1997年8月24日発行
お盆も過ぎ、夏休みも残りわずかとなってまいりました。今回の友達の輪には幸手市緑台で酒店を経営されている小島屋東店(こじまやとうてん)代表取締役小島和夫さんより紹介いただきました、緑台の鴨料理のお店たからや幸徳代表取締役柴田恵三さんにお話を伺って参りました。
たからや幸徳 代表取締役 柴田 恵三さん
本紙取材 高木康夫
【高木】小島さんから何でも積極的に取り組み、決して怒らない方と伺ってきましたが。
見えるものは
すべて師と思え
【柴田(敬称略)】小島さんとは緑台商店会、幸手ロータリークラブ、そして野球部と共に活動させて頂いており、近所ということもあってとても親しくさせていただいています。怒らない人ですか?...そうかも知れませんね。自分のまわりで起こることや考え方も自分の考え方次第で変わって見えますから、マインドコントロールなんて言うと少々大げさですが、「見えるものはすべて師と思え」で相手のことを尊敬の目で見れば腹も立たないし、自分自身も楽です。それにストレスもたまりませんよ。でも、仕事となると厳しいですよ。(笑い)
【高木】なるほど。従業員さんはみんなハキハキしていて気持ちがいいですね。
いまどきの男性は
クリスタルみたい
【柴田】元気よく、大きな声で挨拶するというのが店の方針なんです。お店を始めようと思った時、デニーズで食事をしたのですが、その時とても元気のいい声で迎えられたのです。自分のお店もこんな風に活気があったらいいなという思いで従業員を厳しく指導し、(笑い)現在の接客応対になっています。でも、いまどきの男性はとてもシャイであまり厳しいと壊れてしまいますので気をつかっています。よくコップにたとえるのですが、今の時代、男性はクリスタルで、女性は宣伝用のコップなんです。女性には失礼かもしれませんが、ビールメーカーなどの名入れの宣伝用コップは丈夫でしょう、女性のほうがしっかりしていて我慢強いという事です。これを頭に入れた上で、指導に当たっていますよ。(笑い)
【高木】たからやさんはいつ開業されたのですか。
【柴田】昭和五十四年九月に開業しましたので、今年で十九年目になります。実家が巣鴨で蕎麦屋をやっているのですが、私は五人兄弟の次男なので何か財産になるものを残したいと考え、二十三才の時に土地を購入したのです。この時、どうせやるのなら出前をする普通の蕎麦屋さんではなく、高級感のある蕎麦屋をやりたいと思い、住宅地内の物件を探していましたら、神奈川県の寒川と幸手が候補に上がったのです。寒川の方は二百坪もあり、当時はまだ若く、お金もあまりなかったので幸手に決めたのですが、今となっては幸手に来て良かったと思っています。
高木 たからや幸徳さんは名前に意味があるのですか?
柴田 開店当初は「宝家」という名称だったのですよ。それは実家が「宝家」という屋号の蕎麦屋だったので幸手の「宝家」という意味でしたが、幸手に来て徳を得させていただいたという事と、父が徳一という名前でもあるので、「たからや幸徳」という名称に変えました。
【高木】料理はご実家で修行されたのですか?
【柴田】基本的な事は実家で学びましたが、実家は手打ちではないので自分で食べ歩き、見て歩き、勉強しました。蕎麦割烹をやるには、何か核になるものが必要で、日本橋に宮内庁御用達の「鳥安」という合鴨料理の老舗があるのですが、そこの鴨鉄板をヒントに自分の味の鴨鍋を考え出したのです。鍋というとポン酢が主流ですから、ここの鍋には「味がない」と言われ醤油を入れられた事もありましたが、今では合鴨料理が当店の味として定着しました。
【高木】お店のコピーに「鴨のひとりごと」とありますが?
【柴田】料理には、一品一品すべてに思いが込められており、お客さまに「こうして食べて欲しい」と、料理がひとりごとを言っているとでもいいますか、料理も人もみんな自分のカラーというものを持っていますから、それを「鴨のひとりごと」という形で伝えているのです。店の雰囲気も個性のひとつですが、私や家内を呼ぶときには「だんなさん、おかみさん」と従業員が呼ぶようにしています。これも、料理が出される雰囲気のひとつと思っています。
【高木】すべてが個性ですね。趣味などは?
【柴田】最近はやりのアウトドアですかね。家族みんなで外で遊ぶことが楽しみです。夏休みも友人の家族達と一緒に出かけてきました。それと、付き合い程度のゴルフとパソコンも始めました。パソコンは趣味と実益を兼ねてまして、お店のメニューはデジタルカメラで写真を撮り、パソコンを使って自分で作りました。出来がとても良いので自分ながらに感心しています。(笑い)逆に言えば最近のパソコンを使えば誰でも出来るということでしょうかね。
【高木】仕事を含めて夢などは!
【柴田】今、店は幸手と杉戸高野台の二店舗ありますが、長男もこの道に入ってくれるようで、現在は当店で勉強中ですが、近いうちに他人さまの所で修行させたいと思っております。それとは別に、峠の蕎麦屋のような、田んぼの真ん中でまわりを気にせず自由気ままに商売をしたいと思っています。それと、これは商売のことではないのですが、私は幸手に来て本当に幸せをつかむ街だなと思いましたし、これからもそういう街であって欲しいと思っています。街づくりには行政や商工業をはじめ「幸せをつかむ街」ということをPRしていって欲しいと思います。
【高木】そうですね。実体験ですね。では、お友達をご紹介ください。
【柴田】以前のことですが、私が緑台小学校創立十周年の年にPTA会長を務めさせていただいた時、記念事業や記念式典の準備などに活躍いただいた当時のPTA副会長の千原敏子さんを紹介致します。千原さんはその後も地域のボランテイア活動やPTA活動などに活躍され、幸手高校PTA会長もされていました。何にでも一生懸命がんばられるすばらしい方です。
【高木】ありがとうございました。これからもおいしいお料理をお出しください。
(見せていただいたメニューはパソコンで作ったすばらしいものでした。淡々と語るしぐさは個性あふれるお話が盛りだくさんでした。鴨のひとりごとがとても楽しく思えました。)