タウンプレスよみうり

読売センター幸手が隔週で発行している地域ミニコミ紙「タウンプレスよみうり」の内容をご紹介

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友達の輪474号(2015年1月4日発行) 
株式会社 青木商店代表取締役 青木 弘さんへ

新年明けましておめでとうございます。読者の皆様には素晴らしい一年の幕明けと存じます。今年は未年ですが、群れをなす羊は、家族の安泰を示しいつまでも平和に暮らすということから、羊年生まれの人は穏やかで人情に厚いと言われています。さて、その羊年トップバッターの友達の輪に登場いただく方は幸手ロータリークラブ会長、伊藤敦彦さんよりご紹介いただいた青木弘さんです。青木さんは文久二年(1862年)に創業した青木商店の代表取締役です。

【本紙】 今年本年最初の友達の輪です。よろしくお願いします。かなり歴史があるそうですね。

創業文久二年友達の輪写真

【青木】(敬称略) 昔は呉服問屋をやっていたみたいで、そこから始まったみたいです。うちの屋号は「米彦(こめひこ)」と言われていたのですが、その元祖がこの呉服問屋を立ち上げた「米屋彦兵衛」という人です。坂下門外の変などが起きた文久二年に創業したそうで、私で何代目になるのか、よく分からないのです。商売の内容も時代とともに変化してきたそうです。創業時は「日光街道幸手裏町の米屋彦兵衛で呉服唐物類現金大安売」という判まで作っていたようです。今でも当時のものが残っています。そして、呉服屋さんから次に農業用品です。その農業用品を手掛けたのが私のお爺さんです。当時は塩化ビニールなんてありませんでしたから、育苗用紙と言って油紙のようなものをかけて野菜を保温したそうです。紙に油を染み込ませることで気密性が高くなり保温力が増すのです。また、今でいうビニールハウスも扱っていました。育苗用紙を使って小トンネルにするのです。保温にもなりますし、雨にも多少は耐えられ当時は最先端のものでした。自家用車のない時代ですから、古河までリヤカーで出向きバスに乗って群馬の方まで販路を広げたそうです。今でもそのご縁が続いています。そして、ビニールを扱うようになったのは父の時代からです。当時、農業用ビニールは初物で、しかも、185cm幅の一規格でした。今のように透明ではなく、曇りガラスのようなビニールで、高級品で木箱に入っていました。今年で発売65周年になりますから、昭和25年頃、お爺さんと父が一緒に商売をやっていた時期になります。

【本紙】 当社でも新聞配達の時、バイクの荷台で新聞が濡れないように被せる厚手のビニールを青木さんのところで購入していたようです。

初バイトが新聞配達

【青木】そうでしたか。実は私が初めてアルバイトした仕事が髙木さんのところの新聞配達でした。地元でなにかをやってみようと思ったというのもありますし、一度、新聞配達をやってみたいという願望もあったと思います。朝は早くて大変ですけど、1日有効に使えるのは学生の私には利点でした。18歳の10月から3月までの一番寒い時期でした。顔が特に寒くて、それで、目だし帽を被って配達してたら、たまたま起きていた方に見られて、それで不審者に思われた覚えがあります。翌日その家にはこうこうと電気がついていました。配達は五霞町で当時200件くらいありました。五霞町は埼玉版、茨城版があり覚えるのが大変でした。紙に書いて覚えるのですが、たまに埼玉版が余ったりしてしまい、頭から順番に思い返して差し替えに行きました。元旦号の新聞が先日届けられましたが、当時も元旦の新聞は厚みがあって大変でした。実はその元旦にパンクしちゃいまして、新聞も満載で空気も入れられず、仕方なく押して配った覚えがあります。一番最後の配達が11時近くになってしまい、新聞が届かないという問い合わせが何件かあったようです。私は大学卒業後にすぐに自社に入りましたので、学生時代に色々とやったアルバイトがいい経験になってますが、中でも初アルバイトの新聞配達がいまだに強く残っています。

【本紙】 配達スタッフには感謝ですね。それにしても異常気象が多いですね。お仕事への影響は?

自然災害にも

【青木】 ここ5年間で見ても、台風や爆弾低気圧など自然災害が増えています。特に昨年2月の雪害は私たち業界にとって大きな転換期になる事象でした。ハウスが広範囲に倒壊してしまい、それを全部作り直すのには3年から5年かかると言われています。ハウスが壊れて生産者の方の収入がまったくなくなり、ただちに新しく作り直さないといけない状況です。簡単に出来る毎年張り替えるビニールハウスもありますが、自然災害などには耐久性に難があり、農家の高齢化も進み自分で張り替えることも難しくなり、雪害を経験した農家では高価でも丈夫な高気密ハウスを選ぶような傾向にあります。これなら、丈夫で張替えが5~6年持ちます。しかし、建築職人もですが、ハウス職人はもっと少なく、常に人手不足で材料も十分に供給されません。仮にコストが3倍の高気密ハウスで立ち直ったら、今度は私たちの仕事が数年なくなってしまいます。私は5年毎にこれからどうしようかとよく考えますが、新しい試みを始めることが会社には100%プラスになることばかりとは限らないですし、やってみたら失敗だったというのもあるわけですからとても難しいですね。当社でも高気密ハウスが中心になってきましたので、ハウス工事を手掛けるようにしました。その結果、今までフィルムだけだったのが他の組み立て材も買ってくれるようになり、売り上げも伸びてきました。従来のハウスは業者に工事を頼むことは少なかったのですが、農家や農協のクチコミで「当社に頼めば全部やってくれる」という話になってきまました。ただ、今までやっていた仕事以外にまた仕事が増えるということになります今度は大変になってきたのです。それで、今は外注先に任せるようにしています。現在の仕事の中心は10年くらい前から、OEMの様なメーカー加工を引き受けていることです。 ビニール加工だけ受けてまた受注先に返すもので、北海道から九州まで発送しています。それがある意味一番大きい転換期だったと思います。

【本紙】 お祭りもやっているようですけど?

友達の輪写真

【青木】 26歳の頃からです。ずっと地元にいましたから、「ちょっと出てこいよ」というのがきっかけでした。最初の頃はお祭りをやっている人たちの、とても勇ましい雰囲気に戸惑いましたが、自分に合っていたのか段々と馴染んでいきました。本音で会話出来るし、上下関係ははっきりしているし、仲間意識が強いし、今は私の大きな財産です。 入会した頃は夢にも思いませんでしたが35歳位から8年間会長を務めさせていただきました。今年は久喜町魁会が山車の運行を仕切る当番町になります。すべてにおいて安全面を中心に、幸手警察署や関係各所との調整を行っています。

【本紙】 今年の久喜町魁会さんは大役ですね。では、お友達をご紹介ください。

【青木】 スクール21という塾で幸手教室長をしている今澤太二さんをご紹介します。

【本紙】 ありがとうございました。ますますのご繁栄を祈念いたします。(趣味は旅行をすることだそうで、長い休みがGWしかとれず、航空券やホテルを自分で手配して、体力があるうちに遠方[欧米]に出かけているそうです。今年も計画中とのことで、旅先で出会った人との交流も楽しみのひとつだそうです。)