タウンプレスよみうり

読売センター幸手が隔週で発行している地域ミニコミ紙「タウンプレスよみうり」の内容をご紹介

サイトマップ・個人情報取扱いについて
  • トップ
  • 友達の輪
  • タウンプレスとは
  • タウンプレス最新号
  • 会社案内
  • 特集号
  • 学校新聞
  •  
  • 読売新聞

友達の輪442号(2013年9月8日発行) 
(有)黒馬 新井 一樹さんへ

残暑厳しい毎日ですが、朝夕涼しい風を感じ、頭を垂れた稲穂を見ると秋もそこまで来ているのかなと感じます。一日も早く爽快な季節になって欲しいと思うのは私だけでしょうか。さて、本日の友達の輪は篠﨑農園の篠﨑清和さんからご紹介いただいた新井一樹さんに登場いただきます。

【本紙】 こんにちは。篠﨑さんからご紹介いただきました。新井さんは歴史が古いようですが?

【新井】(敬称略) 江戸初期の頃からこの辺りの地主だったようで私で16代目になります。歴史が古いものですから、祖父母が過去を調べたところ、先祖には埼玉県議会の副議長や政治活動をやっていた人もいました。ですから、祖父母の代までは農地を貸してはいたものの、農業についてはなにもしていなかったそうです。そして、戦後に農地開放がありまして、農地解放にもいろんな段階があったようで、自分で耕作していない土地は残らなかったそうです。それで、収入がなくなって、どうやっていこうかという話になり、縄を仕上げたり、油を搾ったりといろんな仕事をやった結果、養鶏場に落ち着きました。養鶏場に落ち着くまではいろいろと苦労もしたようです。昭和2、30年代の話ですね。

【本紙】 養鶏場は成功したのですか?黒馬さんという社名には由来があるんですか?

養鶏場から不動産業に

【新井】 ようやく軌道に乗ったので、父が引き継ぎました。茨城県結城市でも養鶏場を経営していましたが、私が中学2年生の頃、養鶏場の借入すべての返済が終わったのを契機に廃業しました。また、当時既存宅地の制度(都市計画法が施行される前から建物が建っていたところは宅地になる)があり、条件を満たせば宅地に変えられるということを知りました。それで、うちの前にあった養鶏場の敷地を農地から宅地に変更し、貸倉庫業に転じました。これが不動産関係に変わった理由です。社名ですが、江戸時代から黒馬という屋号があったからですね。この名前には諸説色々ありまして、年貢を納めていく馬が黒かったなど、正確には分からないですね。

【本紙】 現在のお仕事は不動産でよろしいですか?

売電事業参入友達の輪写真

【新井】 そうですね、貸倉庫業や不動産取引ですね。また、新規事業として茨城県にある養鶏場の土地の借り手がいなかったものですから、それを活かそうと思い売電のソーラー発電設備を2基置きました。パネル出力1KWが年間で1000KW発電します。50KW1基で約210万円分位発電する見積もりです。一般家庭10軒分位です。二千坪全てにソーラー発電を設置するのも資金的に難しいので、分譲ソーラーのような形でやっています。宅地を貸して、ソーラーをご自身で買ってつけてください、というような仕組みです。いま、分譲中でソーラー発電の機器を売っている業者さんが6区画に区切って分譲することになっています。これは、昨年に政府が売電価格42円と決定してから始めた事業です。必要な経費を父が計算して、見通しがたったので始めました。発電パネルなどの設備投資が大きいので、設置面積も小さく発電効率がよくなった新製品が出てきたり未知数な部分も多いのですが、売電の仕組みも10KW以上が全量買取の制度で20年間42円で買い取ってくれます。ランニングコストを計算して10年でペイ出来るかどうかということですね。

【本紙】 有機農業も始められたようですが?

有機農業へ挑戦

【新井】 我が家には自分たちの持っている土地や建物を最大限に活用しようというコンセプトがあります。宅地に変えられたのは建物があったから出来たことですが、建物がなかった田んぼや畑を最大限利用するためにはどうすればいいだろう?と将来にわたって持続可能な農業という部分で使っていくことになるだろう、と考えたときに有機農業という形でやっていくのがいいのではないか、と考えました。実は、我が家がいままで経験した農業は自分で食べる分を自分で好きなだけ作っていた程度です。それで、今度は商品として売りたいというのと、有機農業に理解のある人に売りたいと考えています。それで、いろいろ調べてましたら埼玉県小川町にある「NPO法人霜里学校」という団体が有機農業による野菜塾の募集をしていたのです。40年以上前から有機農業をやっている金子美登さんという有機農業では知る人ぞ知るという方の農場を利用して毎月一回、一年間有機農業の勉強に通いました。なんとか自信はついたのですが、幸手と小川町では環境が全く違うのです。金子さんのところは、有機・無農薬で出来るのですが、それは生態系が出来上がっているからなんです。害虫もいれば、益虫もいるというバランスが取れているのです。金子さん自身も有機に転換して3年間で虫が増えて、5年後に天敵が増えていったそうです。そうした環境を作るのが大変で、なおかつ売れる野菜が出来るのか、という不安があります。私のところでは、まだそういった環境が出来ていないので、土に有機物を混ぜたり、利根川の土手から枯草をもらってきて、たい肥にしたりといった環境作りから始めています。

友達の輪写真

【本紙】 有機農業をやるのも大変ですね。ご趣味などありますか?

【新井】 いろんな事はやってきましたけど、なにをやっても楽しんでいる感じではありますね。今は畑で収入があるわけではないので趣味になっているようなものですけど。学生時代は陶芸をやっていました。今は草取りと自分の畑をよくすることに一生懸命ですね。畑に自分で井戸を掘ったりとかもします。父と話して、井戸堀をする機械を自分で溶接して作って、うちの畑に30メートルくらいの井戸を掘って、ようやく水が撒けるようになりました。もちろん飲み水にはならないですけど、散水するには十分です。溶接に関しては養鶏場を作るときに、溶接が技術的に必要だったので、覚えたようなものですね。自分に経験値が蓄えられるというのがありますので、なんでも自分でやっていってそれから応用させていくような感じですね。

【本紙】  ありがとうございました。それでは、お友達をご紹介ください。

【新井】 中学時代の先輩の吉良英敏さんをご紹介します。

【本紙】 ありがとうございました。益々のご活躍を期待します。(新井さんはソーラー発電所の草刈りと有機農業の勉強に追われる毎日だそうです。経験値を蓄えるというスタンスで新しいものに挑戦して欲しいと感じました。)