2000年4月2日



 権現堂堤では桜まつりの真っ只中、すっかり春一色の今日この頃です。本日の友達の輪にはポコ・ア・ポコミュージッククラブを主宰され、指揮者、声楽家でもある苅谷哲郎さんからご紹介いただいた幸手混声合唱団の片岡さと子さんに登場頂きます。

幸手混声合唱団
団員 片岡 さと子さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】こんにちは。苅谷さんから文化論や教育論を話し合う機会が多く、しっかりしたポリシーをお持ちの方と伺ってまいりました。混声合唱団にはご夫婦で参加されてるとか?

【片岡(敬称略)】こんにちは。私共は夫の仕事柄転勤が多く、そろそろ根を下ろす場所をと考えて幸手に移りました。そして、何か地域との関わりをと考えていましたところ、幸手混声合唱団のお誘いがあり、混声ですから夫婦で参加できますので入団しました。混声合唱団に入ってから八年になります。

【高木】海外の生活が長かったようですが?

【片岡】初めての海外生活は、娘が幼稚園に入って半年過ぎた頃、映画の「ウエストサイド物語」で有名になった大西洋とカリブ海に囲まれた小さな島プエルト・リコでした。二回目は小六の夏、メキシコでした。高校入試直前に帰国してきました。そして、三回目は大学生になる時で、オランダでした。この時、夫は単身赴任でしたので、私たちが実際生活した期間は、毎年の春と夏の休みだけのわずかなものでしたが、学ぶものは沢山ありました。

【高木】初めての海外生活はどうでしたか?

迎え入れる心と
  システム

【片岡】プエルトリコは公用語としては英語ですが、日常的にはスペイン語が母国語です。娘と私にとっては言葉はもとより何もかもが初めての事ばかり、緊張と不安でいっぱいでした。とりわけ娘に関しては「友達が出来るかしら」「学校は嫌がらず行ってくれるかしら」「勉強は…」といった具合に心配ばかりでした。が、今思う事は帰国して日本の学校(社会)へ慣れる事の方が余程大変な事だという事です。よく、日本では「仲間入り」といって、子どもが幼稚園や小学校に通い始める時に、一緒に通う子どもたちにちょっとしたプレゼントを親が用意して仲間に入れてもらうような慣習が現在はわかりませんがあります。日本の社会では出来上がったところに入れてあげるという印象が強いのですが、むこうの社会では学校でも地域でも新しい人を積極的に迎え入れようという姿勢を強く感じるのです。最初の国プエルト・リコでは、言葉の通じない娘に対し世話好きの生徒を付けてくれたり、ささいな事でも親に連絡してくれるのです。大人の社会でも同様に、これはメキシコに居た時のことですが、アメリカ人の「ニュー・カマー・パーティー」に誘われ参加しました。参加者はそれぞれ一品を持ちより、それをいただきながら暫く歓談し、全体が和やかになってきた頃、全員が様々な体験談などを混えながら自己紹介。新しい友人が一日でも早く環境に慣れ友達が見つけられる様にと、こんな事からも積極的な迎え入れの気持ちを強く感じました。日本人社会にも歓迎会はありますが、同じ職場やクラブといった狭い範囲で行なわれるのに対しアメリカ型の歓迎会はもっと範囲を広げたものであるという事とその為のシステム作りがしっかり成されている事にも感心しました。子どもの社会も大人の社会も、全員で歓迎してくれる姿勢には学ぶところが多いように感じました。日本でもこの様なシステムがあれば公園デビューで悩んだり春奈ちゃん事件のような悲惨な出来事は起こらなかったように思います。

【高木】子育ての違いなど感じましたか?

積極的なしつけと
  消極的なしつけ

【片岡】はい、感じました。私は娘によく「人に迷惑をかけない様に」「人が嫌がる事はしない様に」と言って聞かせていましたが、私の友達の外国人の多くは「人の為になることをしよう」「人が喜ぶことをしよう」と言って聞かせるんだそうです。私は目から鱗が落ちた思いでした。迷惑をかけないことや、嫌だと言うことをしないことは何もしなくても出来ることで、消極的な行為です。しかし、人の為になること、人が喜ぶことをするというのは相手のことを考えて又同時に相手の事を知っていなければ出来ない積極的な行為なんです。それと、日本人はアピールが得意ではありませんね。これも先程の子育ての差から来るのでしょうね。外国人は実にアピールが上手です。大げさな表現になってしまいますが、アピールによっては人生が大きく変わってしまいます。湾岸戦争のときの事を思い出して下さい。日本は人的支援は無理ということで、金銭的には相当額の支援をしたことはご存知でしょう。でも、それに対する国際的な評価はずいぶん低いものでした。アピールすることも大切なものだと感じました。

【高木】教え方一つで行動までが変わってしまいますね

子どもはみんな天才!!

【片岡】娘はABCすらわからない状態で未知の国での生活を始めた事になります。唯一外国人の話している言葉で聞き取れる単語といったら自分の名前「リョウコ」だけでした。そんなある日、自分よりも年下の子から「リョウコ」と呼び捨てで呼ばれ、ひどく腹を立てていました。彼女にとって最初のカルチャーショックですね。日本では「ちゃん」付けが一般的ですから、まして年下から呼び捨てされる事には暫く納得出来なかったそんな彼女も、遊びを通して日本語と外国語のニュアンスの違い等を理解していった様です。子どもの頭の切換えはみごとで、学校では英語を話し友達と遊ぶ時はスペイン語、家庭に戻れば日本語をと気が付いた時には自然に使い分けていました。子どもたちの感性は素晴らしいものですね。余談ですが、娘が「ダーメ、アーグア」(水、ちょうだい)とスペイン語で言って来たとロッサリンが我が子の事の様にうれしそうに私に知らせに来てくれた日の事は今でもハッキリと覚えています。

【高木】それでは、お友達をご紹介下さい。


【片岡】主人がアコースティックな楽器が好きで、音楽バンドなどを通じて家族ぐるみでお付き合いさせていただいております松村好啓さんをご紹介させていただきます。松村さんは幸手動物病院を開院されております。

【片岡】ありがとうございました。今日は私も子どもを持つ親として大変勉強になりました。

【グローバルな視点からのお話は経験に裏打ちされるもので、メキシコでは大統領選の直前に赴任し、卵や牛乳などが価格統制されて手に入りにくい経済を経験されたそうです。しかし、新しい大統領になったら今まで手に入らなかった品がどんどん入ってくる現実に政治というものの大切さを肌身で感じられたそうです。もう一度視野を広げてみる必要性を感じました。】

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