タウンプレスよみうり

読売センター幸手が隔週で発行している地域ミニコミ紙「タウンプレスよみうり」の内容をご紹介

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友達の輪520号(2017年2月19日発行) 
幸手市スポーツ少年団吉田ジャガーズ代表 鈴木 克浩さん

まだまだ寒い季節ですが暖かい九州沖縄ではプロ野球キャンプが行われています。本日の友達の輪はスポーツ少年団野球部会の玉村好正さんにご紹介いただいた鈴木克浩さんに登場いただきます。鈴木さんは吉田ジャガーズの代表をされています。

【本紙】 こんにちは。鈴木さんが野球に関わるようになったのはいつからですか?

【鈴木】(敬称略) 私は吉田中学時代に剣道をやっていました。当時は部活動といえば、剣道・バレー・卓球・陸上、ソフトボール部はありましたが野球部はありませんでした。たぶん校庭の広さが充分でなかったからだと思います。ですから、野球は好きでしたが経験はありませんでした。そして、結婚して長男が生まれ、17年前になりますが小学1年のときに「吉田ジャガーズに入ってくれませんか?」「お父さんも一緒にどうですか?」と誘われたのがきっかけです。オリックスに今年入団した岡崎大輔君の兄と長男が同級生で、そのときに6人一緒に入団して、その流れで指導者として私も入ったのです。正直、なにも分からないで入ってしまいました。(笑)私が小学校の時代は、スポーツ少年団という形ではなかったように思います。もしかしたら、私が知らなかっただけで前身があったかもしれませんね。なにしろ、吉田ジャガーズが誕生して、今年で30数年経ちますので。

【本紙】 吉田ジャガーズ時代の岡崎選手はどうでしたか?

野球を知っていた友達の輪写真

【鈴木】 一言で言えば『野球を知っていた』と言うことだと思います。彼は小学校1年生から吉田ジャガーズに入団しました。野球自体は幼稚園の頃からおじいちゃんとキャッチボールなどをしていたようで上手でした。元々、『何かを持っていた』のでしょうね。上級の6年生がピッチャーをやっていたときはキャッチャーをやっていました。その6年生が卒業して、5年生から6年生までエースでした。当時、ピッチャー向きかどうかまでは、専門的ではないのでわかりませんが、野球を一番よく知っていたと思います。実際、野球をやっていても中身までしっかりと分かっていない子ども達もいますが、彼は「ああしたらこうなる。こうしたら、ああする」という野球の動き方をきちんとわかっていたように思えます。兄の影響もあるでしょうし、幼稚園の頃から野球を見ていたりしましたから、そういう経験もあるのではないかと思います。野球をよく知っているという点で言えば、練習などで私が主審をやっている時、あえて、ボール判定の球をストライクとしたり、その逆というのをやっていたのです。もちろん、公式試合ではやりません。そんなときに彼ははっきりと『わざとでしょう』と指摘してきました。選球眼というより、なぜその球をそのように判定するのか、ということですね。例えば、際どかったとしても打たないといけない場面などもあるわけです。そういうところで手をだそうとしないから、わざとボール気味でもストライクと判定したりしましたが、彼はそういうところを分かっていたのでしょうね。彼の父親から聞いた話ですが、ある大会の決勝戦で彼が5年生でピッチャーをやっていた時、その試合で誰かがヒットを打って1点先制点を取ったのです。たったその1点で楽に投げられた、と言っていたのを聞いたことがあります。少年野球は1回で5点、6点取られたりすることはよくあります。その中でも1点の重みを分かっているということなんでしょうね。足も速かったし、守備ではどんな球も捕っていました。また、彼は小さい頃は泣き虫でした。ただ単に勝って泣く、負けて泣くというのも、他の子とはなにか意味が違っていたのかも知れません。本人に聞いたわけではないので実際のところは分かりませんが、いろんなことを考えながら野球をやっていたのでしょうね。いまの子を見ていると、勝っても負けてもそんなに感情に表さなくなっているような気がします。勝って嬉しいというのは分かりますけど、負けて泣くほど悔しいというのが少なくなったようで、ちょっと寂しいと思うところもあります。

【本紙】 吉田ジャガーズの練習はどのような感じですか?これからの夢ってありますか?

