友達の輪535号(2017年10月8日発行)
久松伸一法務事務所司法書士・行政書士 久松 伸一さんへ
芸術の秋、食欲の秋などと言われますが、暑い夏から優しい季節に移るこの時期、体を動かしたり色々なことにチャレンジしたくなりますね。さて、本日の友達の輪は五霞町にある農業用フィルム加工会社の森田有宏さんからご紹介いただいた久松伸一さんに登場いただきます。久松さんは司法書士の先生です。
【本紙】 森田さんから紹介いただきましたが、商工会青年部でご一緒だそうですね。五霞町で司法書士と行政書士のお仕事をされているそうですね。
【久松】(敬称略) 私の実家は隣の古河市、旧総和町です。東京で司法書士事務所に勤めていましたが、たいした経験もないまま独立してしまいました。今年で4年目になります。なぜ五霞町に事務所を構えたかと言いますと五霞町には同業者がいないのです。行政書士の先生は何人かいますが、司法書士は私だけです。茨城県全体では司法書士の数は330人~340人くらいですが、司法書士は人口1万人に対して1人という考え方の地域が多く、五霞町の人口が9000人くらいですから、割合で考えると、1人くらいでちょうどいいのかなと思っています。当事務所は司法書士と行政書士のふたつの業務を掲げていますが、メインの仕事は司法書士業務になっています。行政書士は業務範囲が広すぎ、全ての依頼を引き受けることは難しいので、そのときの状況によって、可能な範囲で引き受けるようにしています。
【本紙】 事務所も新しいですね。事務所はおひとりだけですか?
【久松】 私と妻の二人です。事務所内のことは私がやって、妻には法務局などに書類を取りに行ってもらったりしています。業務には書類を取りに行く仕事なども多いので、それをやってもらうだけでも随分と助かりますね。この事務所は今年の2月に開業したばかりでその前は自宅兼事務所という形でやっていました。
【本紙】音楽活動をされていたそうですね。プロを目指していたとか?
新聞奨学生+
【久松】 今は趣味程度ですが、20代の後半位までは都内で音楽活動をやっていました。ロックバンドでパートはドラムでした。一応、音楽で食べていけるプロを目指していました。バンドにハマったきっかけは中学3年の頃でしたが、父が持っていたギターを触ったのが最初でした。高校に進学してから、バイトしてエレキギターを買いました。ただ、ギターは人口も多く、競争率も激しいのです。それで、高校3年のときに、ドラムがいないということで、ちょっとやってみれば?という感じで未経験ではありましたけど、ドラムをやったのです。その後、学校行事で演奏する機会に恵まれて、そのままバンド活動とドラムにハマって、真剣にプロになろうと思ったのです。それで、高校卒業後に高田馬場にある、ESP(エレキギターなどのブランドメーカー)が主催している音楽の専門学校に行きました。その中のアーティスト科のドラムコースに入ったのです。音楽をやっていると学費のほかに費用もかかるので、私は読売新聞の新聞奨学生となって(奨学金として返済免除の学費と給与が支給される)朝夕刊の配達をしながら学校に通いました。専門学校自体は2年でしたが、私はドラムスキルアップのため1年目を自主的に留年して、3年間在籍していました。また、新聞配達の他にもバイトをしていました。ですから、朝刊を配って、学校に行って、ドラムの練習をして、夕刊を配って、夜11時くらいまでファミレスでバイトという毎日でした。当時はこのままプロになれると根拠のない自信があり、学校に行っているだけでは駄目で、ドラム募集しているバンドに積極的に連絡を取ってバンド演奏に参加しました。
【本紙】 バンドはどうなったのですか?
目指すは司法書士
【久松】 その時は一生懸命にやっていましたが、そんなに甘くはないなと感じ始めました。経済的にも厳しさもあり、バイト先で知り合った現在の妻と、家賃折半で妻の住んでいるところに転がり込んだのです。そこで、結婚や将来のことを考えるようになり、音楽ではやっていけないと思うようになりました。他の仕事を考えるわけですが、サラリーマンはなんとなくやりたくなかったのです。そこで、漠然と「資格だな」と思うようになりました。当時は、司法書士というのは知らなくて、行政書士はドラマで名前だけは知っていたので、行政書士になれば、独立してやっていけるのかな、と思って色々と調べてみたら、どうも行政書士でやっていくのは難しいということがわかりました。その流れで、司法書士という仕事を知って、そっちを調べてみたら資格の難易度は断然司法書士の方が難しいのだけど、合格さえすれば独立開業も現実的になるということが分かってきました。法律の勉強なんて当然やったことはないので、「簡単も難しいもないな」と思い、難しい方の司法書士にチャレンジしました。最初の1年は予備校に行き翌年に試験を受けたのですが、結果は当然のごとく落ちました。内容としても、まったくダメでした。マークシートと記述があったのですが、記述の方が時間が全く足りなくて、書ききれないくらいでしたから。試験は1年に1回で合格率は3%に満たない程度だったと思います。3年目に合格したのですが、我ながらよく合格したなと思いますね。
【本紙】 合格した頃は結婚していたのですか?
地域貢献
【久松】 本当なら合格してから結婚、という流れにしたかったのです。実は、2回目の受験で絶対に合格するという思いでいたのですが、ギリギリで落ちてしまったのです。年齢も30歳を越えたし、子供のことなどを考えたら、合格してから結婚というのでは遅いと思って、先に結婚を済ませたのです。結婚が平成24年の9月で、チャレンジ3回目の発表の10月に合格が分かり、翌年の3月に第一子が生まれました。密度の濃い1年でした。
【本紙】 これからの目標などありますか?
【久松】 五霞町という小さい町で司法書士という仕事をやらせてもらっている以上、もっと認知してもらって、町の方たちから頼ってもらえるようになりたいです。地域にも貢献したいですし、そんな思いもあって仕事以外にもやることが増えています。商工会青年部もそうですし、最近ですが境青年会議所(JC)にも入会しました。JCは忙しいところなので、避けていた部分はあったのですが、同業者でJCに入っている方も多くいるので、いい経験になればと思っています。また、境JCには司法書士がいないそうで、私が入り込む余地もあったのかなと思ってます。他にも茨城の司法書士の青年会があって、そこで理事をやらせてもらっています。水戸や土浦に行くことが多いのですが、圏央道のおかげでずいぶん近くなりました。
【本紙】 では、お友達をご紹介ください。
【久松】 大工をやっている山下直人さんをご紹介します。
【本紙】 本業のほかに地域活動もお忙しいようですが、更なるご活躍をお祈りします。(久松さんはチャレンジ精神の旺盛な方で、集中力の凄さを感じました。)
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