友達の輪533号(2017年9月3日発行)
株式会社 SDK 代表取締役 染谷 光男さんへ
日中はまだ残暑が厳しいですが、9月に入り朝夕秋らしい風が吹いて来ました。さて、本日の友達の輪は久喜市にある電気工事会社の小島圭司さんからご紹介いただいた染谷光男さんに登場いただきます。染谷さんは五霞町で電気工事会社を経営されています。
【本紙】 同じ電気工事関係ということで小島さんから紹介されました。電気工事業をされていますが、独立されたきっかけなどお話し下さい。
【染谷】(敬称略) 実は私は最初自衛官だったのです。地連(自衛隊地方連絡部)が訪ねて来まして「免許は取れる、2年でお金が貯まる、退職金がもらえる」と言われ、18歳という若さでしたから、「これでいいや」と決めたのです。私ひとりではなく、友人も何人か一緒だったから気楽に決められたところもあったのかも知れません。それで、2年契約で入隊しました。陸上自衛隊の古河駐屯地に配属され、最初の6ヶ月間は教育隊といって高校生活の延長のような感じで、仲間とわいわい楽しくやれていたのです。訓練の厳しさはありましたけど、仲間もいましたし、環境的にも悪くはありませんでした。ただ、それからの半年で「一生やっていくのはどうだろう?」と思ったのです。それで、7ヶ月で辞めてしまいました。最初は2年間、しっかり勤めるつもりでした。ただ、色々な規則がどうしても自分に合わなかったのです。門限もありますし、部屋は5人~8人部屋なのですが、土日は当直で必ず1人は残らないといけなかったのです。それで、教育隊で訓練していた時に「辞めさせてほしい」と班長に話したのです。そうしたら、教育隊の研修が終了すると、中隊に行くことになるのですが「そこに行ったら辞められるように上に話をしておく」と班長が言ってくれたのです。そうして、中隊にあがってすぐに隊長に辞めるという話をしたら、教育隊から話がいっていなかったみたいで、もの凄く怒られ外出禁止にされました。教育隊で班長の指示に従ったのにという思いで、くやしくて、その日の夜に古河駐屯地には二度と戻らないつもりで荷物全部持って脱走をしました。すぐに自衛隊が捜索して自宅に来ました。私が夜中に帰ってきたものだから、父が古河駐屯地に連絡したのだと思います。自衛隊から迎えも来ましたけど、頑として戻らなかったのです。
【本紙】 円満に辞められたのですか?自衛隊を辞めたあとはどうされたのですか?
自衛隊から転職
【染谷】 詳しくは分からないですけど、辞められたみたいですね。それで、免許もなにもないですから、まずは免許を合宿で取りに行きました。そして、たまたま親の知り合いから「電気屋さんをやってみないか?」と声をかけられたのです。それで、電気工事業に従事しました。しかし、普通の社会人ですから、普通の生活が出来ましたが、とにかく、給料が安いのです。それでも見習いですから、4年くらい我慢してやっていましたが、結婚することになり生活を考えないとならない訳ですよ。ちょうどその頃に違う会社から引き抜きの話が来たのです。「これだけの給料を出す」と言うし、結婚してお金も必要ということでその話に乗っかったのです。元の会社からも引き止められ、給料もあげてくれるという話もありましたが、引き抜き先のところはそれよりももっと給料を出すという条件なので、最終的に移動することに決めたのです。しかし、この会社は私が働き出して3年くらいで経営が悪化し給料(2ヶ月分)がもらえず退職しました。それからしばらくして元請けから「ひとりでやってみないか?」と言われ17年前になりますが26歳のときに独立しました。当社は下請けがメインで屋内配線工事が主となります。老人ホームや工場、公共施設など色々とやっています。独立当初はとりあえず工事用の車だけ買って、工具も少しずつ揃えていき、従業員を徐々に増やしゆっくり進めていって、会社にしたのが3年前です。私自身は会社にする気はなかったのですが、税理士から法人にしたほうがいいと勧められ株式会社にしたのです。
【本紙】会社にするまでご苦労はなかったのですか?
優先事項は仕事一番
【染谷】 そうですね。苦労と感じたことはないですね。そもそも苦労ってなんでしょうね。あえて言うなら、工事後に会社からお金がもらえなかったというのはありました。独立して間もなかったため、資金繰りがくろうしたかなぁ!運が良かったというところもあると思います。それと「見ていてくれる人は見ていてくれる」と思います。独立してすぐの頃は仕事が入ってくるのか、という不安や仕事がなくなったらどうしよう、というのはありました。けれども、そういうこともなく、仕事は自然に入ってきました。仕事は真面目にやっていましたから、そういうところもあると思います。いい加減にやっていれば、仕事は来ないですから。自分の現場が工期に間に合わず朝方まで仕事をしたり、自分の現場が終わったあとに、他社からヘルプが入り朝方まで仕事してそれから、自分の現場に戻るということも何回もありましたけど。それも苦労とは思っていないですし、当たり前だと思ってやっていました。仲間や元請けから頼まれれば、断らずに受けていましたし、仕事が一番の優先事項でしたね。
【本紙】 会社のこれからの夢とかありますか?ご趣味などは?
【染谷】 そうですね。このまま現状維持できればいいですし、社員も含めて普通に食べて行ければと思っています。しいて言うならば、自分が現場出なくても会社が回るようになればいいですね。大きくやるとリスクもつきものですから、自分の出来る範囲でやれることをやっていければいいですね。趣味はゴルフやジェットスキーをやっています。ゴルフは仕事柄の付き合い程度で、スコアは100そこそこです。ジェットスキーは山中湖や猪苗代湖でやっています。ジェットスキーを始めたきっかけは、友達がジェットスキーを持っていたのです。それを見て自分もと思いジェットスキーからスーツまで全て揃えました。最初は江戸川をずっと南下していって、東京湾まで行きました。ジェットスキーは面白いですけど、私は飽きっぽいところがあるので、いつまで続くかなぁ?と思っているところです。また、最近車を買いまして少しいじってみようかなとは思いますけど、実際そんな時間とお金があるかどうかでしょうね。
【本紙】 お忙しい事はいいことですね。では、お友達をご紹介ください。
【染谷】 お客さんでもあり、友達でもある五霞町の森田有宏さんを紹介します。
【本紙】 ありがとうございました。染谷さんの会社では働き方改革を実践し、残業をほとんど無くし、祝日・休日・月1回土曜日を休みとしているそうです。現在、社員募集中で希望される方は ㈱ SDK 電話 0280-84-3888 までお問い合せ下さい。