友達の輪587号(2019年12月22日発行)
英語講師 小山 久子さんへ
【本紙】 フイリピンで支援活動をされているそうですね?
【小山】(敬称略) マニラから車で2時間程の所に、パヤタスと呼ばれる所があります。ここは毎日何台も大型トラックがゴミを運んでくる集積場です。昔、スモーキーマウンテンというゴミ捨て場がありましたが、台風の洪水でバラックや集積ゴミが崩れ落ち、下敷きになり多くの人が亡くなりました。ゴミ拾いを糧にしている人達は、肉親を亡くし悲しいものの、政府に再びゴミを運んできてほしいと訴え、パヤタスが生まれました。子供も大人も缶やプラスチック、ビン、金属類をゴミ山から探し、リサイクル業社に売ります。早朝から夕方まで働き150~300円程、水も共同水道、廃棄物の有害物質や発生するメタンガスで健康被害も深刻で、喘息、破傷風、デング熱と厳しい環境です。子供達は働き手なので学校も行けず、将来何になりたいか尋ねると「大人になるまで生きたい」と言います。去年写した写真を渡したくても、住所がなく渡せず探して渡そうとしても、病気で亡くなっていたこともありました。
【本紙】 辛いですね。どんな活動をされているのですか?
スパゲティーナポリタン
【小山】 この活動を始めて6年余り、1週間から10日間現地に入り、子供たちに食事を作って配ります。また、その時に歌やゲームもします。パヤタスはとても広くA地区とB地区があり車で行き来する距離です。それで、日によって場所を決め、入れ物持参で来てもらいますが、どの子も入れ物は捨ててあったプラスチックの入れ物ばかり、陶器の食器は破損してしまうのでほとんど見受けられません。食事はスパゲティーナポリタンがごちそうです。大勢なので肉や具材を買う余裕は無く、パスタに甘いケチャップを混ぜただけですが、みんな笑顔で食べてくれます。4月に行った時も、4歳ぐらいの男の子が「もっともっとよそってよ」と催促。そんなに食べられないよと言っても、動こうとせず、受取った後、弟や妹、家族と分けるのか、両手で大事に抱えて持って帰りました。パヤタスで生まれ育ち暮らしている青年に「ここでの生活を、どう思う?親に不足を思うことは?」と尋ねたことがあります。彼は、胸を張り「自分はこのパヤタスが好きだ。皆がここでは助け合い声をかけてくれる。ここに生まれて幸せだ。」と。日本では孤独死がある話をすると「どうして?日本は金持ちな国なのに?」と。人間の幸せ、豊かさとは?考えさせられます。
【本紙】 何故、パヤタスのボランテアを始めたのですか?
人に助けられ
【小山】 よく聞かれます。数十年前「愛は地球を救う」と言うTV番組でパヤタスの映像を観たのです。人は、こんな劣悪なところでも住めるのだという驚きと、子供たちが素足でゴミ山に登り、大きなズタ袋を肩にかけ、拾っている姿を見たとき、切なくなりました。もし我が子なら、急いで助けに行くのに、行かないのはなぜ?自問自答しました。「他人を自分の家族のように思い、自分の家族を他人のように思う(客観的に見るということ)」私の好きな言葉です。何ができるのだろうと思い始めました。もう一つの動機は、私が20代半ばのバックパッカー時代の経験です。25歳まで重度の身体障がい児施設で働いてましたが、職業病になり仕事を続けられなくなりました。生き方を見つめ直そうとパキスタン、ネパール、アフガニスタン、スリランカ、バングラデッシュ、インドを周りました。懐の財布だけが頼りの倹約道中でしたが、多くの人と話し、笑い、共感し、時に口論したりの楽しい旅でした。1年近く旅し、帰国前に飛行機で未知のインド北部カシミールへと決め航空券も用意しました。早朝1日1便のフライトに並びましたが、既に満席。ずさんな航空会社に腹を立てましたが、明日まで待たなくてはならず、鶏を抱えた老人や山羊も縄で引かれ乗るような身動きできない列車に乗って宿泊所へ向かいました。列車からやっと降り、いつ来るかわからないバスを待つこと数時間。小銭でも用意しようとバックを開けてみると、小物入れに入っているはずのパスポート、現金、トラベルチケット、航空券が袋ごとないのです!
【本紙】 え!すられたのですか?
一日に2度
【小山】 血の気が引き、膝はがくがく、炎天下が、暑くも感じない程。道行く人に事情を説明すると、絶句しながら、バスで1時間の日本領事館へ行き、パスポートの再発行手続きや、日本人スタッフに相談したほうがよいと。バス代25円もなく、オートバイの青年を捕まえ、領事館まで走ってもらいました。領事館で手続きと200ルピー(日本円当時5000円)を借り、安宿と質素な食事なら再発行までの1か月間をしのげると思ったものの「あの時タクシーに乗ればよかった、航空会社がずさんな対応だから乗れなかった」など怒りや後悔ばかり。すると借りた200ルピーも帰りの列車の中でスリに合い、1日に2回も盗まれ、愕然とするやら、心が乾いて泣く涙もこぼれず、呆然と立っていると,破れたランニングを着た少年が私の前に来て、空腹の身振りでお金をせがみました。その時、その子の気持ちが身に沁みました。朝、領事館へ乗せて行ってくれた青年が、自分の寮の電話番号を手渡してくれたのを思い出し、民家に行き連絡を取ってもらいました。既に夜の11時、青年は再びオートバイで来てくれました。自分の知人の家に泊まらせてもらおうと、バイクで30分。すごいスラム街でとても貧しい3人家族の家でした。
【本紙】 よく泊まらせてくれましたね。
1枚のチャパテイ
【小山】 半月ほど居候しました。1枚のチャパテイを私にまで分けて、元気づけようと小銭を集めて映画館に連れて行ってくれました。その家族の年老いた母親が言った言葉です。「5本の指はみな違う。あなたのお金を盗んだのはインド人。あなたを助けたのもインド人。だからインド人は・・・と既成概念で見てはいけない」と。母親、息子、娘の家族で一部屋のため、床で川の字に寝ます。長男は、私の為に外で枕を抱え寝ていました。蒸し暑いある夜、何気なく外を眺めるとその息子が寝ているのを見て驚きました。私のせいで寝る場所がない、生活が苦しいのにいつまでいるのか等とは1度も言われませんでした。この場所、ボンベイ(今は、ムンバイ)で何もかも盗まれたけど、もっと大事なことに気が付き大切なものを拾えたような気がします。その時から、今度は私が他の人に親切にし、その人はまた別の人にと助けが広がると、私たちの社会は人を大事に思う社会になるのではと思いました。
【本紙】 そうですね。今後の活動の予定は?
【小山】 来年の1月に行きます。貧困生活を変えるには教育だと思います。貧しい、仕事がない、生活が出来ない、そのことがやがては犯罪へと負の連鎖になります。彼らたちに生きるスキルを与えたいと思っています。現在、私たちのグループから学費を支援し、パヤタスから3人が大学を卒業をし就職出来ました。婦人たちには、ミシンを贈りそこで衣類を作り業者に売っています。この子供たちが、忘れられた子供たちにならないように今後も見守り活動を継続していきたいですね。
【本紙】 頑張って下さい。では、お友達を紹介下さい。
【小山】 傾聴ボランティアをされている古賀裕子さんを紹介します。
【本紙】 ありがとうございました。益々のご活躍をお祈りします。(小山さんご家族はそれぞれが海外で仕事をされているグローバルなご一家でした。)