タウンプレスよみうり

読売センター幸手が隔週で発行している地域ミニコミ紙「タウンプレスよみうり」の内容をご紹介

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友達の輪599号(2020年6月21日発行) 
筑波大学大学院修了生 髙島 勝也 さんへ

【本紙】 今年の3月に大学院を修了されたばかりだそうですね。

【髙島】(敬称略) そうです。実は私は中学校の英語教員でして、最後は中学校の校長で退職しました。退職後も越谷市教育センターで後輩の指導などに当たっていましたが、現職中、子どもたちに「一生勉強」と言ってきたこともあり、自分自身でももっと勉強したいという気持ちが強くなってきました。私は東京の下町の貧しい家庭に育ち、大学進学をあきらめなければならない状況でしたが、親に頼んで入学時の費用を工面してもらい、明治大学文学部文学科英米文学専攻に進学することができました。親にはとても感謝しています。その当時の私の夢はさらに大学院に進み、英文学者になりたかったのですが、親にそこまで甘えるわけにもいかず、埼玉県の教員採用試験に合格することができて教職に就きました。ですから、その時に絶ってしまった大学院という夢を叶えたかったということもあります。専攻は英文学でなく、自らが教員や管理職として実践してきた教育学として、社会人選抜試験を受けました。3校受験し2校に合格し、筑波大学大学院を選びました。

【本紙】 教員は何年間やられていたのですか?また、定年後、すぐに受験されたのですか?

社会人選抜友達の輪写真

【髙島】 管理職を含めて37年間です。私は初任が越谷・光陽中で、次に菖蒲中、栗橋東中と勤めて、越谷市教育委員会に行きました。教頭としては杉戸中と幸手中で、校長は久喜東中と越谷・平方中で勤めました。行政には越谷市教育委員会が6年、埼玉県立総合教育センターに2年と8年間在職していました。おかげさまで色々な勉強をさせてもらいました。定年後は越谷市教育センターで教育相談員として勤務しました。その間に大学院に行こうと考えるようになりました。受験勉強は仕事と重なる部分がほとんどで、英語の勉強をしたり、教育に関する情報などを集めたりして受験勉強に生かしました。教育指導員の任期は最大4年間ですが、3年目のときに受験して、合格した時点で教育センターの所長に、「大学院に合格しましたので、教育指導員は継続せずに大学院で勉強させていただきます」と報告しました。

【本紙】 社会人選抜で合格されてきた大学院生はどのような方が多いのですか?

【髙島】 全員が現職の教員です。教育学ですから、一般の方ではなく教員が多くなるのでしょう。私が在籍したときは、北は北海道から南は山口県までと、日本中から現職教員が集まっていました。

【本紙】 教員時代の思い出というものはありますか?

新任で失敗ばかり

【髙島】 思い出というと失敗が多かった印象が強いです。失敗談としていつも思い出すのは英語教員として初めて教壇に立ったときのことです。中学3年生を受け持っていたのですが、黒板に筆記体で英文を書いたのです。そうしたら、ある生徒から「先生、読めません」と言われました。その時は私も若かったものですから、「みんなに読めないような字を私は書かない」と言ってしまいました。しかし、よくよく考えると、筆記体を読める子というのは多くなかったのです。本当ならブロック体で板書した方が良かったのですが、今まで自分が大学でやってきたことをそのままやってしまったのです。あとで他の先生に聞いたら、「読めません」と言ってきた子は英語が好きな生徒だったのです。他にもたくさんの失敗はありましたけれど、この最初の失敗は今でもよく覚えています。これをきっかけに、周りの先生から色々と教わり、生徒からも学ぶことを心がけ、教員として一人前になるように努力しました。「生徒の立場に立つ」というのは、いくら口で言われても実際に実行するのは非常に難しいことです。一方で、私は貧しい家に生まれましたので、経済的に恵まれない子どもたちに対する思いというのはいつもありました。その子どもたちが夢を実現させるために、授業の中で活躍の場を与えたり、中学3年になった時には進路決定に向けていろいろなアドバイスをしたりと、私が協力できることはわずかですが彼らを応援してきました。

【本紙】 校長先生としても何かされたのですか?

教員を育てる

【髙島】 実は校長の出来ることというのはそれほど多くはありません。特にお金がかかることは行政の後押しがないと実現することはできません。例えば財政が豊かな自治体では教育でのICT活用は進んでいますが、財政状況によって地域の格差が生まれています。しかし、どの学校でも校長のやるべき仕事で一番重要なことは教員を育てることだと思っています。日々子どもたちや保護者と関わるなど教育の最前線にいる教員の指導力とやる気を高めることが重要だからです。私が現職のときに教員評価制度は始まっていましたが、教員評価は給与等には反映されていませんでした。その後に教員評価が給与等に反映されるようになりました。そのことを校長はどのよう受け止め、校長がどのように教員評価を行っているかを調査することを、大学院の修士論文のテーマとしました。その修士論文が評価され、教育研究科長賞を受賞することができました。今年の学位授与式はコロナ禍の影響で縮小されたものになりましたが、受賞のおかげで式に参加出来てとてもうれしかったです。

【本紙】 これからやってみたいことってありますか?

地域に恩返し友達の輪写真

【髙島】 これからは地域に貢献出来たらと考えています。今年の4月から地元の香取神社の総代になりましたので、そこから色々と地域に恩返しが出来ればと思っています。現職の頃は帰りも遅く、地域に対して何も出来ませんでしたから、香取神社の総代の話をいただいたときは、地域に貢献するいい機会になると考えてお受けしました。妻は地元の幸手出身ですが、私は婿で東京育ちのため、地元との接点を作る機会というのも中々なかったのです。退職後に幸手市図書館協議会に関わらせて頂き、4月から人権擁護委員も務めさせていただいております。

【本紙】 素晴らしいですね。では、お友達をご紹介ください。

【髙島】 中川崎香取神社の総代長をされています内田勉さんを紹介いたします。

【本紙】 ありがとうございました。益々の地域でのご活躍を祈念いたします。(髙島さんは野球部監督を務めるほどスポーツが大好きだそうですが、教育委員会の指導主事時代に体を動かす機会が減ってしまって、太ってきてしまったそうです。それで、一人でもできるスポーツとしてゴルフを始めたそうです。現在ハンディキャップ10で何でも一生懸命に取り組む方です。)