2000年6月11日



 梅雨の季節も、もうそこまでやってきております。本日の友達の輪は牛村病院院長のお母様でいらっしゃる秋間富美子さんからご紹介いただいた、東鷲宮駅前で温泉を掘られた白石昌之さんにお話を伺ってまいりました。白石さんは鷲宮町で日本一若い教育長をされたり、また、幸手ロータリークラブでもご活躍されております。

百観音温泉
社長 白石昌之さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】秋間さんからご紹介頂きましたが、幸手ロータリークラブに所属され多方面にご活躍と伺いましたが?

【白石(敬称略)】幸手ロータリークラブには入会して三十三年になりますので、今では四番目に古い会員になってしまいました。幸手ロータリークラブに入ったきっかけは、クラブが出来る時に小学生からの付き合いがある友人から声を掛けられたのです。その友人とは小学生の頃でしたが幸手、杉戸、桜田村(現在鷲宮町)、栗橋の五、六年生児童に千葉の館山で合同の臨海学校が開催され親しくなったものです。以来、今でもお付き合いしていますが、学校を離れて多くの人達と出会う環境のすばらしさを、最近の子どもたちにも伝えてあげたいですね。

【高木】長いお付き合いですね。教育長もされていたとか?

昔、教育委員は
  選挙で選ばれていた!

【白石】現在の教育委員会は市町村長の指名制になっておりますが、昭和三十一年十月一日まで教育委員会は教育委員会法の中で公選制、いわゆる立候補して選挙で決定する方法で選任されていました。法改正の直前でしたが、三十年十二月に鷲宮町と桜田村が合併した際、地域から押されて教育委員に立候補し教育委員になりました。その後、指名制になりましたが、昭和三十二年、教育委員会内の互選により教育長に指名されました。三十二才の時でしたので、日本で一番若い教育長と、ずいぶん騒がれた記憶があります。昭和四十九年まで務めましたが、その間文部省の派遣により、ヨーロッパ第七期教育視察団として埼玉県を代表して六十日間参加したりしました。実は同時期に幸手ロータリークラブの設立にもかかわったり、公務との両立が大変でした。

【高木】ところで、温泉を掘る事をどうして思い立ったのですか?

仲間四人で
  湯河原の温泉掘り

【白石】実は過去にも温泉は掘っているのですよ。友人が伊東と湯河原にいるのですが、伊東の友人の家には温泉を利用した温水プールがありました。戦前でしたから日本で最初の温水プールではないかと思いますが、そこに、日本水泳会のホープであった古橋選手や橋爪選手といったオリンピック選手が来て、毎日のように練習で泳いでいました。そんな温泉の利用法などを見ているうちに、興味が募り、仲間四人で温泉場である湯河原で温泉掘りをしたのです。出るには出たのですがろくな温泉ではありませんでしたね。ですから、温泉は二十才代の頃から常に興味があったのです。

【高木】そうでしたか。それにしても壮大ですね。

祖父が作った
  霞ヶ関カントリークラブ

【白石】祖父の影響かも知れませんね。私の母方の祖父が「人のやらない事、地域が活性化する事をやりなさい」と口癖のように言っていました。祖父は埼玉県の川越に住んでおり、昭和七年頃、自分の土地に周辺を買い増しして霞ヶ関カントリークラブを作ったのです。ゴルフなどほとんどの人が知らない時代でしたが、ゴルフ場のおかげで地域の人達の職場が出来て喜ばれたそうです。祖父の家に遊びに行くと、着物姿に袴を着て草履でゴルフの打ちっぱなしをしている祖父の姿は、今でも脳裏に印象的に焼き付いています。昭和八年のお正月に遊びに行った時には「正月が明けたら今度は川奈と伊香保にゴルフコース作りの指導に行く」と話してくれました。その時はよく判りませんでしたが、ゴルフがメジャーになってきて、後に祖父の偉大さを知ることになりました。その祖父の口癖が頭の中から離れなくて、温泉というものに夢を抱くようになったのかも知れませんね

【高木】日本を代表するゴルフ場ですね。しかし、簡単に温泉が出るはずもありませんよね?

データをもとに研究し
  確信を持って着手

【白石】今から十数年前でしたが、通産省が春日部に地下三千百メートルまで天然ガスの研究のため調査したことがあります。また、科学技術庁が岩槻の地下三千五百メートルのところに地震計を設置したことがあります。その際、100℃のお湯が噴出したというデータがありました。それと、十五万年前は東京湾が栃木県小山市のあたりまであったという地層が解っております。地形的や地質学的には地下1600mから1700mにはレキ岩層があり、国道十七号以東は春日部や岩槻のデータに類似して100%温泉源があると確信が持てたのです。でも、家族は大反対でした。家族の説得だけで数年かかりましたね。(笑い)

【高木】百観音温泉の由来は?

【白石】当家の六代前のおばあさんが観音信仰に厚く、坂東三十三札所、西国三十三札所、秩父三十四札所の合計百観音を回って各所のお札と砂を集めて文化六年に観音様を建立しました。その跡地がちょうど温泉を掘るのに適していたのです。掘ってみると、一日に30cmしか掘り進めないこともありましたが思ったより順調で、噴出した温泉の温度も57℃で質も良く、噴出量も全国でも指折り数えるほどでした。「きっと、観音様のおかげだね」ということで、温泉の名前はここから由来したものです。おかげさまで、温泉成分の粒子が細かく、毛穴から体内に入って治療効果があるということで、TVやマスコミなどで紹介され、遠方から来られる方も多くなりました。温泉スタンドもありますのでどうぞお越し下さい。

【高木】では、お友達をご紹介下さい。


【白石】久喜市青毛で区画整理組合の副理事長をしている関根良平さんをご紹介いたします。久喜地区はめまぐるしく変化していますが、市民の活動も大きな源になっております。私も埼玉県の区画整理組合連合会で会長を務めさせていただいておりますが、その中でも熱心に取り組んでいる方です。

【高木】ありがとうございました。益々のご活躍をお祈りいたします。

【百観音温泉は成分分析の結果、腰痛其他に治療効果が認められたそうで、湯治場として有名な秋田の玉造温泉と同様の効果があると温泉治療の研究者が注目しているそうです。現在は二種住居地域の関係で大きな施設は作れなかったそうですが、温泉の湧出料は毎分4800Lだそうで、この数字は箱根温泉全部の自噴温泉が毎分8700L、当源泉を加えない埼玉県の温泉合計ですら、毎分4000Lです。掘った温泉では全国で二〜三番目の湧出量だそうですから、これは凄い量です。改めて驚かされました。】

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