友達の輪664号(2023年3月19日発行)
アンテークショップ リーベ元オーナー 秦 正喜さんへ
【本紙】 「アンテークショップ リーベ」は昨年末に閉店されたそうですね。いつから営業されていたのですか?
【秦】(敬称略) 皆様に惜しまれながらも、昨年末で25年の営業を終了いたしました。今月いっぱいは片づけをしながら終日お店にいますので、私がお店にいるときはお声がけいただければ対応いたします。このお店は平成9年4月に開業しました。アンティーク、骨董から現代リサイクル品まで幅広く取り扱っていました。17年くらい前にNHKが「昭和レトロ」というテーマで番組を作り、お店が紹介されたことがありました。ここに古いトースターがありますが、NHKで紹介されたものです。その時に商品のカテゴリーを絞ったこともあって、それ以降はアンティークや骨董は扱わなくなりました。それ以降も時代の変化と、私がやりたい事も変わってきて、リサイクル品などを扱うだけでなく、それを素材として新しいものを作るようになりました。しかし、骨董品は骨董品として愛好されるお客様が多く、私が骨董品を素材として新しく作ったものを好きだという人は極少数でしたね。それで、商売が立ち行かなくなって、年齢も考慮して辞めることにしたのです。
気楽になりたい
【本紙】 以前からリサイクル業に関わっていたのですか?
【秦】 前は不動産業をやっていました。コンサルのようなものでしたね。物件の紹介や、そこの物件に合う生活設計などのアドバイスをやっていました。不動産は法的な事や買い手と売り手、そして仲介業者との人間関係で非常に神経を使います。向いていなかったのかも知れませんが、疲れてしまい転業しました。それから始めたリサイクル業は、ざっくりと言ってしまえば売ったものが仮に壊れたとしたら、全額弁償すれば済むところもあって気楽だったのです。そういう単純な発想で始めたものですが、やり終えてみれば楽しい仕事でした。リサイクル業は商品を集めないといけないわけですが、新聞の折込で買取広告を出したり、定期的に行われている古物市場に出向くようにしました。そういったところに出入りするようになると、仲間も増えてそういった人たちから自分のところでは売ることのできない品物を融通してもらったりしました。逆にうちでは売ることの出来ないものが入ってきたら、こっちから融通するという交換もしていました。この店内にぎっしりと商品があったのですが、やっと最近になって片付いてきました。
【本紙】 趣味と実益を兼ねているように感じますが。
マイペースで楽しい
【秦】 そうかもしれませんね。特にレトロ系が売れているといっても、買っていく人は浪費家ではないのです。コレクター気質の方が多いので、じっくりと吟味して本当に欲しいものを買っていく人ばかりです。また、扱っているのが古いものですから値引き交渉も当たり前のようにあります。価格をつけるのも難しいですが、他店に比べるとうちはあまり高くは売っていなかったつもりではあります。この金額でお客さんが買わないのであれば仕方ないな、くらいのギリギリで売っていました。一部価値のあるものはそれなりの価格はつけていましたが、基本的にはそのスタンスでしたね。やり方が違えばもっといいお客さんもついたかもしれませんが、そこはやっぱり分からない部分でした。だから、商売としてはそんなに美味しくはないですよね。でも、マイペースで好きなように仕事ができるのは楽しかったですね。
【本紙】 ご自身でのなにか趣味などはありますか?
苗字から本に興味
【秦】 最近になって本を読むようになったことでしょうか。私の苗字の「秦」はあまり読める人が多くないのです。妻沼に秦小学校というのがあるのですが、そんな話をお客さんにしたら「秦」という漢字は古いものに関わりが多いと教えてくれました。京都に太秦(うずまさ)がありますが、同じ漢字が使われていて、関連する本を読むようになっていきました。同じ秦性で、聖徳太子に影響を与えたとされる秦河勝※(はた の かわかつ)の屋敷跡に、大避神社(おおさけじんじゃ)というのがあるのですが、その大避というのはダビデのことらしいのです。また、京都太秦には「いさら井」という井戸があるのですが、これがイスラエルのことみたいなのです。秦河勝の行動を追ってみると、当時としてはハチャメチャなことをやっていたこともあるようで、もしかしたらルーツがイスラエルかもしれないとも言われています。自分の苗字から世界が広がるのが楽しいですね。
【本紙】 この仕事をやってきて大変だったということはありますか?
好きなことを好きなように
【秦】 この仕事だけでなく、いろいろあったのかもしれませんが、あまりそういう風に感じたことはないのかもしれません。好きなことを好きなようにやってきましたから、楽しかったという気持ちの方が大きいですね。大学を卒業して、生活用品メーカーで有名なLIONに勤めていたころ、転勤の話もあったりしたのですが、自分のやりたいことをやりたかったものですから、その転勤の話も断っていたくらいです。しかし、25歳の時、ヨーロッパをてんとう虫と呼ばれたスバル360で回ってみたいという思いがありました。それで、会社を辞め実家が車屋だったものですから、1年間くらい実家を手伝って車の修理を覚えました。スバル360は横浜から船でドイツのハンブルグまで送り、私は横浜からロシアのナホトカまで行き、飛行機を乗り継いでモスクワへ、モスクワから列車で北欧を抜けて、ドイツのハンブルグまで行きました。車を引き取りヨーロッパ一周に向かいましたが、当時スバル360が一台もなかったので目立ちましたし、各地で多くの友人が出来ました。3ヶ月くらいで入国できるところはほとんど回りました。ただ、ポルトガルだけは入国出来ませんでした。当時はナビもなく、友達から簡単な地図をもらい、それを頼りに走っていました。当時はベルリンの壁もありましたね。ですから、東ドイツには行けず、西ドイツだけでした。車の壊れやすそうな部品はいくつか持っていきましたが、不要なくらいに絶好調でした。
【本紙】 ありがとうございました。では、お友達をご紹介ください。
【秦】 ヤマト運輸の向かいにあるフィー&コーのオーナー鈴木英行さんを紹介します。
【本紙】 ありがとうございました。新しい何かに期待して楽しみにしています。(秦さんは骨とう品を扱っていただけに雰囲気のある方でした。今月中はお店にいることもあるそうです覗いてみたらいかがですか?)
※秦 河勝(はた の かわかつ)は、秦氏の族長的な人物であり、聖徳太子に強く影響を与えた人物とされる。
アンテークショップ リーベは2022年12月末をもって閉店しました。
長い間ありがとうございました。