

【本紙】 これからおふたりの夢などはありますか?

【青木(敦子)】 メダカでしょうか。もう5年くらいになります。主人がいただいてきて玄関に置いたところ、子供を産みまして、さらにまた子供を産んでどんどん増えています。朝、主人が世話をしているとメダカが好きな方が寄ってくれまして、自分の家にいる珍しいメダカを持ってきてくれたりもしてくれました。他だと3本仕立ての菊でしょうか。20鉢くらい世話しています。小雨が降ってもやっていますから、「具合を悪くしたら困るからいい加減にしたら?」と言われるくらいに夢中になってやっています。

【本紙】 ありがとうございました。それでは、お友達をご紹介ください。

【青木(敦子)】 商店会の婦人部で一緒の山崎正子さんをご紹介します。

【本紙】 趣味に益々ご活躍下さい。(青木さんは病気もせずに健康で54年間お勤めされ、献血も60歳までに81回され表彰されたそうです。丁稚奉公時代の思い出を伺うと「藪入りで帰ると親がお汁粉を作って待っててくれたのが嬉しかった。」と親子の絆を感じさせるお話をしてくれました。今の時代、丁稚奉公はありませんが、大事に育ててくれるぬくもりを感じました。)