友達の輪8(尾登英治さん)

1996年4月14日



桜まつりも華やかに終り新緑の季節となりました。聖福寺若就職、今井康隆さんからご紹介の尾登栄治さんに、ご登場いただきます。

ギャラリーおもぼり
代表・尾登 栄治さん
本紙取材・高木 康夫

【高木】こんにちは。今井さんからのご紹介で本日お邪魔しました。

【尾登(敬称略)】今井さんとは、PTAで知り合い、絵の仕事をしている関係で話が合い、ご紹介いただいたのでしょうが、私などで良いのでしょうか。

【高木】このコーナーは、本年一月からスタートし、尾登さんで8人目なんです。隔週でお話を伺わせていただく企画です。よろしくお願いいたします。早速ですが尾登さんは、画商をされているそうですが。

陸上選手から
 絵画の世界へ

【尾登】今年3月1日に新橋駅前に「ギャラリーおのぼり」を開店いたしました。

【高木】以前から絵画などのお仕事をされていたのですか。

【尾登】私は幸手幼稚園、幸手小学校、幸手中学校、幸手商業高校とすべて幸手で、中高時代は陸上に燃えてました。当時評価を頂き推薦で、東海大と陸上に力を入れていた三越から声が掛かり、三越に入社しました。そこで今日九十年の歴史を誇り、当時は百名を超えるスタッフのいる美術部に配属されました。ですから、陸上をやっていた私には、縁のない絵の世界で社会人がスタートしたのです。当時は名前の通り「おのぼりさん」状態でしたよ。(笑い)

【高木】戸惑いませんでしたか。

【尾登】18才ですから、価格の桁が違うのには驚きました。それと、当時は絵画ブームで展示会を催すと、開店と同時にお客様が走って買いに来るのです。著名作家の作品を扱ってましたから、欲しい方は、何よりも早い階段で六階の催事場に走ってくるのです。高額な絵画ですから金銭感覚が狂いました。(笑い)

棟方志功に
 魅せられて

【高木】玄関や、部屋にも棟方志功画伯の絵がありますが。

【尾登】棟方画伯は作品を通じて私の人生に、大きな影響を与えた1人です。晩年の棟方画伯にもお会いしましたが、初めて会ったにも関わらず数十年来の友人のように対応される方で、人柄にも惹かれました。画商を通じて画伯に大変興味を持ち、全国にある棟方美術館や画伯の足跡を今でもの訪れております。

【高木】棟方画伯の作品は版画が多いようですが。

【尾登】そうですね。棟方画伯は青森に生まれたのですが、雑誌でゴッホの「ひまわり」を見た時「これだ!」と思い「私はゴッホになる」と考えたそうです。実はゴッホという画家を知らず、ゴッホとは油絵の総称と勘違いしてたのです。そして、油絵を目指し「ゴッホ、ゴッホ」といつも口にしてたそうで、田舎でなまりもあり「志功はいつも風邪をひいて治らない」なんて逸話も残っています。(笑い)  上京した棟方画伯は油絵画家を目指し、帝展(現日展)で何度も落選し、後に崇拝するゴッホに影響を与えた浮世絵を知り、版画家を目指した訳です。傑作を次々と発表した棟方画伯はサンパウロ・ビエンナーレで版画部門のグランプリを受賞し「日本のムナカタ」から一躍、「世界のムナカタ」として知られるようになりました。

【高木】お話しを伺っていると引き込まれますね。

気がつけば
 ニューヨーク

【尾登】画伯の作品で「湧然する女者達々」という絵があるのです。これが日本で1枚出したのです。入手して喜んでたんですが、この作品は上を向いた女性3人のものが1枚、下を向いたものが1枚という2枚1組のものなのです。1枚だけでも価置がありますが、米国のクリスティーズオークションのカタログにもう1枚が出ていたのです。見た瞬間にニューヨークに飛んでいました。事前に本物がどうかの下見も必要ですし、大きなオークションで、競りも初めての経験でしたから、画伯の作品1枚に現地で日々を費やしました。競り当日、1番後ろの席に座り、競売人の掛け声で、志功の作品を競り始めました。5万ドル(当時1ドル160円位)からですが、1万ドルずつ競り上げるのです。自分の予算もあり、相手と競るため自分の競り値は偶数になり、すぐ10万ドルになりました。相手が11万ドルと出た時は、異常な興奮と緊張の中で12万ドルと競り値しました。時間は1分位なのですが、早くハンマーを叩けと、手に汗握りました。今でも忘れませんが、ハンマーの音が鳴り響き、会場に人たちが後ろを振り返った瞬間に、思わず「イエーイ」とガッツポーズをしてました。笑い)

【高木】聞いているだけでもどきどきしますね。

【尾登】実は、この作品がビエンナーレでグランプリを取った作品なんです。2枚の作品として描いてますから、画伯の意志をなんとしても日本に持ち帰り1組にしたかったのです。棟方版画の競りとしては海外オークションの最高値となりましたが、画商としての役割が果たせたようで、鳥肌が立ちました。

【高木】知識と経験と本物を感じる豊かな心が必要ですね。

子供たちに
 絵を観せたい

【尾登】絵というものは、掛けてあると、景色や風景のように身体に自然と入ってくるのです。意識をしてなくても豊かな心や感性が養われています。画家の感性や心が絵を通じて伝わるのでしょう。大自然の中で、心が洗われるように、絵も心の景色になっていくのです。こういう仕事をさせていただいていますので、昨年ですが、著名な画家の本物の絵を子供たちに見せて上げようと、東小学校で絵画展を開きました。PTAと教育委員会にも協力頂き、搬入から展示まで行いました。高額な作品ばかりでしたので、携わった方々は興奮されてました。

【高木】絵画展が都心の美術館等で開催されますが、地元での身ごたえのある絵画展は素晴らしいですね。

【尾登】夢なんですが、棟方画伯の作品展を幸手で開きたいのです。作品を集めるのも大変ですが、幸い画商という仕事を通じて志功コレクターと親しくさせていただいてますので、代表作品を地域の方々にお見せできるのではと夢を抱いております。

【高木】実現するといいですね。では、お友達をご紹介頂きたいのですが。

【尾登】PTAや子供会等で、夫婦でお世話になっております東2丁目にお住まいの田代美智子さんをご紹介させていただきます。田代さんは現在東小学校のPTA副会長をされてます。

【高木】ありがとうございました。新橋駅前のニュー新橋ビル6階のギャラリーにも、お邪魔させていただきたいと思います。ご活躍期待します。

【尾登さんの人柄と棟方志功が重なって見えてきた有意義な対談でした。また、仕事や生活そのものが趣味といった輝いた方でした。】

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