2000年3月5日



 桃の節句も終わり、これからは三寒四温で春に向けて暖かくなってまいります。何かミレニアム、ミレニアムと年の瀬に騒いでいたのに、もう三月と、時の経つ速さに驚いているのは私だけでしょうか。今日の友達の輪にはあさひ銀行幸手支店長の堀内敏彦さんにご紹介いただいた幸手駅前でモリタ鍼灸接骨院を開業されている森田一郎さんにお話を伺ってまいりました。

モリタ鍼灸接骨院・東武腰痛センター http://www.im21.co.jp/
院長・センター長 森田 一郎さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】こんにちは。あさひ銀行の堀内支店長から釣り仲間と伺いましたが。

【森田(敬称略)】堀内さんとは、石井酒造の石井社長さんに誘われた海釣りでお会いして以来お付き合いをさせてもらっています。色々お話をさせて頂くだけで大変勉強になり、今後も海も含めて公私ともにお付き合いをお願いしたいと思います。

【高木】よく海へ行かれるのですか?

趣味は海と
  日々のウエィト・トレーニング

【森田】私の趣味は海です。もう二十年以上続いているでしょうか。昨年の夏には「小型船舶一級」も取得しました。もちろんヨットやダイビングも好きです。私の夢は「遠くの無人島に自分の船で行くこと」です。今でもこの夢は変わっていません。この趣味を通じて仕事以外のたくさんの仲間が出来たことが、私の大切な財産と言え、海に出たときの仕事とは違った緊張感がストレス解消の一番の方法です。

【高木】なるほど、他に趣味は?


【森田】趣味と言ったら何ですが、患者さんを治療する者として「心身共に健康でありたい」と常に考えております。そのために水泳とウエィト・トレーニングは毎日のように行っています。また、ユニセフ、ロータリークラブ、青年会議所OBの活動を通して、次代の育成・地域への貢献を心がけております。

【高木】以前はサラリーマンだったとか、どうして今の職業に?

代々建築業
  継いでいれば五代目

【森田】私の家は代々建築業をしていました。もし私が継いでいれば五代目となります。私も建築業を継ぐものだと、大学は建築学科に進み、卒業後建設会社に入社しサラリーマン生活を五年間送りました。その頃、今でも親しくお付き合いをしている、横浜のとある接骨院の先生と知り合いになりました。いろいろな話を聞いているうちに「人がたくさん集まる仕事、人の為になる仕事をしたい」とという子供の頃からの思いを実現出来る仕事はこの職業だ、と接骨医になろうと決心しました。建設会社を退職後、柔道整復師の資格をとるべく、渋谷にある専門学校で学びながら横浜の接骨院で研修をしました。そして国家試験に合格し三十三歳で幸手駅前にモリタ鍼灸接骨院を開業することになりました。遠回りしたと言えばそうかもしれませんが自分の理想とする仕事に就けたと思っています。

【高木】開業十二年目だそうですが、四月からの介護保険法の施行等もあり変化がありますね。

「健康なままでの生涯」
  を叶えたい

【森田】モリタ鍼灸接骨院を開業しましてお陰様で今年十二年目となりました。現在はモリタ鍼灸接骨院と、東武腰痛センターの二体制となっています。朝七時より夜八時までの診察で、送迎サービス(六十八歳以上の方、十`以内なら無料送迎)を行っています。当院では女性の方に特に多い外反母趾の専門的な治療に力を入れており、多くの患者さんに喜ばれています。身体の痛みは本当に辛いことですから、患者さんの痛みを和らげる為に私たちスタッフも日々勉強を重ねています。また、二十一世紀は「健康の世紀」と呼ばれ、厚生省も大きなプロジェクトを計画しており、今後抜本的な医療改革が進められていくでしょう。今の我が国の問題は、高齢化社会に伴い医療費が大幅に増大し国家予算を急激に圧迫していることです。介護保険も形が整ってくるでしょうが、私個人としては、できれば介護サービスを受けずに健康なままで生涯を終えたい、と願う老人が多いのではないだろうかと思っていますし、今後健康であり続ける為の医療が重要になってくると認識しています。

【高木】病気にならないことが大切なんですね。

考え方の基本は
  「世のため、人のため」

【森田】特に老人は一度病気になり入院してしまうと、長期化したり、そのまま寝付いてしまう事例が多く見られます。これを防ぐ事により、本人が自宅で日常生活を送れ、家族の負担を減らし、ひいてはパンクしかかっている国の医療費を軽減できるのです。そういう意味からも今年で三年目になる「送迎サービス」はだいぶ軌道にのってきました。何と言ってもこの業界で初めての事だったこともあり、始めた頃は暗中模索という感じでした。しかし、患者さんに喜んでいただいたことが大きな励みとなってここまで続けてこれたのだと思います。というのもこのサービスは私なりの確固たる考えがあって始めたことだったのです。今後急速な高齢化が進展する中で我々も高齢化社会の一役を担えるような事が出来ないかと考えていました。そして『何が出来てそれが何の役に立つのか』を模索する中で自分なりに辿り着いた結論が「送迎サービス」だったのです。これは言い換えれば『在宅看護』です。〜老人を寝たきりにしない・させない〜為に出来る一つの方法と考えます。今年の四月より介護保険法が施行されますが、今後も高齢化問題に私なりのアイディアも取り入れながら、地域の健康の担い手という意識で真剣に取り組んで行きたいと思います。こんな風に考えるのは、私は『世のため、人のため』という気持ちを持って毎日生活しているからで私の考え方の基本となっています。

【高木】なるほど、それではお友達をご紹介してください。


【森田】幸手混声合唱団の指導者でもあり、音楽教室ポコアポコ主宰の刈谷哲朗先生をご紹介します。私は昔からクラシックが好きでよく聞いていたこともあり、友達に誘われて合唱団に顔を出したことがきっかけでお付き合いしています。その後ピアノを教えて頂いたり、私の結婚式にはご夫婦でオペラをデュエットして頂きました。とても明るいお人柄で、心から音楽を愛する素敵な先生です。

【高木】ありがとうございました。これからも、地域医療にご尽力下さい。ご活躍をお祈りいたします。

【取材当日も早朝から診療をされ、お昼休みのわずかな時間にお話を伺うことが出来ました。無人島に自分の船で行くという夢を今でも追いつづけ、今年あたりは小さな船でもいいから一歩夢に近づきたいと熱く語るスポーツマンでした。】

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