タウンプレスよみうり

読売センター幸手が隔週で発行している地域ミニコミ紙「タウンプレスよみうり」の内容をご紹介

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友達の輪595号(2020年4月26日発行) 
石塚医院 前院長 石塚 忠夫さんへ

【本紙】 石塚医院は開院して何年になりますか?

【石塚】(敬称略) 祖父が明治25年(1892年)に開院しました。父が二代目となりましたが、35歳の時、昭和7年に交通事故で亡くなってしまいました。こんな事を言うのも変ですが、私は埼玉県で最初の交通遺児なのではないかと思っています。往診中の事故で、東北線の急行列車にぶつかってしまったのです。当時、私が1歳とわずかという本当に小さい頃でしたから、私は父親というものをほとんど知らないのです。交通事故は3月だったのですが、その時、母のお腹の中には妹がいて、翌月の4月に生まれたのです。小学校時代も父親がいなかったものですから、両親ともに健在の子供とはちょっと違ったところがあったのかもしれません。

【本紙】 医院はどうされたのですか?そして、石塚先生が医院に入られたのはいつですか?

母が子育てしながら友達の輪写真

【石塚】 祖父は父が亡くなったショックが大きかったんでしょうね。医者をする元気もなく、盆栽や植木、畑仕事などをやっていたようです。ただ、母も医者でしたので、細々とではありますが医院を続けていく事が出来ました。でも、私と妹の子育てをしながらですから、本当に大変だったと思います。それに戦時中でしたから、今とは比べ物にならない苦労があったと思います。私が戻ったのはオリンピックの前年でしたから、昭和39年ですが、国家試験に受かってからは医院を手伝っていましたね。母も一人で切り盛りしていましたから、言葉にこそしませんでしたが、内心では嬉しかったのではないかと思っています。私が外科として開院してからは、待ってましたとばかりに母は引退してしまいましたから、本当に大変だったのでしょうね。

【本紙】 お母さんの専門はなんだったのですか?

【石塚】 内科と眼科でした。昔は今ほど専門が厳しくなかったですから、専門が内科で眼科がちょっと出来るという感じでしょうか。母は吉岡彌生先生の女子医専(現在の女子医大)を卒業して、東大の眼科教室に入ったようです。当時は女医というのも非常に少なかったでしょうし、女子専門の医療学校も女子医専しかありませんでした。祖父が吉岡彌生先生と同じ学校にいたらしく、吉岡先生の紹介でうちの母親が幸手にやってきたようです。女医自体も少ない時代でしたから、結びつきは強かったのではないかと思います。

【本紙】 絵を描くのがお好きと伺いましたが?

よみうり文化センター

【石塚】 60歳まではずっと仕事一筋でしたから、息抜きのようなもので始めたのです。子供の頃は工作は好きな方でしたが、絵が好きだったという事はなかったですね。父親がいませんでしたから、色々な事に挑戦するという余裕もありませんでしたし、絵が関係するとすれば、私は外科ですから、患者さんに説明する際に簡単な絵を描くことくらいですね。

【本紙】 どこかで学んだのですか?

【石塚】 よみうり文化センターですよ。春日部や大宮、北千住など色々と行きました。メインで行っていたのは春日部と北千住です。春日部に来た先生が、白川先生と言いまして、中国の武漢出身の方です。日本人ですが、父が軍医として出征していたようです。その白川先生が非常に絵の才能のある方で、中国最高峰の絵の学校である広州技術大学に合格したのですが、日本人という事で入学出来なかったのです。毛沢東の文化大革命にぶつかって、茶摘みの労働をさせられたそうです。でも、田中角栄さんの日中国交正常化で日本に帰ってくることが出来ました。帰ってきたけど、仕事がなくて焼き皿の模様を作っていたようですが、それでは物足りなくて絵を教える事を始めたそうです。元々は水墨画を専門でやっていたそうですが、それに色をつけて水彩画にしたのです。私はずっとその先生に師事して、手法を教わってきました。6時に仕事が終わって、東武線に乗るのに自転車では間に合わないので、スクーターを買いました。教室が始まるのが6時30分、本当にギリギリでした。それを月2回1年間くらい通いました。

【本紙】 風景画が多いのですか?何点くらい描かれたのですか?

旅先の風景に魅了友達の輪写真

【石塚】 風景画が多いですね。作品は数えた事がありませんね。絵を描いていると世間の色々なものから離れて、それだけに集中できるというのがいいんでしょうね。それがまた気持ちいいのだと思います。

【本紙】 描いてみたい場所に行かれるのですか?

【石塚】 最初は絵を描くためではなかったのですが、初めて行ったイタリア・フランス・スペインの三ヶ国の美しさに魅了されました。絵に描きたくなる旅でした。今でも強く印象に残ってますね。40代でしたが、年末年始の休診に何とか8日間休みをとって行きました。旅行は好きなので、医者として第一線から離れてからは、以前にも増して出かけるようになりました。特に飛行機は、離陸すると電話が鳴らなくなりますから、ほっとしますね。ただ、仕事もありますし、家内だけですから、長期間家を空けるわけにもいかないので、遠出の際は二人での旅になります。そういう出先でこれを描きたい、という風景に出会ったら写真を撮るようにしています。今、描いているのは、以前の旅行で撮った写真を引っ張り出して描いています。旅行した時にこの風景はいいなと写真を撮るのですが、しばらくすると忘れてしまうのですよ。でも、あとになってその写真を見直してみると、発見があったりして、そういうのを描いたりしますね。大きさにもよりますが、早ければ2日、3日で描けるものもあれば、時間の余裕を見て少しづつ描いて1ヵ月近く掛かるときもあります。

息子夫婦にバトン

【本紙】 医院は息子さんが経営されているのですか?

【石塚】 そうですね。四代目という形になりますね。嫁が皮膚科で息子が内科をやっています。私が外科なものですから、息子も外科をやると思っていました。。外科をやるために内科を勉強する必要があって、麻酔科も勉強する必要がある、と助言したのです。そうしたら、麻酔科が面白かったみたいで、10年近く麻酔科を勉強して、それで、内科に進んだようなものですね。私の時代は外科が必要でしたが、今はそういう時代ではなく、外科は何人ものスタッフでチーム医療になってしまいました。私は77歳まで現役でしたが、隠居のような状態です。今は病院にも極力近づかないようにしています。(笑)

【本紙】 キャンバスに向き合う姿は素敵ですね。では、お友達をご紹介下さい。

【石塚】 大工をされている大塚 操さんをご紹介いたします。

【本紙】 ありがとうございました。これからも素敵な絵をお描き下さい。(石塚さんの絵は石塚医院さんと、岩崎ハートクリニックさんの待合室にも飾られています。)


石塚医院 内科・皮膚科
休診日 日・祝 / 水・土 は午前中のみ/臨時休診あり
埼玉県幸手市北3-10-27
電話 0480-42-0044