師走も残すところあと二十日あまり、それぞれに新しい二十一世紀を迎えるにあたり気持ちの上でもあわただしくなってきたことと思います。今日の友達の輪には坂本工務店の坂本隆さんからご紹介いただいた、万像山心鏡院住職久我秀道さんにお話を伺ってまいりました。
万像山心鏡院
住職 久我 秀道さん
本紙取材 高木 康夫
【高木】こんにちは。坂本さんから親子二代に渡ってお世話になっている方と伺ってまいりました。本堂や客殿を坂本さんの先代が作られたと伺いましたが。万像山心鏡院はどのような歴史があるのですか?
【久我(敬称略)】坂本工務店さんには大変お世話になっております。先代の坂本栄次郎さんには本堂や庫裡客殿を作っていただきました。昭和三十九年頃だったと思います。心鏡院は曹洞宗のお寺で私が二十三世(ニジューサンセ:二十三代目ということ)にあたり、寺の開山は慶長十年としるされております。私の父は浅草の曹源寺、通称かっぱ寺と呼ばれておりますが、そこの次男として生れ、住職が居なかった当寺の二十二世としてこの寺を引継ぐことになったのです。曹洞宗(禅宗)は禅の教えをよりどころとし、お釈迦さまをご本尊としてあおぎ大本山永平寺をお開きになられた高祖道元禅師(こうそどうげんぜんじ)さまと大本山総持寺をお開きになられた太祖瑩山禅師(たいそけいざんぜんじ)さまを両祖として敬い、この「一仏両祖」の教えに照らされた信仰の日常をつとめることです。曹洞宗のお寺にはお釈迦さまを仏教の開祖として中央に、右に道元禅師さま、左に瑩山禅師さまを配した掛け軸があります。禅の教えは、お釈迦さまのおさとりになられたみ教えであり、道元さまが、鎌倉時代に中国から日本に伝えられました。曹洞宗は道元さまによって伝えられたこの禅の教えを今日まで受け継いできた宗旨です。
【高木】そうですか。年末になると托鉢をされるそうですが?
【久我】昨日の十二月九日でしたが、毎年恒例の歳末助け合い運動として幸手市にて各地から応援で集まった青年僧が手っ甲、脚絆、網代傘姿で托鉢(たくはつ)を行いました。皆さまから寄せられた浄財を社会福祉協議会に納めさせていただきましたが、これも若い僧侶たちの修行のひとつであります。若い僧たちはお寺の仕事を手伝ったり、他にお勤めをされたりしています。本山で修行をつんでいるときなどは二月の寒い時でも裸足で出されて托鉢を行います。しかし、それぞれの地域に戻るとその事を忘れてしまいます。過去行ってきたことを忘れないためにも、年に一回は托鉢をして一軒一軒門付け(かどづけ)をしてお経を読むのです。「ご苦労さま」という声や「ありがとう」という声にはげまされ、「家は要らない」とか「うるさいな」という仕打ちを受けますがこれもすべて修行として受け入れるのです。そして、浄財の多い少ないではなく、多くの方々の功徳(くどく)を受けるのです。
【高木】托鉢にはそういう意味もあったのですね。お経といえば法事などで聞く機会がありますが、読経の声はとても深みがあって安らぐような気がするのですが?
【久我】そうですね。以前、永平寺に檀家さんたちと行ったときのことでしたがたくさんの僧侶たちが読経をしておりました。ひとりひとりの読経がまとまり雲が涌いてくるような響きでとても心が落ち着くものでした。私たち一行はその読経を聞き「心からありがたい」という気持ちになりました。読経というのは自声を張り上げてはいけないものです。そして、音楽のように楽譜などがあるものではなく、朝夕のおつとめごとに耳で聴いて学ぶものです。ですから、私たちは読経を学ぶことを耳で読むと言ったりします。
【高木】地域との関わりや歳時などはあるのですか?
【久我】ここ何年となく感じていることがあります。それは、お寺というと社会の人たちからは、法事や葬式だけの存在になっているということです。これは本当に不名誉なことです。本来のお寺というものは昔は地域の人たちが集まる場所で、地域のことを考えていろいろと教えをする場所だったのです。ですから、禅宗のお寺では山門をいつでも開けておいて、誰でも中に入れるのです。しかし、社会が物騒になってしまい、地域によっては閉めざる得ないところも出てきました。当寺もどなたにでも気軽にお越しいただける寺として構えておりますのでどうぞお越しください。また、檀家の方々を中心に行事も行っております。まもなく迎える新年の顔合わせから始まって、一年を通して四季折々の行事が予定されております。また、希望者の方々で毎月一回ですが写経の会や座禅を行ったりもしています。本来のお寺の在り方というものを模索しながら、後世に残していかなければと感じています。写経会や座禅会というとどうしても中高年の方達に片寄りがちですが若い人達にもっと仏教の正しい教えに触れて欲しいと思います。
【高木】ご趣味などは?
【久我】歌を歌ったりすることですね。学生時代にグリークラブに入っており、幸手でも混声合唱団などからお声をかけていただき参加などしました。ここ数年は仕事のほうでも役目を持っており、いろいろなところへ出掛けなければならず、時間もなくなってしまいましたので、歌う機会も少なくなりましたね。
【高木】それでは、お友達をご紹介下さい。
【久我】先輩でもあり、当寺の総代さんでもある池上隆雄さんを紹介致します。池上さんは東京検察庁にお勤めされ、定年後の現在は司法書士としてご活躍です。
【高木】ありがとうございました。これからも地域に溶け込んだお寺としてご尽力ください。
(住宅街の中に存在しますが、本殿前は玉砂利がひかれ、とても落ち着いた感じのお寺でした。忙しいときには手伝ってもらうというご子息に、いつの日か二十四世として交替して好きな旅を楽しみたいと語られるとてもおだやかなご住職でした。)