タウンプレスよみうり

読売センター幸手が隔週で発行している地域ミニコミ紙「タウンプレスよみうり」の内容をご紹介

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友達の輪512号(2016年10月23日発行) 
幸手ポリマー(株)代表取締役 野村 吉男さんへ

すっかり秋らしくなりました。本日の「友達の輪」には幸手卓球連盟の鈴木亮子さんからご紹介いただいた野村吉男さんに登場いただきます。野村さんは幸手工業団地で幸手ポリマーという会社を経営されています。

【本紙】 鈴木さんから永くお付き合い頂いているお客様とご紹介いただきました。お仕事についてお聞かせいただけますか?

【野村】(敬称略) 私は茨城の結城で結城紬屋の家に生まれました。私が幼い頃は結城紬も盛んで秋田の方から織り子さんが来たり、東京から通いで結城紬を習いに来ている人もいました。しかし、現在はほとんどやっていない状態です。当社は、妻の父親が新潟で信越化学に勤めていまして、退職を機に幸手に越して来て昭和52年2月に創業したようです。もう40年以上になりますね。私は当時、妻と付き合っていまして、結婚を申し込むつもりで挨拶に行きました。ところが、「一緒に仕事をやってみないか?」と持ちかけられたのです。私は大学も商学部卒業でしたし、当時は薬のプロパーをやっていましたから、まったくの畑違いでした。でも、物を作ることは好きでしたので結婚を機に義父となる社長と一緒にやってみようと思ったのです。当社ではシリコンゴムのスポンジや、シリコンチューブ、また、ソリッドといいまして、サッシの窓枠等に使うゴム等を作っています。

【本紙】 物作りというのはいいですよね。

好奇心旺盛友達の輪写真

【野村】出来ないものが出来たときの喜びは格別ですね。私は小さい頃から物作りが好きで変わっていると言われていました。(笑)結城の実家の近くに川が流れていまして、夏などはよくそこで水遊びをしていたのです。小学校3年生くらいの頃にその川に潜りたいと、アクアラングにすごく興味を持ちました。そこで、形状が似ているガスボンベが使えると考え、ガスボンベを買って自分で作ろうと思いました。結局、親に怒られて買うことは出来ませんでしたが、好奇心が旺盛だったのですね。次にギターに興味を持ち、小学校6年の時に牛乳配達のアルバイトをして、こつこつとお金を貯め、質屋さんでギターを買いました。中学に入ったとき、友達の親が三河島で冬の餅作りのアルバイトの取りまとめをやっていました。そこで、高校生ということにしてもらい、アルバイトで稼いだお金を元に12弦ギターを買いました。私の初舞台は中学2年のときの謝恩会で、友達とふたりで「戦争を知らない子供たち」を演奏しました。以来、フォークソングにはまり高校に入って、フォークソング研究会も立ち上げました。また、それとは別に高校時代は森田健作のドラマ「俺は男だ」に惹かれて剣道をやったり、カメラに凝ったり演劇もやっていました。

【本紙】 音楽は今でも続けていらっしゃるようですね。ご家族も音楽一家と伺いましたが。

音楽好き一家

【野村】 もちろんやっています。ずっとアコースティックギターを演奏していましたが、大学4年のときにアルバイトで中指を欠損してしまって、ギターが弾けなかったのです。30代後半くらいだったと思いますが、幸手の友達からバンドをやっているという話を聞かされ、町内会長をやっているときでしたので、出演の依頼をしたのです。そしたら「野村もギターやっているよね、一緒にやらない?」と誘われて参加したのが『オールスターズ』というグループでした。アコースティックだと弦が硬くて、押さえにくかったので、比較的柔らかいエレキのほうに転向する形になりました。現在「オールスターズ」は解散となって、『グラスホッパー』というグループでロックをやっています。妻は音大卒でバンドではキーボードをやってもらいました。しばらく一緒にやっていたのですが、病気を患ってしまいリタイアしました。音楽好き一家ですね。長男は大学生時代『X』をやっていましたね。長女は音楽もやっていましたが看護師の道に進んでいます。次女はフルートをやっていました。音大に行きたかったようですが、頑張り屋で腱鞘炎になってしまい、泣く泣く諦めました。しかし、今度は『音楽学』をやりたいと獨協大学に入学して、そこからウィーン大学への道を選択し1年留学しました。帰国時に大学の教授から「そんなに『音楽学』をやりたいのであれば、もう一度ウィーン大学を受けなさい」と言われ受験し、合格してさらに3年留学しました。卒業後はコンサートディレクターになりたかったようですが、女性には向かない仕事ということで、今は結婚して翻訳をやっています。

【本紙】 影響を受けた音楽家はいますか?多趣味とも伺いましたが?

料理とお酒

友達の輪写真

【野村】 一番影響を受けたのは井上陽水さんですね。まねたりもしていました。(笑)そんなに多趣味ではありませんが、料理も好きですね。学生の時に和食屋さんでアルバイトをしていて、担当はホールでしたが、厨房の人が怪我をしてしまい代わりに入ることになったのです。京料理の和食店で天ぷらを揚げたり、ドレッシングを作ったりしていました。小学生の頃は実家の結城紬が全盛期で忙しかったため、よく台所に入って料理は作っていました。料理は浅く広くやるほうなので、ある料理があったら、こういう風に作ってみようというような感じです。他にケーキも作ったりしますよ。それと、お客を呼ぶのが好きですから、例えばカレーパーティなどをやるときは、みんなから少し持ち寄ってもらって、各家庭の味を比べてみたりしてます。もちろん、客寄せをして自分で作ることもやります。それと、料理と一緒にお酒を楽しむのが一番ですね。今は焼酎の水割りが好きですね。基本的に好きなのは芋です。ただ、高いのが好きなのであんまり買えません。芋の癖の強さが好きなのですが、芋、米、麦とありますが長続きするのは麦かもしれないですね。ハマっているというより、単純に美味しいのです。料理を作りながら飲むのは格別ですね。

【本紙】 会社のPRなどはありますか?

【野村】 ゴム屋さんというと汚れたイメージがあると思いますが、当社で取り扱っているのがシリコンですので、そういうことはありません。社員募集の広告が入ったら応募して下さい。

【本紙】 では、お友達をご紹介ください。

【野村】 音楽活動を一緒にしている大橋動物病院の大橋秀樹先生をご紹介します。

【本紙】 ありがとうございました。公私にわたりご活躍下さい。(野村さんの音楽一家としての思い出のひとつに、ご長女の結婚式の披露宴でセッションをされたそうです。次女のフルートを主旋律に奥さまがピアノの伴奏、野村さんはギターで『いとしのエリー』から始まり、途中から『ハナミズキ』に変わるアレンジ曲をセッションしたそうです。最初で最後の家族セッションだったそうですが、とてもあたたかいご家族の印象を受けました。)