友達の輪503号(2015年6月19日発行)
幸手市立吉田小学校 校長 齊藤 嘉保さんへ
権現堂ではあじさいまつりがにぎやかに開催され、6月末ぐらいまで楽しめるようです。さて、本日の「友達の輪」には幸手警察署吉田駐在所の野﨑さんご夫妻からご紹介いただきました幸手市立吉田小学校の校長である齊藤嘉保さんに登場いただきます。
【本紙】 こんにちは。吉田小に校長として赴任されたのは?
【齊藤】(敬称略) 昨年度からになります。以前は宮代の笠原小学校で4年間教頭をやっていました。そのあとに同じ宮代の東小学校に1年勤めた後、吉田小学校にやってきました。実は教員としてのスタートが吉田第二小学校です。吉田第二小学校は廃校になり、現在吉田幼稚園になっていますが、吉田第一小学校と合併していまの形になりました。私は第一回目の卒業生の担任をやりました。いまから33年も前の話です。今年、59歳になりますので、あと1年で退職です。
【本紙】 また吉田小に戻ってきたわけですね。吉田小の特徴ってありますか?
防災サバイバル
【齊藤】 保護者や地域の方でしょうね。それがここの一番良いところだと思います。防災サバイバルキャンプなどもやっていますけど、それも学校だけではなく、地域あってのものですから。当時、学校運営支援協議会の発足を期に、災害に対処できる体験を行い災害があっても大丈夫なようにと始めたことです。百聞は一見にしかずというわけではないですけど、実際に体験するというのは非常に重要だと思っています。去年は怪我をした人を救助するという傷病救命体験のようなものをやりました。子供達の中から「自分たちにもなにか出来ることはないか」と教員に話を持って来てくれたのです。消防署に「こういうことを出来ませんか?」と依頼したところ、「じゃ、やってみましょう」ということで実施することが出来ました。子供達が自分たちから発案したことですので、とてもいいことだと思っています。子供がこういった体験を通して共助の心が育っていくというのが、学校としてまた地域として嬉しいことですよね。
【本紙】 現在のクラスはどのような形ですか?
教え子が親になり
【齊藤】 各学年1クラスと特別支援クラスが1クラスの全部で7学級、児童数は86名です。その中には、かつての教え子の子供もいまして、なんだか孫のような感じがします。でも、昔の私を知っていますから、やりづらいと言えばやりづらいところもありますね。(笑)昔の私は適当でした。第二小の頃はつなぎを着てバイクで通っていました。つなぎといっても、バイク用の革のものではなく、普通の作業着ですね。教師としては、いまではとても考えられないですよね。こんなことがありました。離任式の当日に、バイクで転んでしまい、左足骨折で3ヶ月の入院になってしまい、お別れ会にいけなかったことです。そういうところを考えると、ここにいることがちょっと恥ずかしくなってしまいますね。入学式にたまたま保護者として教え子がいまして、そのときに最初にかけてきた言葉が、「先生、足は大丈夫ですか?」でしたよ。当時の吉田第二小学校も私のクラスは12人しかいませんでしたので、家族みたいな感じでしたね。その当時の子供達がお父さんやお母さんになって、いまここに来ているのです。何か縁を感じますね。
【本紙】 先生になろうと思ったのは?
喫茶店で人生を選択
【齊藤】 父が自宅でプラスチック成型の仕事をしていました。私は跡を継いでもいいかなと思っていましたが、大学に落ちてしまい、半年間なにもしないでぶらぶらしていた時期があったのです。父からなにもしていないのなら、どういう仕事なのかを知るために取引先に修行に行けと言われ、実際に行ってみたわけですが、毎日同じ作業の繰り返しです。それが嫌で、勉強して中央大学商学部に入ったのです。父としては仕事を継いでもらいたいという気持ちはあったようですが、私は、毎日単純作業することが出来ない性格なので、卒業する頃には3社ほどから内定をもらいました。営業と企画をやりたかったので、雪印食品に就職を決め、新入社員歓迎会にも出ました。しかし、ある会社の面接の時、一緒に面接した初対面の学生と帰りに喫茶店でお茶を飲んだ時に、「齊藤君は埼玉県の教員試験は受けたの?」と聞かれて、商業の免許は取っていたので、「商業で受けたよ」と答えたのです。彼は「埼玉県と千葉県には小学校の先生になれる教員養成所があること知っている?これから赤坂の合同庁舎に行くけど、一緒に行く?」と聞かれ、そのまま一緒に行って、彼は千葉県、私は埼玉県の教員養成所の願書をもらい受かるとも思っていなかったのですが受検したのです。すると、合格してしまったのです。3月中旬の頃でもう卒業間近でした。親に相談したら、あと1年遊んでいいよ、ということで雪印食品様に内定を取り消していただき、4月から教員養成所に入り、そこで1年間勉強して教員になりました。あの時にお茶を飲んでいなかったら教員にはなっていませんでしたね。
【本紙】 吉田地区では友達のような校長先生と慕われているそうですね。
思った通りにやって
【齊藤】 一番最初に担任したのが、しんみせ(石川さん)のお子さんたちだったんです。初めての授業参観後の保護者との懇談会はとても緊張して話すこともあまりないじゃないですか。自分のやりたいことや、クラスのことなどを話したのですが、P役員の石川さんが手を挙げられ、「先生の思った通りにやっていいよ」と発言されたのです。「お金は出すけど、口は出さない」と。新任に対して、この信頼ですからすごく嬉しかったですね。吉田地区は純農村地帯であり、住宅が建たず少子化も進む地域です。地域一体での教育は大事で、吉田小学校はコミュニティの場所です。そして、この地域は変わらないということが良いところだと思うのですが、なにかひとつ刺激のようなものを与えることも大切だと思っています。変わらない中でどんな刺激を与えるかというのは模索中です。急な変化に対応できない子供もいるはずですし、変化させるのであれば少しずつですね。当校のスクールプランは「今日が楽しく、明日が待ち遠しい学校」です。子供たちの「認められたい、役に立ちたい、学びたい」を充足できるよう全職員一丸となってチーム吉田小で取り組んでいます。
【本紙】 では、友達をご紹介ください。
【齊藤】 昨年まで本校のアフタースクールの講師をしていただいた加藤 史子(旧姓 永島)さんを紹介いたします。
【本紙】 ありがとうございました。(齊藤校長は、学生時代に車が好きで、セリカリフトバックに乗っていたそうです。ただ、少し車高を落として、色も塗り替えちょっと不良っぽかったと振り返っていました。今はご自身のモット-「笑顔が笑顔を作る」で子供達にふれあっているそうです。)