タウンプレスよみうり

読売センター幸手が隔週で発行している地域ミニコミ紙「タウンプレスよみうり」の内容をご紹介

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友達の輪593号(2020年3月22日発行) 
貞香会 顧問 書家 中村 恒雄(青藍)さんへ

【本紙】 書に魅入られたのはいつ頃になりますか?

【中村】(敬称略) 父(素光)が書道塾を開いていた関係で幼少の頃より筆は持っていたように思います。 父の教えは、20代は書活動に精を出し、30代で結果を残し、40代から本格的に書の道を極めろでした。 当家は江戸時代から「角甚」という鰻屋で、代々書家でもあり、13代目の父が中村素光という「ジャンボ書家」の愛称で多方面にわたり活躍してました。父はよく小学校の校庭で大筆を揮っていました。これが縁となり昭和33年にNHKテレビの「びっくり百科」という教養バラエティ番組に大筆を持って書いたのが最初でした。翌年から宝珠花(現・春日部市)の大凧に大文字を13年に亘って揮毫(写真)しています。凧の大きさは縦15m、横11m、百畳敷きの大きさです。昔、森永製菓の「大きいことはいいことだ♪」という山本直純さんが出演していたチョコレートの宣伝がありました。1文字50mの大きさで「天下無敵」と書くシーンがありました。演出上、直純さんが書いたようになってますが、実際に書いたのは父です。続いて日航ジャンボの第一号機導入式典がシアトルのボーイング社で開かれた際にスチュワーデスを文鎮代わりにして「飛躍」という大きな文字を書いてます。更に、日本武道館で開催の自衛隊音楽祭でも約2万人もの大観衆の中で「禅」の一文字を書いてます。 幸手においても文化活動に活躍しました。その第一は昭和24年当時の栗田亀蔵町長の依頼で権現堂桜堤の再建に関わったり、幸手市文化団体連合会では設立当時から晩年まで活動してました。父は20才の頃、夜、熊谷まで自転車で書道を習いに行ってました。自分は書家になるんだという決意は誰にもまねできないことだと思っています。「素光さん」の愛称で幸手の人に慕われていた姿は私の書の原点でもあります。

【本紙】 青藍さんはお仕事として書をやられているのですか?

たった一度の人生友達の輪写真

【中村】 職業はサラリーマンでした。書道は趣味ですが道楽に近いかも。昭和46年入社ですが、電子計算機を使っての情報サービス業として日本で最初に出来た某商社系の会社でした。当時は宇宙科学の全盛期で、演算速度を競うスーパーコンピューターCDC6600の導入で、その価格はその会社の年商を超えていて、その先見の明に驚かされました。経理として入社したのはいいが毎日が終電。1年、3年、5年と辛抱する内に慣れ、GWも正月休みもない保守管理の仕事が主でしたが、原価計算で、すべての決算業務をこなす、やりがいのあるものでした。

【本紙】 1年前に辞めたのは書に集中するためですか?

【中村】 たった一度の人生、やりたいことをやろうと決めました。背水の陣というか、得るためには捨てる覚悟というと大げさですかね。30代で結果を残せの親の言葉。59歳になってしまいましたが、毎日書道展で、会員賞というグランプリを受賞しました。やっと結果を残せた喜びはひとしおでした。その受賞作品は今、アスカル幸手の2階に飾っていただいてます。今は教える立場になりましたが、書を楽しむ心は親ゆずりかと思います。

【本紙】 書くテーマはその都度変わっていくのですか?

書も体力勝負

【中村】 毎回書くテーマは変わります。最近は篆書、隷書、行書、草書の大きな字を書く機会が多くなりました。さらに、もっともっと大きな文字を書きたいという思いは強くなりますが、体がついていかず作品を書くたびに腰を痛めたり、体のいたる処を痛めてしまいます。作品というものは何を書くか、何を書きたいか、普段から中国の名言集や漢詩を読み、古典を習い、美術館めぐり等をして課題探しをしています。課題が決まれば辞書を引きイメージを作ります。もうそうなると半分以上は仕上がった気分になれます。 冒険は痛みが付きもので書も体力勝負です。心技体が重要で数年前から太極拳を習いに矢島宏子先生の太極拳教室と最近では細井雅夫先生の太極拳研究会にも通い書に生かせる体力作りに励んでいます。

【本紙】 お勤め時代から文字の研究もされていたのですか?

美しさを追求友達の輪写真

【中村】 週休2日制の金曜日はうきうきしてました。普通は飲みに行こうとなるでしょうが、私は一直線で家に帰りました。筆を持てる喜びですね。文字の研究と言うと「説文解字」という本があります。後漢の許愼が作られた辞書ですが、文字の原点を知る上で欠かせないものになっています。課題によっては一文字ごとにこのような辞書を使いますが、私は文字の美しさや呼吸(筆)の流れなどを追求してますので、研究というより中国の王義之の書や古代から中期、近代にいたるまで各時代の書を臨書するという形で今も続けています。只、今でも中国から木簡などの新出土のものが多数出てきます。退職後は東京の金石研究会に入り拓本類を見比べ中国の学者の見解を学んでいます。

【本紙】 幸手市内での文化活動にも関わられていらっしゃいますね?

【中村】 書道もいいが書道以外でできる文化活動といえば、大半が退職後のことですが、石塚忠夫・順子夫妻に勧められ、門外漢とは思いつつ「文芸幸手」の第9号から第20号の廃刊まで携わりました。また、幸手市文化団体連合会(以下・文連)に所属して幹事、広報委員長として文連の役員の皆さまと一緒に「文連だより」の編集や、文化祭、文連作品展などで活動しています。ご紹介いただいた中村孝子会長とはこのご縁で一緒に活動させていただいています。アットホームニュース幸手のコラム欄に石塚順子さんの「万葉花物語」100回発表の後を受けて、「書の物語―書から学ぶ論語―」を連載させていただいています。

【本紙】 では、お友達をご紹介下さい。

【中村】 表具師として又、太極拳でお世話になっています幸手市武術太極拳連盟会長、細井雅夫さんをご紹介します。

【本紙】 次女の香柯さん、末っ子の青藍さん、奥様も元県立高校の書道の教師だったそうです。書道一家、益々のご活躍が楽しみですね。