権現堂の桜も、もうすぐ咲き誇る穏やかな今日、朝萬旅館若だんな新井和博さんからご紹介いただきました聖福地若住職今井康隆さんに友達の輪にご登場頂きます。
聖福地(新寺)
若住職さくら幼稚園副園長・今井康隆さん
本紙取材・高木康夫
【高木】こんにちは。新井さんからのご紹介で、本日お邪魔しました。
【今井(敬称略)】新井さんには、自分が書いた本などを差し上げた事で、文化人などと紹介され少し照れています。
【高木】今井さんは絵を描いたり、執筆されたりしているそうですが。
【今井】趣味でやっている程度で大げさなものではないんですよ。子供の頃から人に影響されることが多く、高校時代に福宿光雄(ふすきみつお)先生という県教育史に残る有名な先生に美術部で指導を受け、叔母も画家なものですから、一時は絵の分野を目指したこともありました。でも、絵心を抱いていたのは30歳頃までですね。今は住職としての仕事が忙しいので殆ど手をつけていませんよ。(笑い)
【高木】この部屋にも沢山の作品がありますね、絵のほかに執筆活動もされているとか。
【今井】執筆活動と言われても本を何冊か自費出版した程度で、自己満足の世界です。
【高木】なぜ、本を書こうと思ったのですか。
【今井】自分で言うのもなんですが、学生時代は文学青年でして、いろいろな本を読みあさりました。これも影響だと思うのですが、当時、フランスの文学の指導を、現在TV等で活躍中の篠沢教授に受けており、言語の研究にと幸手の言葉をノートに書き綴ってました今思うと内向きな人間だったんですかね。(笑い)それをしばらくそのままにしていたのですが、何かパフォーマンスしたくて、八年程前に「だべえ、だんべえ、幸手弁で幸手を語ろう会」という幸手弁の特徴を文法的にまとめて冊子にしたのです。言葉の上でも故郷を忘れていってしまうという事が寂しく感じたのでしょうね。冊子を近くの床屋さんやスタンドにおいてもらい、読んでもらいました。その後、割と反響があっていろいろな人から、欲しいと言われました。何か、うれしい気分でしたよ。
【高木】何でも、反応があるとうれしいですよね。
【今井】そうですね。それと、当時の檀家さんは農業を営んでいる方が多く、昔の話をよくしてくれるのです。昔の幸手はこうだった、こんなことがあったなど、茶飲み話として歴史を話してくれます。農業地帯ですから、治水や川のことなどは、現在の幸手を語るに興味深いものがあり、個人的にいろいろ調べたりしました。幼き頃を思い出し、のどかな風景が頭の中で絵となり心を落ちつかせ引きつけることを感じたのです。それで「ヨシキ」という主人公の名をタイトルとした、大人に読んでもらう童話を、昔の、のどかな幸手を舞台に書いてみました。絵は得意でしたから、さし絵も自分で描き、自費で出版しました。そして親しい方たちへ差し上げましたが、今回はあまり受けませんでした。(笑い)その後、個人的なものをいくつか出しましたが、やはり自己満足ですね。
【高木】なるほど、今井さんを紹介頂いた荒井さんが文化人と言われるのもわかるような気がします。ところで住職というお仕事は忙しいのでしょうね。
【今井】私は現在聖福寺の副住職とさくら幼稚園の副園長をしておりまして、肩書きの上ではすべてサブなんです。両親が健在ですが、実務を任されてますので、忙しいの毎日です。住職という仕事はその名のように住む職業で、中国では住持とも言われてます。最近は週休2日制が定着し、法事なども土曜日に行う家が増えました。ですから、私達に仕事は週休2日制になってから、年休2日になりました。(笑い)当時は15世紀中頃建立され、五百数十年も歴史があるのに、今井としては私で3代目なんです。
【高木】え、それはどうしてですか。
【今井】当時は、浄土宗ですが昔はお坊さんは結婚せず、家庭も持っていなかったようです。師匠と弟子の継承でお寺を守ってきたのですね。ですから、お坊さんが家庭を持ち住職を務めるようになったのはまだ、100年くらいの歴史なのです。明治初期にはお寺の力と檀家の結束力が邪魔になり、政府が力の分散を図ってか、仏教の世界の世俗化を行ったのです。当時「妻帯おかまいなし」という意味の制令が出されました。今にして思えば、仏教自体の現実主義と自浄作用が生まれ、現在も仏教が受け入れられているのかも知れません。
【高木】なるほど。知りませんでした。それでは仏教の現代的な有効性とは何でしょうか。
【今井】私個人の考えですが、まず死後の世界がきちんと設定されているという事です。人間はいつかは亡くなる訳ですから、その後の世界が確立されているという事は精神的にも、落ちつくものです。大病を患ったりすると良くわかります。また、生きる上での欲のコントロールです。文明は能力とお金があれば、幾らかの幸せを得られる時代に入りました。しかし、欲望を追求し、人としての能力を超えたものには、人としての幸せはありません。法話では、足るを知る「知足」、足下を看る「看脚下」などの言葉で説明しています。
【高木】勉強になりました。今井さんはさくら幼稚園では先生もされるのですか。
【今井】今は少なくなりましたが、住職が忙しくなる以前、子供たちに絵の指導をしてました。子供が少なくなった社会に入り、お寺の幼稚園も曲がり角にきている時代ですが経営ばかりを考えるのではなく境内で楽しく遊ぶこどもたちに心豊かな園児教育をしていこうと、昨年5月にさくらホールという仏壇のあるホールを竣工し、日常の中にも優しさを学べる環境づくりに精進しています。
【高木】そうですか。きっと、心豊かな子供たちに育つことでしょう。それではお友達をご紹介頂きたいのですが。
【今井】私の親しい同級生に芸大の助教授がいるのですが、偶然、その弟さんとPTAを通じて知り合い、意気投合した尾登栄治さんを紹介いたします。
【高木】ありがとうございました。これからも、各方面でご活躍下さい。
【帰りがけに境内にある今井さんの石の彫刻作品を見せて頂きましたました。
硬い石にとても柔らかい曲線を彫った温かみのある作品でした】