タウンプレスよみうり

読売センター幸手が隔週で発行している地域ミニコミ紙「タウンプレスよみうり」の内容をご紹介

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友達の輪575号(2019年6月23日発行) 
元消防団長 矢島 昇さんへ

【本紙】 消防団に長く務められていたそうですね。

【矢島】(敬称略) そうですね。39年間ですね。一応、団長まで務めさせてもらいました。特に消防団に入りたかったというわけではなく、単に順番という事で入団させられたようなものです。私がいた当時の副分団長がもの凄く気に入った方で、その人についていけば間違いはない、と思っていたくらいでした。そのおかげでずっと続けていけたようなものですよ。入団して3年、4年はすぐに経過してしまいました。4年目になると班長資格があるので、「一番若いのだから班長をやれよ」という話になって、先輩達を差し置いて班長になってしまったのです。それから10年目で行幸でトップ2になってしまいました。さらに15年目くらいで行幸の頭になって、私のあとをやってくれる人がいなくて、結果的に15年も勤め上げるという事になってしまいました。どうせだったら、このまま副団長までやって、次に団長までやれば次の段階はなくなるわけですから、円満無事に引退出来ると考えたんですよ。それで足掛け39年です。足の怪我がなければもう2年くらいはやっていたと思いますね。

【本紙】 消防団は自分の仕事を持ちながらですから大変ですよね。

消防団に入って友達の輪写真

【矢島】 大変ですよ、やっぱり。いつでしたか、団長になるとどれくらいの仕事量になるかと聞いた事があるのです。2時間の用が1回、半日が1回、1日の用が1回、泊まりが1回。3日に1回くらいでなにかしらの仕事があって、年間で120回くらいあると聞いたのです。私が団長になったときは、その半分くらいでしたが、それでもやっぱり色々と仕事は多かったですね。その忙しさを知っているからこそ、なかなかやりたがらないというのも分かるのです。消防は半分ボランティアなんですが、もし誘われたら引き受けて頂けたらと思います。なかなか成り手を見つけるのは本当に大変なんです。どこの消防団も定員に達していないんです。普通の団員だと仕事量は出動は別として、年間に1週間から10日間くらいになります。出動もないほうがいいのですが、残念ながら年に1回か2回はあるのが現状です。嬉しい話もあります。新しく住宅を買って住んだ方が消防団に入ってくれたらしいです。消防団というと、仕事内容も大変ですが、昔からの身内で固まってしまっていますから、新規の方が入りにくいというイメージがあると思います。でも、そんなことはありません。一緒に消防車に乗って地域を守りましょう。参加希望の方がいらっしゃったら、消防署でも、地域の消防団でも、団にいるお友達でも、気軽に声をかけて下さい。

【本紙】 消防団時代に大きな火事は?退団された理由の足の怪我とは?

エコノミー症候群?友達の輪写真

【矢島】 在団中の火災では神扇のスプレー工場の火災が一番大きかったですね。そこの火災が一段落した翌日が友達の息子の結婚式で出席したのです。結婚式が終わって家に帰ってきたら、火事場に来いという書置きがありました。スプレー工場の火災がまだ続いていたのです。あの火事は事情を知らない人は、「なんで幸手ではこの時期に花火をやっているんだ」と勘違いしていたくらいの規模でした。消防団を退団したのは仕事で怪我をしたからですね。消防団長のとき、仕事で集合住宅の量水器の交換を300個請け負ったのです。中腰の姿勢でやりますので、かなり体に負担が掛かったのでしょうね。二日目が終わった頃、車に乗ったら、クラッチを踏んだ左足に違和感があったのです。親指にまったく力が入らなくなってしまったのです。原因は私も分からないのですが、同じ姿勢でずっと仕事をしていたので、エコノミー症候群ではないかと思います。でも、請け負った以上は放っておく事も出来ないので、医者に通いながらも300個交換しました。1年2ヶ月くらい医者に通ったのですが、良くならないので医者に通うことも止めてしまいました。それで、消防にも迷惑をかけてはいけないと考え退団しました。

【本紙】 そうでしたか。ご趣味などはあるのですか?

深夜2時に

【矢島】 歩く事が好きで、趣味のようなものですね。香日向で寿司屋をやっていた友人がいたのですが、あるときそこで飲んでいたのです。そこに幸手商業の役員の方がやってきて、PTAの役員をやってくれないか?と頼まれたのです。最初は断ったのですが、結局はお世話になる事になりました。その活動をしていく中で、秋の文化祭で石焼芋をやろう、という話が持ち上がったのです。それで、焼き芋の機械に火を入れて欲しいと頼まれたのですが、それが、夜中の2時頃だったのです。幸いダンプを持っていましたから、焼き芋の機械をダンプに積みっぱなしにして、それで焼き芋の機械に火を入れました。でも、夜中の2時じゃないですか。火を入れたはいいけど、何もやる事がないのです。じゃあ、ちょっとその辺でも歩いてくるか、という気まぐれで始めたのが最初ですね。もう21年も前の話になります。以来、天気が良ければだいたいは歩いていますね。朝5時くらいから歩き始めて、3.5km時間にして30分くらいです。そのあとに孫を行幸小学校まで送っていく仕事がありますので、朝5時でないと間に合いません。歩くことの延長の通学時見守りですが、物騒な事も多い時代ですから、学校側からも感謝されて、私としてもやりがいがあります。また、たまに熊谷まで歩いて行ったりもします。妹が住んでいて、彼岸参りに行く際に歩いていくのです。朝の4時に出て、7時間半かかって11時30分頃には熊谷に着きます。馬鹿みたいと、我ながら思いますが、歩くのが楽しいのです。それ以外では夜のお酒くらいかな。(笑)幸い飲み友達も多いので、健康な内は積極的に付き合っていきたいですね。

【本紙】 これからやりたい事などありますか?

【矢島】 おかげさまで平成28年に消防で叙勲されました。また、行幸小が4年、西中が3年、幸手商業が3年で合計で10年間PTA等でも、色んな人達にお世話になりました。消防にしても、PTAにしても関わっている人たちは、地域の為になにかをやりたい、という気持ちがないと務まらないのかも知れません。お世話になった地域に対して、これからは、何らかの形で恩返ししたいと思っています。

【本紙】 素敵なことですね。では、お友達をご紹介ください。

【矢島】 仕事でお世話になっている白石工務店の専務を務めている串田雅士さんをご紹介します。

【本紙】 ありがとうございました。今後の地域貢献、期待しております。(矢島さんは仕事は第一線を退いたそうですが、便器の交換や蛇口の交換などのスポットの仕事は請け負っているそうです。そして、消防も仕事も、妻をはじめ色んな周囲の人の協力のおかげでやってこれたと感謝の言葉を添えていました。)