2006年11月5日



市民祭りも週末に控えた十一月三連休の最終日、友達の輪にはニコニコサークルの宇賀神夕子さんからご紹介いただきました青鹿美恵子さんに登場いただきます。青鹿さんは幸手ひがし幼稚園のおばあちゃん先生として、また、読売新聞さいたま支局のタウンリポーターとしても活躍されています。

読売新聞さいたま支局
ほのぼの@タウン
タウンリポーター 青鹿 美恵子さん
本紙取材 木 康夫

【木】こんにちは。宇賀神さんから幸手ひがし幼稚園で「おばあちゃん先生として子どもたちに人気の方」とご紹介いただきました。以前、弟さんである理事長の印田博秀さんにもご登場いただきました。ご姉弟での登場となりますが、よろしくお願いいたします。


【青鹿(敬称略)】こんにちは。宇賀神さんとはお母さんとも親しくさせていただいており、今回はおばあちゃん先生として紹介いただき恐縮しています。「おばあちゃん先生」の名付け親は子どもたちです。四、五年程前になりますが年中さんで入園してきた園児が私を見て「おばあちゃんせんせい」と呼んだのです。その場にいた若い先生たちは「シー、シー」と気を使っていましたが、子どもたちの世代も私たちの孫世代となり、その園児には自分のおばあちゃんが重なったのでしょう。以来、おばあちゃん先生が定着してしまいました。(笑)

【木】素敵な呼び名ですね。青鹿さんは幼稚園でずっとお仕事をされているのですか?

叔母が倒れて
夫婦で介護を

青鹿幼稚園は開園以来三十八年間になります。幼稚園以前は結婚して普通の主婦として子育てしていました。祖母の妹にあたり母の叔母にとても可愛がられ、いつかは世話をしてあげようと思っていた矢先に、脳梗塞で倒れてしまったの青鹿美惠子さんです。それで、夫婦養子として二十二才の時に叔母の家に入り世話をしました。叔母もオムツをしなければならなくなり、オムツの子どもたちが二人いましたので、毎日三人のオムツの世話で大変な生活でした。介護が長引くに連れ辛さが増しました。愚痴もこぼせません。気分転換に旅行したくても介護で無理でした。そこで、何か他に楽しみを見い出そうと考えたのです。

【木】介護の当事者は本当に大変ですよね。

新聞の投稿欄は
子育ての記録

青鹿小さい時から作文や手紙が好きで。小学校一年生のときのことでしたが、「お父ちゃん」という題で書いた作文が埼葛地区の「よしきり」に掲載されました。「よしきり」創刊号か第一号だと思います。とてもうれしかったですね。みんなが喜んでくれ、作文を書くことが好きな少女になりました。中学生の時に先生が「書く目が違う」とほめて下さいました。ほめられるということはすごいことですね。中学生では新聞部に入り、顧問であった岡広男先生に指導を受け、新聞記者になりたいと思ったほどです。それで、辛い時に自分が感じたことを新聞の投稿欄に出してみようと思ったのです。昭和四十三年十一月二十二日に読売新聞「気流」欄に「危険な子どもの火遊び」という投稿が掲載されました。認めてもらえたという気持ちもあってとてもうれしかったです。そして、辛さも吹き飛びやさしくなれた気がします。二十五才から多くの投稿を重ね三十八年が経ちました。自分が感じたままを書いた投稿は私の子育ての記録です。

【木】タウンリポーターもされていますが?

リポーターとして
新聞記者の夢が

青鹿読売新聞さいたま支局で「ほのぼの@タウン」というリポーターが取材して記事を掲載するコーナーがあります。このタウンリポーターの募集があり応募したところ採用されたのです。新聞記者が夢でしたから今になって叶った思いですね。(笑)取材は自分の足で歩きます。人と出会うことの楽しさと、物事を深く見られるようになりますね。視野も広くなりました。常に何か記事になることはないだろうかと思っています。県内にタウンリポーターがたくさんいますので掲載されるチャンスも多くはありませんが、これからもほのぼのとした記事を書ければと思っています。そして、今までに新聞各紙への投稿したものやコラム、タウンリポートなどがファイルされていますのでそれらを自分史とともに綴れたらと思っています。
青鹿美惠子さん
【木】すごいボリュームですね。青鹿さんは不思議な出会いがあると伺いましたが?

感動がとりもつ
不思議な縁

青鹿そうですね。自分でも不思議な出会いがたくさんあります。いくつかの例ですが、若い時に、しらさぎの写真家として世界でも有名な田中徳太郎先生の講演会を聞く機会がありました。そしてとても感動したのです。講演を終えた先生に一言感動のお礼を伝えたところ、先生から「それはありがとう、あなたお手紙下さいね」と言われたのです。すぐに感動を手紙にしました。一通の手紙からでしたがそれから先生との長い交流が生まれました。また、地主愛子先生の「お母さんなぜ僕を生んだんですか 少年期の魂の記録」という著書に感動し、お会いしたいと手紙を書いたのです。先生はたくさんの方たちと会えるのならいいですよとおっしゃってくださったのです。それで、幸手市PTA連合会で講演会を主催していただきました。地主先生には娘のように生涯お付き合いをいただきました。また、作家の住井すゑ先生、フランス文学者で翻訳家の朝吹登水子先生との出会いは忘れることができません。他にも児童文化研究家の吉岡たすく先生、故三平師匠夫人の海老名香代子さんや女優の有馬稲子さん、キャスターの東海林のり子さん、プロデューサーの残間里江子さん、ほかにもたくさんの著名な方たちと自分でも不思議なくらい親しくさせていただいております。感じたままを手紙にしてお送りしたことがきっかけですが、諸先生から頂いたお手紙は私の宝ものです。

【木】不思議な力をお持ちですね。では、お友だちをご紹介下さい。

青鹿ヨガの先生で和泉智恵子さんを紹介します。

【木】ありがとうございました。これからもタウンリポーターとして、また、おばあちゃん先生としてご活躍下さい。
(青鹿さんは著名な作家の先生をはじめ有名な方々と、感動という接点で豊かな交友を広げられたようです。作文を書くこと、手紙を書くことが好きな幼少時の輝きをずっと活かされて現在の素敵な人生があるのかなと感じました)




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