2000年6月25日



 梅雨という季節を本当に感じさせる雨の日が多い今日この頃です。そして、今日は埼玉県知事選挙、衆議院議員選挙と有権者の皆さまには二十一世紀の未来を託す投票日です。本日の友達の輪は百観音温泉を経営されております白石 昌之さんからご紹介いただいた久喜市青毛特定土地区画整理組合副理事長 関根 良平さんにお話を伺ってまいりました。

久喜市青毛特定土地区画整理組合
副理事長 関根 良平さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】こんにちは。百観音温泉の白石さんは埼玉県土地区画整理組合連合会の会長もされているのですね。県内でも近代的な区画整理事業を成功させた青毛地区のお話は興味深いということでご紹介いただきました。

【関根(敬称略)】本来であれば理事長の関根登さんがよろしいのでしょうが、理事長はお忙しい方でもあり私を紹介いただいたのでしょう。理事長とは同姓の関根ですが、組合では副理事長を務めております。宜しくお願い致します。久喜市の区画整理事業はかれこれ四十年近くにもなると思います。過去においても、太田地区、栗原地区、吉羽地区、そして私たちの青毛地区となっております。 「母なる大地」という言葉があるのですが、この青毛地区は街づくりに対して独自のポリシーを持っております。

【高木】母なる大地ですか?

母なる大地
  共存共栄の考え方

【関根】先頭に立って取り組んでこられた関根理事長の街づくりに対する考え方は「大地は、すべてのものを受け入れてくれる。水遊び、土いじりなど、子供たちにとっては遊び道具になり、雨を吸収し、種をまけば発芽させる。人間が生きていくためには、この母なる大地の世話にならなくてはいけない」ということです。それは、人間に喜びや活力を与えてくれる大地に感謝し、生命に満ち溢れたすばらしい大地を慈しみ、それをどのように活用し、安全で、環境整備された街をつくるかという「共存共栄」の考え方です。具体的には交通安全を十分考慮した街路、花、植樹を含めた色彩のある美しい歩道、防犯にも役立つ明るくおしゃれな街路灯、やすらぎのある広い公園、そして花みずき会館などです。この会館も、料理ができるようにし、特に親子のコミュニケーションの場にしたいのです。昔に比べると、子供は料理や家の手伝いをしなくなりました。しないというよりは親がさせないのかもしれないですが、子供たちからすれば勉強が忙しくてできないのかもしれませんね。これでは健全な社会は成り立たないんですよね。つまり、「街づくりは人づくり」ということなんです。環境によって人は変わりますし、街づくりを通じて、豊かな心を持った、社会に貢献する人材を育成することが土地区画整理事業の最終的な目的なんです。

【高木】なるほど、「街づくりは人づくり」ですね。事業で何が変わりましたか?

住みたい街は
  魅力ある街

【関根】まず、組合がスタートしましたが、そのときの組合員数は百七十三名でしたが、現在では六百五十世帯(人口約二千人)にもなりました。この地域は幸手・久喜線に面した片側以外、ほとんどが住居地区ですから住環境を求めて人々が増えていくには、魅力がなければなりません。そういう意味では、魅力が増しているのではないかと思います。たとえば、青毛地区内をゆるやかなカーブを描きながらつらぬく通りがあります。メインストリートであり、はなみずきの街路樹とインターロッキングの歩道を兼ね備えております。昭和六十三年から平成元年にかけて完成し、平成と昭和を合せた平和の意味でピースロードと名付けました。そして、花みずき会館の前にある公園も住民から公募したのですが、エンゼル公園という名称になりました。まさに共存共栄のポリシーで「平和の道に天使が舞う」と表現されました。今年になって幸手市と青毛地区を結ぶ橋が架かりましたが、この橋も平成橋と称され現在では幸手の方々にもエンゼル公園を散策コースとして楽しんでいただいているようです。

【高木】私もここから近いところに住んでおりますが、とてもうらやましく感じられます。区画整理事業はなかなか進まないと良く聞きますが?

熱意でまちづくり
  生き生き暮らせる街

【関根】幸手市でも駅前再開発などの公共事業が行なわれているようですが、青毛地区の場合は自治体施行の事業ではなく、住民サイドで立ち揚げた組合施行による区画整理事業です。まず、対象となるエリアが決まりそこに住んでいる人たちや土地を持っている人たちすべてに組合員になっていただき、幅広く意見を聞きながらコンサルに具体的な図面をひいてもらいました。組合員の方々の大切な財産を預かる訳ですから、なにより不利益を与えないようにしなければならないのです。二十五年前のスタート時は行政の指導が強くて、住民との意見がかみ合わないことが多く、立ち消えになりかけたこともあります。しかし、熱心な組合員の努力が少しづつ住民に伝わり理解が深まってまいりました。当時、一ヶ月数千円の通信費的な報酬はありましたが、ほとんど無報酬のボランティアで一軒一軒住民への説明に歩きました。総面積34.6haの仮換地が行なわれ、道路や公園などの共有エリアのため、九千坪の保留地を考えておりましたが最終的には五千坪で済みました。つまり、四千坪を地権者に戻せたのです。嬉しいことですが、地権者や住民の方々が生き生きとして、環境が良くなったことに喜びの声を聞きます。土地区画整理事業というのは、道路をつくり、公園をつくり、花を植え、街路灯を設置しただけではダメなんですね。家が建てば街並みはできますが、それは外見上の街並みであり、街にも命を与えねばならないのです。人間が生き生きと暮らしてこそ街なんです。

【高木】何もなかったところからイメージさせるのは大変ですよね。でも、それを為し得ることはもっと大変ですね。では、お友達をご紹介ください。

【関根】まちづくりに深い理解を示し、何事にも積極的な久喜市長の田中喧二さんをご紹介させていただきます。もっと広い視野でのまちづくりが見えてくるのではないでしょうか。

【高木】ありがとうございました。これからも、より良い街づくりのためにご尽力いただきたいと思います。ご活躍をお祈りいたします。

【二十五年前に始まった区画整理事業も本年七月頃にはひととおり終了するとのことです。長い期間には数え切れないほどの暴言をはかれたり、浴びせられたこともしばしばだったそうです。しかし、みんなの「あきらめない」という情熱が現在のすばらしい青毛の街を作ったそうで、人口も世帯も増えているそうです。そして、住民の方々が自ら街路に花を植えたりされてるそうです。やはり、魅力ある街には自然と魅力ある人々も集まるんだなと改めて感じました。】

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