2000年11月26日



 二十世紀も残すところあと三十五日、コート姿も目立ち出し見渡す景色も秋から冬へと移ってまいります。今日の友達の輪には都庁にお勤めの市川克治さんにご紹介いただいた、坂本工務店頭領の坂本隆さんにお話を伺ってまいりました。

坂本工務店
頭領 坂本 隆さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】こんにちは。市川さんから「友達と言うよりは人生の先輩」と伺ってまいりました。

【坂本(敬称略)】毎回、友達の輪は楽しみに読んでいたのですが、まさか、私が出るとは思ってもいませんでした。市川さんには親子二代にわたって仕事の上でもお世話になっております。このお話が市川さんから紹介された時、本当に固辞したのですが、市川さんが熱心に奨めてくださるので、迷惑もかけられないと思いお受けいたしました。宜しくお願い致します。

【高木】先代も大工さんだったのですか?

大工のせがれが
    機械の道へ

【坂本】私の父が大工の仕事を創業しまして、私が後を継いだ形になります。父は亡くなりましたが父から数えると七十年ちかくこの仕事をしていることになります。実は私は機械が好きで建築を目指すのではなく機械の道を選択したのです。当時は両親も大工の仕事は安定していないからと、私が大宮工業高校の機械科へ進学することを認めてくれました。当時にしてみれば長男ですから後を継ぐのは当たり前の時代で、「大工のせがれが機械科へ行った」と笑われました。工業高校を卒業後、リレー等の部品を生産していた田中貴金属に就職し、毎日茅場町まで通っておりました。家業の大工の仕事はというと、弟がおりましたので弟が後を継ぐことになり頑張ってくれました。ところが、サラリーマン生活は日曜祭日が休みで、家でくつろいでいられるのですが、当時の大工仕事は日曜祭日は休みではないのです。職人は毎月一日と十五日の二日間だけが休みで、休みの度に弟から「兄貴はいいなあ、休みが多くて」と羨ましがられました。最近では騒音などの事もあり、現場近隣に配慮して日曜祭日は工事をしなくなりましたので、職人さんは休めるようになりましたが、私はお客様との打ち合わせなどが日曜祭日に偏っており、相変わらず休めない生活です。(笑)

【高木】弟さんが継いだのですね。それで。

父の落胆した姿見て
  後を継ごうと決意

【坂本】父は多くの職人や弟子を抱えておりましたので、母も父の仕事を手伝うように家庭を守って父を助けていたのですが、その母が五十一才という若さで急死してしまい、落胆している父を背中越しに見ているうちに、回り道したけれど家業に入ろうと決心したのです。ちょうど、二十一才のころでした。それから大工という仕事を一から修行し始めたのです。父親は仕事に対して大変厳しい人間で、親子といえど「見習いとは見て仕事を盗むものだ」という考え方で、一度だけは教えてくれるのですが二度は教えない主義でした。ですから先輩の仕事を見ては覚えることの繰り返しで学んでいきました。幸い生まれ時から父親を通じて大工仕事は見ておりましたが、それでも一人前として認めてもらえるまでには七年かかりました。当然、建築士の資格もとらなければなりませんので仕事をやりながら、講習会や勉強会に参加し、仕事が終わってから夜勉強したものです。そして、弟は私が家業に入ると同時に交代するように憧れていたサラリーマンの道へ進みました。現在ではサラリーマンもやめて自営で中華料理店を経営しております。

【高木】そうでしたか。初めてご自分で建てられた家は覚えておりますか?

モットーは
 早く・きれいに・頑丈に

【坂本】家は自分一人で建てられるものではありませんが、初めての仕事は…そうですね、無我夢中でやっているうちにいつのまにかまかされて、みんなの力で建てたという感じですね。でも、今まで建てた家のすべては大切な仕事として鮮明に覚えていますし、近くを通るたびに思い出します。家は大変大きな買い物ですのでお客様とは永い付き合いにもなります。永く住んでいただく中で増築や改築などの依頼も受けますが、二代、三代と受け継がれる家を作りたいと思っております。我が家の裏手に父が弟子の時代に作った家があります。すでに七十年近く建っておりますが、良い仕事をしたものは本当に永く使えるものだと感じます。今は頭領として図面から大工仕事、各種工事の協力店手配まですべてやっておりますが、大工職人として手作りを全面に、見えないところは頑丈に、見えるところはよりきれいに、「早く、きれいに、頑丈に」というプライドを持って仕事に臨んでおります。おかげさまで父親の時代から地元でやらせていただいておりとてもありがたく思っております。

【高木】趣味などは?


【坂本】機械が好きだったこともありオートバイに乗っていました。現在でもハーレー、BMW、ホンダ、ヤマハなど5台ほど所有しております。今ではクラシックなものになってしまいましたが、二〇年ほど前に地域の名称を冠に「川崎ツーリングクラブ」というライダークラブも設立し、一五名位の仲間たちとみんなでツーリングもしました。一時は私の娘もオートバイに乗って、一緒にツーリングにも加わっておりましたが、娘も結婚してしまい、仲間も仕事が忙しくなって時間が取れなくなってしまい、数年前から自然消滅してしまいました。家内には「乗らないオートバイがたくさんあって邪魔ね」と言われますが、私にとっては思い出いっぱいの宝物です。

【高木】それではお友達をご紹介ください。


【坂本】父の時代から仕事を通じてお世話になっている牛村にある心鏡院の久我秀道さんをご紹介致します。久我さんはとてもお人柄が良い方ですよ。

【高木】ありがとうございました。これからも、素晴らしい家屋をお建て下さい。「私は職人」とおっしゃりながらも、早く、きれいに、頑丈にが家造りの職人としてのプライドだそうです。

(お二人の娘さんは嫁がれ、現在は奥様と二人の生活だそうで、近所でも人気の坂本さんの愛犬「花ちゃん」が玄関先でやさしく出迎えてくれました。)

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