タウンプレスよみうり

読売センター幸手が隔週で発行している地域ミニコミ紙「タウンプレスよみうり」の内容をご紹介

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友達の輪581号(2019年9月22日発行) 
幸手サイクルパーク 久保田 修さんへ

【本紙】 今のお仕事の前に、旅館を経営されていたとお聞きしたのですが、お仕事の歴史についてお聞かせください。

【久保田】(敬称略) 私で三代目ではあるんですが、開業当初など正確なところはちょっと分からないですね。祖父と祖母が東京から幸手に引っ越してきて、ここに住んだらしいんです。東武と関係があったようで、幸手の地には駅前には旅館がない、ということで始めたものらしいですね。当時は祖父は物流の仕事を持っていましたから、旅館の仕事は祖母に任せたんです。

【本紙】 旅館を継いだのはいくつくらいの時ですか?

【久保田】 34歳の時ですね。高校卒業後、東京の大学に入学して、それから九段下のトヨタ自販で働いて、しばらく幸手から遠ざかっているんですよ。大学時代は企業の中における創造性というものを研究テーマにしようと思ったんですが、経営工学がそういうものを扱っていなかったんですよ。人・物・金で全てお金に換算してしまっていて、人間の創造性というものは全く考えていなかったんです。働いている人間の考えや生きがいなどは全く考慮されていなかったんです。がっかりして、ほかの研究室に移りました。学生時代には休学してスウェーデンに行きアルバイトしたり、ヒッチハイクで旅行したり、大学のセミナーに参加したりしてヨーロッパで1年過ごしました。大学卒業後は、アルバイトでご縁のあったトヨタ自販に就職しました。アルバイトの時から新規プロジェクトにかかわっていましたので。欧米のシンクタンクがどういう仕組みでやっているのか、というのを文献を元に分析をするというのをやっていました。英語の文章をKJ法で組み立てなおして、科学技術のレポートを作ってトヨタで発表するというものもやったりしていました。トヨタで働いたあと、ベンチャー企業に転職して、大企業や誕生したばかりの小企業を経験しあと、「旅館をやらなきゃ」とある日思い出して、幸手へ帰ってきました(笑) 旅館は10部屋ばかりでしたが、毎日どうやったら部屋が埋まるのか、という事に非常に頭を悩ませていましたね。この旅館を始めた祖父は駅前に良い旅館がないから始めたんですよ。でも、客層を分析してみると95%が車でのお客さんだったんです。駅関係なかったんですよね。それで、どういった人が幸手に来ているのかを調べていきました。分析するのにも、手計算では厳しいので、パソコンを導入したりもしていきました。旅館としてのサービスとしても、色々とやりましたね。当時は今のように舗装路が多くなかったですから、靴が汚れやすいんです。そこで、靴磨きサービスというのもやりました。

【本紙】 徹底したサービスを追求されたんですね。

ビジネスの追求友達の輪写真

【久保田】 灰皿の掃除、コイン式テレビの無料化、ビジネスマンをターゲットにするだけでなく、冠婚葬祭で幸手に訪れる方をターゲットにしたり。旅館の仕事というとかつての住み込みの女中さんというイメージが強く、パートさんがなかなか集められなかったので、4時間の交代制にして、短時間で仕事が進められるように仕事のマニュアル化も行い、パートさんが働きやすい環境を作ったりもしました。

【本紙】 近年でいうところの働き方改革をすでに実施されていたのですね。

【久保田】 がむしゃらに働いてきたのですが、経営がだんだんわかってくると、旅館を長期的に継続することは難しいという事がわかり、旅館経営をやりながら洋菓子店もはじめました。洋菓子店は旅館との経営効率の比較でもあったんですよ。

【本紙】 駅前で名の知れた洋菓子店があったと聞いたことがありました。

【久保田】 40歳くらいの時から始めた「やきりんご」という洋菓子店ですね。このあたりではない、東京の味のクオリティーを提供できる洋菓子店を目指して、建物やパッケージ、開発などにも力をいれました。付加価値率が高い製造販売の商売を狙い、自らケーキを作るのでは無く職人を雇い、経営していました。 洋菓子店が軌道に乗ってから、旅館業をやめ、自転車預かり所ならぬ駐輪場を始めたんです。人手のかかる個人経営の自転車預かり所はどうしても営業時間に限りがあるので、終電客でも対応できるよう、磁気カードによる自動化など、新しい技術は取り込んでいましたね。

【本紙】 ビジネスに関する探究心や挑戦が尽きないですね。

海外旅行で受けた衝撃友達の輪写真

【久保田】 旅館の仕事には休日が無かったのですが、なるべく外に出て勉強会に参加したりと、働き続けてきました。ただ、1990年頃、海外に旅行に行ったんですよ。がむしゃらに働いていたので、ちょっと休もうって思いまして。イギリスに行ったのですが、そこでショックを受けましたね。ライフスタイル、働き方、働くということの考え方など、日本と全然違うんですよ。衝撃でしたね。今まで忙しかった私の日常は何だったんだろう?って。それから1年に1回は、命の洗濯をしようと思って、毎年海外旅行に行くようにしました。イギリス、オーストリア、チェコスロバキア、ハンガリー。4年目に南フランスのプロヴァンスに行ってみたところ、そこで泊まった民宿が非常に気に入って、今はそこに毎年行くようになりました。民宿の方とは家族ぐるみの付き合いをしているくらいですよ。そのほかにも、シベリア鉄道で旅をしたり、毎年海外旅行で新しい発見をしていますね。

【本紙】 プライベートもアクティブですね。ご旅行以外でも、地域の活動も積極的にされているとお聞きしました。

【久保田】 「幸手宿観光ガイドの会」、天神神社氏子の会「奉賛会」、行幸湖に浮島を作る「浮きウキフェスタ」、幸手市の「PRサポーター」など色々と頭を突っ込んでいます(笑)。 地域活動ができるようになったのは、通勤で時間を取られなくなった自営業をするようになってからなので、30年ほどになります。街のことで地域の人と話し合う場を提供したり、情報交換を行ってきたりと、小さなことでも地域に関わっていこうと試行錯誤してきたと思います。幸手を訪れる団体に幸手宿のガイドを、月に何度かするようになり、最近は今ある幸手はどのようにできたのか、幸手市全体、幸手の歴史などに猛烈な関心が出てきましたね。

【本紙】 飽くなき探究心と経験が今の行動力につながっているのですね。ありがとうございました。では、お友達をご紹介ください。

【久保田】 私が携わっている「幸手宿観光ガイドの会」で会長を務めている中島克恵さんをご紹介します。

【本紙】 ありがとうございました。(久保田さんは好奇心にあふれ、さらに研究熱心な方で、興味を持ったものは積極的に学んできたそうです。最新のIT技術や物理化学にも詳しく、科学雑誌のライター業をやったりと、本当に多才な方でした。)


幸手サイクルパーク
幸手市中1-2-6
電話 0480-42-1264