タウンプレスよみうり

読売センター幸手が隔週で発行している地域ミニコミ紙「タウンプレスよみうり」の内容をご紹介

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友達の輪570号(2019年3月24日発行) 
中央公民館 館長 飯塚 忠明さんへ

【本紙】 中央公民館の館長はいつからやられているのですか?

【飯塚】(敬称略) 昨年の4月から務めさせていただいています。以前は長倉小学校で校長をやっていました。

【本紙】 先生になろうと思ったきっかけなどは?

【飯塚】 小学校5年、6年の時に担任だった先生が非常に素晴らしい方で、その先生のようになりたいと思ったのが最初でした。実際に教員になった際に、その先生に報告に行きましたが、とても喜んでいただき私も嬉しかったですね。実は、高校の頃にはパイロットになりたいと思い、航空自衛隊を目指していたこともあります。しかし、部活動の柔道で腰を痛めてしまい、その状態では航空機のGに耐えられないということで自衛隊を諦め、最初の夢である教員を目指しました。教えることも好きだったのでしょうね。実家がお寺でしたので、大学時代には、地元の子どもを集めて教えたりもしていました。文字通り寺子屋でした。夏休みのみでしたが、3年間やっていました。最初の頃は檀家さんの子どもだけでしたが、それが周囲に広まり教える子どもが増えていってしまいました。私だけでは手に負えなくなり、大学の友人に声を掛けて講師を務めてもらっていました。

【本紙】 寺子屋から始まったのですね。長い教員生活の中で、思い出に残るエピソードなどありますか?

熱かった20代

【飯塚】 私が、新任教員の時の話です。40年ほど前になりますが、初任地は幸手ではなく旧菖蒲町でした。新任で6年生担任だったのです。大学出たてで、学級経営の何たるかもわからず無我夢中でした。案の定、なかなか学級経営がうまく行かず、悪戦苦闘してました。「とりあえず学級の子ども達と遊ぶことをしてみよう」と考え、ある月曜日の放課後校庭で遊ぶ約束をしました。その頃、校庭で野球をやることが流行ってましたので、校庭をクラスで占拠して野球をしておりました。その日は、職員会議があったのです。校庭に「職員会議が始まってます」の放送が入りました。でも、「子ども達との約束が優先だ」と思い、職員会議には出ませんでした。その後、私は校長室で校長先生に正座で指導を受けました。その様子を窓越しに子ども達が見ていました。教室に帰ると、子ども達が「僕たちのせいで先生怒られたんだ」と。それから子ども達との信頼関係がいくらかできたように思いました。そのことは、今でもよく覚えていて「子どもとの約束は守る。できない約束はしない」この経験はその後の学級経営にも役立ちました。

【本紙】 子ども達との信頼関係はとても大切ですね。幸手市教育委員会でも長く活躍されていたそうですね。

鉛筆の持ち方友達の輪写真

【飯塚】 私が教育委員会にいた当時の教育長さんにも色々な薫陶を受けまして、「市内の学校で一番字が上手いのはどこか分かるか?」と聞かれたことがありました。私は分かりませんと答えましたら「長倉小学校だ」と。理由も聞いたら「全員が鉛筆を正しく持っている」と言うのです。それで、長倉小学校に訪問して、全部の教室を見させてもらったら、全員が鉛筆を正しく持っているのです。それは校長先生の力だけではなく、全ての教員が伝統として続けていたことだったのです。以前、私がいた学校はシャープペンシルが半数以上で、教員も「それでいいか」という感じでした。長倉小の字の上手さは伝説みたいになっていまして、書初めでも長倉小が金賞をたくさんとっていました。目立たず地味なことですが大切なことだと実感しました。

【本紙】 その長倉小に校長として赴任することになったのですね。

【飯塚】 そうなんです。校長になって、最初にした話がそれです。大切なことだから誇りを持ってやってほしいと。また、本もきちっとしていて、学校の図書室を見ればその学校のこともだいたいは分かります。私が指導主事のときに、ある中学校にいったら、図書室に鍵を掛けているのです。そのことを校長先生に聞いたら、荒らされるからというのです。それで、予算を取って、市内の学校全てに週3回、図書室の管理や読み聞かせなどを行う図書館協力員という役職をおいたのです。平成14年からですが、今でもこれは続いています。こういう案が通って、今も続いているというのは嬉しいことですし、当時の教育長さんの教えがあったからだと思います。

【本紙】 教育人生を通じて座右の銘などはありますか?

一生懸命に生きる友達の輪写真

【飯塚】 「而今(じこん)」ですね。三重県のお酒の銘柄でもあるのですが、仏教用語でもありまして、意味は「今を一生懸命生きる」というものです。将来も大事ですが、その将来は今が作るものですから、その時その時を一生懸命に生きるのは大事だと思います。校長をやっていたときは、全校集会において必ず漢字を書いた紙を用意して、それを使って話をしたりもしていましたね。書いた漢字に沿って話をしますから、通じやすかったのではないかと思います。また、結婚式での主賓挨拶でも「挨拶は短く、幸せは永く」ということを言った覚えもあります。キャッチフレーズというほどでもないですが、語感のいい言葉というのは印象に残りますから、そういったことを自分で考えて、子どもに伝えるというのもいいのではないでしょうか。

【本紙】 なるほど、参考になります。では、お友達をご紹介ください。

【飯塚】 吉田幼稚園で園長をされている藤沼光市さんを紹介します。

【本紙】 ありがとうございました。公民館が社会教育の中心になるような存在でありたいですね。益々のご活躍を祈念いたします。(取材時はちょうど公民館まつりの期間中でたくさんの作品が飾られていました。公民館を利用されるお客様からは、色々な声が寄せられるそうです。飯塚館長は、予算と相談の上、可能な限り対処するように心掛けているそうです。今後は、もっと子ども達や親子や若い人達が利用できるようにしたいと語る飯塚館長でした。夏休みには冷房が効いた涼しい公民館で勉強することも利用のひとつですね。)