タウンプレスよみうり

読売センター幸手が隔週で発行している地域ミニコミ紙「タウンプレスよみうり」の内容をご紹介

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友達の輪586号(2019年12月8日発行) 
絵画表現アドバイザー
彩風会&龍文の会 専属講師 三澤 文人さんへ

【本紙】 三澤さんは中学校の先生を皮切りに、大学講師までされていたと伺いました。子供の頃から先生になろうと思っていたのですか?

【三澤】(敬称略) 教師は八潮中学校がスタートです。でも、教師になろうという気持ちは、学生の頃はありませんでした。私は6人兄弟の五男坊で、正直なところ実家から出なくてはいけないと思っていましたから、大学に行く気もあまりなく、高校を出たら就職するつもりでした。ただ、父から「試験だけは受けてみろ」と言われ、新潟大と埼玉大の二校を受験しました。新潟大は落ちてしまいましたが、埼玉大教育学部に合格したのです。しかし、教育学部で何をしようかと悩みました。中学2年の頃に先生から「三澤の絵はいい絵だよな」と褒められた事を思い出して、美術を専攻する事にしました。そして、教育学部に進んだことで先生になるという覚悟を決めたのです。

【本紙】 先生の一言が進路を決めたのですね。

やっているうちに友達の輪写真

【三澤】 そうですね。でも、同期の学生は美術専攻で受験してきたので、絵やデッサンが上手いのです。私は何もしてこなかったので仕方ないのですが、私のデッサンは酷いものだったと思います。授業内容も一般教養と美術系の教養が主で、午後はほとんどが実技で、その授業は非常に苦痛でした。ただ、人間というのも面白いもので、やっている内に木版画が好きになっていったのです。3年の終わる時に卒業制作を何にするか決めるのですが、やるなら魅力のでてきた立体造形をやりたいと思い、彫刻をやる事にしたのです。ちなみに当時は彫塑と言っていました。制作したのは等身大の人物像です。私を含めて4人ほどが卒業制作に彫刻を選んでいました。制作日数も一年かけて何体か制作し、一番出来のいいものを卒業制作として提出する形でした。合格点をいただきましたが、合格点をもらえなかったら、もう一度作り直しで卒業が最低半年は伸びてしまいます。その作品は持ち帰る選択肢もありましたが、等身大の彫刻像を持ち帰るのも大変なので、大学に置いてきてしまいました。(笑)

【本紙】 現在ではシルクスクリーンが中心ですね。

これは凄い!

【三澤】 大学を卒業するときに、先生になっても彫刻の制作は続けようと思ったのですが、下宿先ではさすがに彫刻は出来ないので、油絵を始めたのです。油絵も大学で習っていましたし、そんなに広くない部屋でも出来ますから。40歳くらいまでずっとやっていましたが、アーティストの野田哲也さんの木版画とシルクスクリーンを併用した作品を見て、「これは凄い。自分でもやってみたい」と思ったのです。それで1年間近く渋谷まで通い、シルクスクリーンについて学びました。学べば学ぶほどに面白くて、油絵はすっぱりと辞めてしまいました。シルクスクリーンは日本の風景よりも、ヨーロッパの風景の方が似合うと感じ、長期休みの時にヨーロッパを歩き回り、それを元に作品を制作するようになりました。いろいろな国に行きましたが、フランスとイタリアが一番多くて5~6回行きました。制作した作品は所属している第一美術協会の展覧会に出品しています。毎年5月下旬から6月の上旬まで新国立美術館で開催しています。

【本紙】 シルクスクリーンの魅力って何ですか?また、今後の作品については?

青春18切符友達の輪写真

【三澤】 細かい表現が出来るところでしょうか。木版画は柔らかい感じがするのですが、それとは真逆のすぱっとしたシャープな感じがシルクスクリーンでは出せるのです。そこが特に気に入っている部分ですね。また、シルクスクリーンはひとつの版を反転させたり、様々な色を重ねて刷る事も出来ます。今、毎年展覧会に100号の作品を出しています。縦163cm横142cmくらいです。構想を練るのに2ヶ月ほどで、実際に刷り始めて完成するのに3ヶ月かかります。また、2018年に銀座で版画展をやった事があるのですが、教え子も含めて、たくさんの方に私の作品を見てもらう事が出来ました。その時、ギャラリーを見てくれた中のひとりから「日本をテーマにした作品はないのですか?」と声をかけられたのです。家にはあるけど、今回はヨーロッパなどの海外がメインと答えましたら、日本の風景をやったほうがいいと勧められました。外国人には外国のものを持っていっても駄目で、日本のものにすれば外国人の中には買う人もいるのではないか?と言われたのです。それから、日本にあるものをシルクスクリーンにするという事を考えるようになっています。そうなると今度は日本を旅する事になります。日本の場合は海外と違って気軽に動けるのがいいですね。行くとなったら「青春18切符」で行きます。普通電車でのんびりと移動するのも好きなんです。始発で行けば久喜を出発して1日で岡山まで行けてしまいますよ。そこからゆっくりと広島、山口まで行って戻ってくる旅もやりました。

【本紙】 鉄ちゃんのようですね。大学でも講師をされていたそうですね。

小中大と指導

【三澤】 教頭職、小学校長職を務め、宮代町教育委員会や県立北教育センターにも行きましたが、杉戸小の校長を最後に退職しました。その後、国土交通省の排水機場にギャラリーが出来たというので、そこの館長を依頼されました。その2年後、越谷の文教大学から呼ばれまして、そこの講師を務める事になったのです。そうしたら、今度は武蔵野美術大学の講師も依頼されるという事になったのですね。そして、昨年まで八王子にある東京純心大学でも講師をしていました。講師ですから毎日というわけではないので、作品制作をしながら続けることができました。現在は、美術講座などで一般の方を対象に指導を行っています。また、月に2回、春日部の「彩風会」と大宮の「龍文の会」で指導も行っています。

【本紙】 今になって「試験だけでも受けてみろ」と言った父親の言葉をどう思いますか?

【三澤】 結果論かもしれませんが、やっぱり父のおかげなのかもしれません。

【本紙】 では、お友達をご紹介ください。

【三澤】 いろいろな活動をされている小山久子さんをご紹介いたします。

【本紙】 ありがとうございました。益々のご活躍を祈念いたします。(三澤さんはご夫婦でも旅行されるそうで、お孫さんと3人でニューヨーク、ワシントン、シカゴ、ナイアガラと旅したそうです。来年1月にはさいたま市のプラザノースに作品を出品し、5月の展覧会に向けて100号作品を考えているそうです。)