団員募集中

【鈴木】 毎週土日の午前中です。時間は8時から12時までになります。年末年始はお休みになります。ただ、練習は多少なりとも時間がかかるものですから、少しばかり超過してしまうこともあります。他のチームだと1日ずっとやっているというところもあるでしょうけど、ジャガーズは基本的に午前中のみということになっています。いまはとにかく団員確保です。9名ではどうしようもないですからね。体験入団をやったり、保護者への負担も必ずしもなくなるとは言えませんが、軽減できるところは直していこうと思っています。吉田ジャガーズ出身からプロが出ましたが、いまの子は直接的に一緒にやってはいないので、極端に実感はないかもしれないですね。ただ、内心では凄いと思っているかもしれません。こういったことをきっかけに団員も頑張ってほしいとも思いますし、入団してくれる子供が増えれば良いですね。ここで団員がいなくなって団の存続が危ぶまれるということにもしたくありませんね。試合に勝たせる・野球の楽しさを教えることも指導者の役目ですが、何よりも、野球だけがスポーツではありませんが、ジャガーズでの野球をきっかけに、中学・高校とずっと野球に関わってもらえたら嬉しいですね。甲子園球児やプロ野球選手が生まれるのは究極の夢ですが。

【本紙】 息子(次男)さんも久喜シニアに行かれたそうですね?

野球一家

友達の輪写真

【鈴木】 私自身も久喜シニア(日本リトルシニア中学硬式野球協会久喜リトルシニア)を薦めていましたが、自分から「久喜シニアに行く」と言ってきました。岡崎君も一年後に久喜シニアに入ってきましたが、久喜シニアは学年毎で動いていますから、直接的には一緒に試合に行くとかはなかったですね。夜練習もあったり土日は朝から晩までフルでしたね。私も審判として関わり、ジャガーズと掛け持ち状態でした。長男は吉田ジャガーズから、幸手東中の野球部、そして春日部東高校と野球をやっていましたが、大学ではやらずに久喜シニアのコーチとして指導しています。ですから、次男が久喜シニア時代の土日は、一家総出で久喜シニアに行っていた感じでしたが大変楽しかったです。12月に市内で岡崎大輔君のオリックス入団激励会をやりましたが、そのときも家族みんな一緒でした。私は代表ですし、妻は卒団生の父兄、長男は久喜シニアのコーチとして、次男は卒団生として出席しました。昨年には、次男も高校を卒業し現役でなくなり、楽しみが無くなりちょっと寂しくなりましたね。

【本紙】 お仕事はJA全農さいたまに勤めているそうですね。

【鈴木】 一般的には農業の総合商社と言った方が分かりやすいと思いますが、生産者の高齢化、食生活の変化など様々な課題もありますが、何といっても消費者の方へ『食と農の大切さ』を伝えられればいいかなと思っています。『地産地消』も含めJA農産物直売所の役割も大切になると思います。今は勤務地が深谷市なのでちょっと遠いですが、圏央道のおかげで少しは楽に通勤できます。

【本紙】 来週26日には圏央道がさらにつながり成田方面が近くなりますね。では、お友達をご紹介ください。

【鈴木】 JA埼玉みずほ農産物直売所『さくらファーム』店長の浜田武彦さんをご紹介します。

【本紙】 ありがとうございました。野球を通じて地域活性化にご尽力下さい。吉田ジャガーズも岡崎選手効果で団員が増えるといいですね。(吉田ジャガーズをはじめ幸手市スポーツ少年団野球部会の各チームでは参加者を募集しているそうです。関心のある方は幸手市社会教育課の幸手スポーツ少年団:電話0480-43-1111にお問い合わせ下さい。)