平成八年一月一日に幸手市長である増田実さんからスタートした「友達の輪」も四年間という時間を経て、友達から友達へと紹介され、本日記念すべき百番目の方となりました。今日の友達の輪に登場されますのは小森谷幸治さんから紹介頂いた梨本燃料店二代目の梨本富蔵さんです。梨本さんはバスケットボール連盟副会長や幸手市商店連合会や夏祭りなどの振興会でも活躍されている粋な方です。
梨本燃料店
若社長 梨本富蔵さん
本紙取材 高木康夫
【高木】こんにちは。この企画にとっては記念すべき百人目の方との対談です。よろしくお願いいたします。幸手バスケットボール連盟で副会長を創立以来お願いしていると、小森谷さんから伺ってまいりました。
【梨本】私で百人目ですか?すごいですね。宝くじも当たった事がないのに、何か運が近寄ってきそうですね。(笑い)小森谷先生とは幸手中学校一年生のときバスケット部の顧問として出会いました。実は、中学校に入って野球部と陸上部に引っ張られ、しばらく二つのクラブを移りながら経験しました。当時幸手中バスケットボール部は屋外で練習や試合などをしており、野球部や陸上部のすぐ隣でやっていましたので面白そうだなと興味深く見ていました。また、中学校ではじめて見たスポーツだったのと、小さなコートの中で「飛ぶ、走る、投げる」といったスポーツの三要素が入っており、かっこいいなと感じたのです。いつのまにかバスケットの魅力にひかれて籍を移していました。
【高木】なるほど。恩師と言うわけですね。
【梨本】連盟創設期は年一回の市民バスケットボール大会後援などが主で、どちらかというと遊び中心な活動でした。ところが、レベルが上がってくると、いつのまにか、「やるからには勝とう」という気持ちが強くなり、勝つためのチームづくりが主となってきたのです。二十六年前でしたが、県登録をするために幸手バスケットボール連盟に加盟しているチームから選手を選抜した「幸手クラブ」というチームを作ったのです。このチームが実力をつけてきて、県大会では常に上位に食い込み、ベスト4入りや優勝までするチームに成長しました。関東大会にも数回出場し、連盟としてもチームとしても絶頂期を迎えておりました。しかし、その反面、若手育成に力が入らず、結果的に次期後継チームが育たないまま選抜チームの平均年齢が上がってしまい、今から十年ほど前になりますが、「幸手クラブ」のハイレベルなゲームは一世代で終わってしまったのです。
【高木】現在はどうなのですか?
【梨本】幸手クラブのメンバーがそのまま時間だけ重ね、年齢を高めバスケットを楽しんでます。(笑い)いずれは第二期の黄金時代を作りたいと思っていますが、まずは、技術や勝つことよりも多くの仲間を増やし、若い世代の有望な選手をピックアップしたいと思っています。
【高木】もう一度、活性化させたいと言うことですね。活性化と言えば駅前商店街でも企画を検討中とか?
【梨本】幸手駅前を含む天神神社を中心とした天神町商店会という名称ですが、客足が減少していく傾向があり、地域の商店主にとってもカンフル剤を期待する声が高まっています。商店会の会長という大役を受け数年が経過するのですが、地域性を考えると、まずは、イメージづくりと存在感をアピールする必要があると感じました。さくらまつりの期間中でしたが、商店会の加盟店エリアマップとサービス商品を掲載したチラシ広告を配布してみたのですが、「ここが天神町なのか」といった声が聞えてまいりました。昔から住んでいる人たちでしたらわかる旧町名も転入された方々には初めての響きだったようです。改めて、存在感を伝えていかなければと感じました。
【高木】なるほど。商店会の魅力ってなんでしょうか?
【梨本】まずは生活する上で必要なものが揃うという絶対条件が必要です。それと、地域に根ざした親身なサービスが提供できなければいけないと思っています。そうでなければ大型店や足を伸ばして遠くまで買い物に出掛けてしまいますから。ところが、不況が先なのか、商店会としての対応が遅いのかは別として、大型店に優るだけのきめこまかな消費者ニーズに答えられない事が現実です。ですから、心機一転、イメージづくりから取り組んで、消費者とのコミュニケーションを持つ機会を作り、ニーズを吸収できる商店会を目指したいと考えています。来春ですが天神神社内にてナイトバザールを開催したいと考えています。地元の人や商店の人など参加型でフリーマーケットなども取り込んで、楽しみながら地域の交流をしたいと考えています。
【高木】梨本さんらしい発想ですね。聞くところですと、宇多田ヒカルさんとお知り合いとか?
【梨本】知り合いということではありませんが、以前、藤圭子さんの後援会があり、地区会長をしていたことがあるのです。毎年、藤圭子さんの誕生日に愛知県の長島温泉で盛大な誕生パーテーが開かれるのですが、その司会を連続三年間やったりもしました。きっかけは、高校三年の時、友人と浅草に遊びに行き、なぜか、友人に誘われるまま浅草国際劇場に入って「橋幸夫ショー」を見たのです。(笑い)その時、藤圭子さんが新人として出ていたのです。インパクトが強かったのでしょうね。それと、自分の生年月日が昭和二十七年五月七日で藤圭子さんが同年の七月五日という語呂合せもあって、ファンクラブが出来ると同時に友人と二人で入会したのです。それ以来、後援会ではいつのまにか中心にさせられてしまい、大ブレークのヒカルちゃんとも幼い頃何度か会った記憶があります。もっと、親しくしておけば良かったですね。(笑い)
【高木】そうですね。では、お友達をご紹介下さい。
【梨本】家族ぐるみでお付き合いさせていただいてる青田真芳さんを紹介します。青田さんは真花園という花屋さんをやっており、とても面白い方です。
【高木】ありがとうございました。商店連合会副会長や体育指導員連絡協議会副会長、消防団部長など他にも多くの役職を兼務されてるようですが、どうぞこれからも地域の要としてご活躍下さい。
(百人目である梨本さんは「我が人生に悔いはなし」という言葉が大好きだそうで、今進んできた道がすべてであって、過去は振り返らないそうです。趣味はバスケットはもとより、ゴルフにスポーツ観戦と幅広く、最近では家族共々旅行も楽しみのひとつだそうです。悩みは現実的なことが目の前に山積しており、夢を育む暇が無いということだそうです。でも、明るくて、面倒見の良い性格は地域の人気者で、若い人たちからは慕われております。)