友達の輪663号(2023年3月5日発行)
株式会社アルファ代表取締役 小田原 史朗さんへ
【本紙】 パチンコ台を久しぶりに見ましたけど、ずいぶん進化していますね。
【小田原】(敬称略) 昔は良かったとまでは言うつもりはありませんが、パチンコ業界の技術というものはとても先進的で、その進化はすごいですね。その反面、大衆娯楽として親しまれてきたようなパチンコではなくなってしまっていますね。
【本紙】 youtubeで「パチンコ店買い取ってみた」というチャンネルを開設していますが、チャレンジャーを経営された経緯を教えてください。
【小田原】 10年くらい前は春日部にあるチェーンのパチンコ店に勤めていましたが、そこから離れることになりました。私は18歳の頃からずっとパチンコ業界一本で、35年近く働いていますので、その関係の知り合いが非常に多く、その伝手で「チャレンジャーが辞めることになったから、代わりにやってみない?」と話を持ち掛けられ、それならやってみよう、ということでやり始めたのです。今までもチェーン店の役員でしたが、こういった小さいお店を自分ひとりで経営するという経験はありませんでした。このお店は平成元年に出来ましたので、私の業界歴と同じ35年が経っています。平成3年頃に杉戸高野台にあったパチンコ店で働いていたことがあり、その時はこの店はライバル店として認知していました。その後、春日部のチェーン店に移ったりしていましたので、この辺りの土地には昔から縁があるのです。それで、このお店を持って最初にやったことは「20年くらい前にこの辺に僕は住んでいましたけど、ご存じの方いらっしゃいませんか?」というチラシを撒いて、お客さんに来てもらったのです。そして、今度は地域の方ともっと交流しようと、駐車場を開放して朝市をやりました。
【本紙】 以前、朝市は取材に来たことがあります。パチンコ店を経営するのは難しそうですね。
当時の1/3に
【小田原】 そうですね、経営はやっぱり難しいです。35年くらい前といえば、パチンコ業界は娯楽産業として絶頂期で、このお店も非常にたくさんの人で賑わっていました。ただ、パチンコ店は風営法の規制対象で風俗営業ですので、規則改正が入ると凄い影響を受けるのです。それらの繰り返しや、震災、コロナによる影響もありました。余暇産業ですから、そういったもののバッシングも受けやすい業界でもあります。そういうことも伴って、さらに規則改正もあり、ますます厳しくなっていきました。パチンコ業界では総貸玉量という、産業の規模を表す数字がありますが、当時の3分の1位になってしまいました。当時の店数が2万2千店程でしたが今は8千店程です。また、当時は参加人口3千万人と言われていましたが、800万人で、ヘビーユーザーが残り、その人たちの負担が増えて、遊びにくくなっているところがあります。今はそれ以外にもいろいろな娯楽が増えていますから、そういったところにお客さんが流れていってしまっているところもあると思います。
【本紙】 パチンコは日本の文化ですよね。
古くて新しい遊戯
【小田原】 そうです、日本の文化ですね。実は福生で35年前のパチンコ店を再現したゲームセンターを共同経営していますが、「青春のパチンコ台に会いたくて」というタイトルで、NHKの「72時間」の取材を受けたことがあります。入場料として三千円を頂き、景品などはなく、パチンコ、スロットを遊び放題にしているのです。昔の雰囲気を復活させることと、新しい遊戯の形を提案したいという思いもあります。今のパチンコは昔の手打ちの頃とはまったく変わってしまいました。映像も派手になっていますし、アニメとのタイアップも増えてきています。昔は玉の動きがあったのですが、今はそれがなくなってしまいました。パチンコには投資に対してリターンがあるわけですが、手打ちの頃はあまりそこに意識はなくて、あくまで娯楽のひとつでした。ところが今は、圧倒的にギャンブル要素が強くなり、勝ち負けの場になっています。パチンコ本来の楽しさは、玉の動きやどこに入った結果、玉が出てくることだと思うのです。それで「勝ち負けの状態をなくしても、本当に楽しめるものだろうか?」というのを知りたくて福生にパチンコ店を再現したゲームセンターを作りました。結果としてヒットしましたので、勝ち負けがなくともパチンコ、スロットそのものは面白い遊びだと分かりました。今は福生と神田でこのゲームセンターを共同経営しています。パチンコ、スロットを本当の遊戯としてやっていきたいと考えています。1号店、2号店を無事に出店できましたので全国展開も考えています。
【本紙】 youtubeのキャラクターネームは「ひげ紳士」ですね。日本中から来場されているそうですね。
日本全国から幸手に
【小田原】 パチンコ業は「お店がここにありますよ」程度の看板なら大丈夫ですが、射幸心をあおるような宣伝は出来ません。そこで始めたのがyoutubeです。内容は「50歳を過ぎたおっさんがパチンコ店を買い取って奮闘する物語」で、パチンコ店の日常をアップしているのです。「台のここが壊れてしまった、どうしよう?」とか、「こんな台を入れてみたらこういう結果だった」とか、「こんな面白いことを見つけたけど、こうだった」というようなものです。今までパチンコ店がタブーとしてきた行為で、オーナー自らがパチンコ店の内情を包み隠さずに公開していくということが受けたのか、登録者も10万人を超える結果となりました。それに伴い、私の「ひげ紳士」という名前と幸手チャレンジャーの知名度も上がっていきました。それまで誰も知らなかった「幸手」とこの「幸手チャレンジャー」というお店が全世界に広まるようになり、全国からわざわざここに来てくれる方も増えてきました。店内に自由に書き込めるノートがありますが、北は北海道、南は九州、沖縄からも来店されています。youtubeを見て、県外から来てくれた方はyoutubeを始めてから累計3万人を超えます。わざわざ来ていただけるのですから、この地域をもっと観光化出来たらなと考えています。
【本紙】 すごいですね。桜の季節は大変なことになりそうですね。では、お友達をご紹介ください。
【小田原】 昨年末まで緑台でアンティークショップ・リーベを経営されていた秦正喜さんを紹介します。
【本紙】 ありがとうございました。地域活性化のためさらなる発信に期待しております。(小田原さんはアイデアいっぱいの方で、楽しく仕事をされる方と感じました。昭和ブームと言われる昨今ですが、パチンコの玉の行方を追う楽しさも娯楽ですね。)
パーラー 幸手チャレンジャー電話番号 0480-48-2555
埼玉県幸手市戸島388-1
※営業時間 10時〜23時
幸チャレ軍団公式サイト