あっという間に一月もあと二日。寒さも厳しくなりますが、梅のたよりが届き春の訪れが楽しみな今日この頃です。さて、本日の友達の輪は小澤電気設備鰍フ小澤一郎さんよりご紹介いただきました残間登志子さんです。残間さんと小澤さんはPTAでご一緒された間柄だそうで、残間さんは箏(こと)や三絃(三味線)の師匠としてご活躍されている方です。
箏・三絃
師匠 残間 登志子さん
本紙取材 木 康夫
【木】小澤さんよりPTA活動で大変お世話になった方とご紹介いただきました。よろしくお願いいたします。
【残間(敬称略)】こんにちは。こちらこそよろしくお願いいたします。PTAはなつかしい思い出ですね。中学校という限られた期間の中でしたが、小澤さんを始めたくさんの方々や先生方と色々な活動をさせていただきました。現在は西中学校の学校評議員として外側から学校を見守る役を担っております。
【木】箏(こと)、三絃の指導をされているようですが?箏は小さいときからやられているのですか?
【残間】私は長野県上田市の生まれですが、長野県は箏曲が盛んで、上田市にも師匠が多くいらしたようで看板もよく見かけました。私が生まれ育った自宅の隣にも箏の先生がお住まいで、毎日箏や三絃のおけいこの音色が聞こえるという環境でした。箏と三絃と尺八での演奏を三曲合奏と呼びますが、上田市をはじめ長野県内には三曲にかかわる人たちで構成する三曲協会がそれぞれの市町村にありました。全国どこにでもあるものと思っておりましたが、こちらに来てみましたら春日部や越谷市にあるくらいで、びっくりしました。私の母は幼いときに箏を習いたかったようですが、母には兄弟が多く習わせて貰えなかったそうで私に夢を託したのかもしれません。昔から六才の六月に習い事を始めれば長続きすると言われ、私も六月ではありませんでしたが六才からお稽古ごととして始めたのです。箏にも柔道の「段」のように「伝」といってお免状があります。初伝から中伝、奥伝、そして皆伝となり教師となります。私は二十三才の時に教師のお免状をいただきましたが、嫁いだり子育てがあったりして三十才の時にこの地で教室を開いたのです。お箏を始めてかれこれ四十八年になります。また、三絃(三味線)は小さい頃は楽器自体が大きく扱いも難しいので、箏を先に学び成長してから三絃を習いました。
【木】真田幸村で有名な上田市ですね。箏について教えて下さい?
【残間】箏」は今から二千年程前、中国の秦の時代に初めて作られました。日本には奈良時代のはじめに伝わり、以後、雅楽として宮廷、神社の儀式音楽として用いられました。全長六尺の桐の共鳴箱に、絹製やテトロン製の十三本の弦を張り、音階を作る「こと柱(じ)」を立て、右手の親指、ひと指し指、なか指に爪をはめて奏する楽器です。大きく分けて生田流と山田流の二つの流派があり私は生田流です。流派による弾き方と構えですが、生田流は箏に対して45度の角度で構え、山田流は90度真正面に構えます。また、生田流は爪の形が四角いものを用い、山田流は丸い爪を用います。箏曲は江戸時代に今日のもととなる古曲が生まれ、その後、「八橋検校」によって一般的となりました。以後、箏曲は盲人の専業となりましたが、一方で弟子たちが普及を進め、生田流や山田流箏曲の元となりました。元禄には「生田検校」が三味線との合奏を盛んにし、明治になると洋楽の影響を受け、大正には宮城道雄の新日本音楽が起こり、現代へ受け継がれています。現在では宮城道雄が考案した十七絃の箏も低音部の箏としてごく一般的に使われるようになり、歴史は古いのですが大正時代からの変貌著しい楽器のひとつでしょう。
【木】演奏会もされるのですか?
【残間】箏の音色はお正月のイメージなどとしてBGMなどで聞かれることも多いと思うのですが、実際に見る機会はごく少ないと思います。小中学校などで日本の楽器に触れるという主旨で演奏を依頼されたりしますが、低学年ですと演奏する曲が古典では飽きてしまいます。それで、ポピュラーな「ミッキーマウスマーチ」や「大きな古時計」などの曲をアレンジして聞かせたりしています。私は以前幸手中学箏曲部の指導をしていた事もありましたが、普段の一対一のおけいこと集団指導とでは自ずと方法が異なり迷う事も多かったのですが良い経験でした。残念な事にその箏曲部は廃部になってしまいましたが。 演奏会については、大田区にある家元の主催で五年に一度程大きな演奏会が開かれます。近年は三回続けて国立劇場で行われ、私は三回共出演しました。他にも東京文化会館や郵便貯金ホールなど色々な会場で演奏しましたが、国立劇場は演奏者にとって音がとり易く最高の会場です。何しろ参加者が四百人位という大演奏会ですから驚く程広いリハーサル室や充実した楽屋も気に入っています。また来年開催される予定ですのでとても楽しみです。私の直接の師匠(中野区在住)も年一回の演奏会を開いており毎回参加して、普段なかなかできない合奏曲など大変勉強になります。また、自分自身の教室での教え子も大人になって結婚や子育てで箏から遠ざかっていますが、教え子達と年に一回は西公民館やコミュニティセンターで演奏会を行なっていました。今後は、夢のひとつですが、個人のリサイタルを開きたいですね。
【高木】ぜひ、夢を叶えてください。ところで、趣味は?
【残間】箏が趣味なんですが。(笑)他にはお芝居、特に歌舞伎を観ることが大好きです。それで、都民劇場という観劇サークルに入っています。半年会費二八七〇〇円で毎月いろいろな公演の中から半年で五回観られるのです。都民劇場と言うので都民だけなのかなあと思っていたのですが、近県の方も大丈夫と言われ即入会したのです。今年も中村獅童ら若手が演じる新春浅草歌舞伎を観てきました。昨年はミス・サイゴンやレ・ミゼラブルなどのミュージカルや海老蔵、団十郎親子が出た新橋演舞場での歌舞伎も観ました。年間十回では足りませんね。他のものがどんどん観たくなります。(笑)
【木】それでは、お友達をご紹介ください。
【残間】西中学校でウエスタンフェスティバルという音楽を中心としたイベントを開催したときに知り合ったのですが、声楽家の藤井和枝さんをご紹介いたします。
【木】ありがとうございました。ますますのご活躍ご祈念いたします。
(残間家ではご長男のお孫さんが生まれたばかりのご様子で、「なによりの趣味は孫の顔を見ること」と残間さんは微笑んでいました。ちなみにお孫さんは「音色」ちゃんという女の子だそうです)