2001年1月14日



花輪孝二さん 二十一世紀も幕があけ、それぞれに新しい時代の風を感じていることと思います。今世紀最初でもある今日の友達の輪には司法書士の池上隆雄さんからご紹介いただきました(株)花輪工業の会長である花輪孝二さんにご登場願います。花輪さんと池上さんは小学校からの友人だそうです。

(株)花輪工業
会長 花輪 孝二さん
本紙取材 木 康夫

【木】 二十一世紀トップバッターということで、取材する私も新たなる気持ちで緊張しておりますがよろしくお願い致します。池上さんとは竹馬の友と伺いましたが?

【花輪(敬称略)】池上さんは幸手小学校時代からのとても親しい友人のひとりで、同じような仲間が六人いるのですが、現在も何かわらず六十年以上の付合いを続けています。残念なことに一人欠けてしまいましたが、人生の中で友人というものは本当にすばらしいものだと感じております。

【木】 花輪さんは現在の仕事はいつごろ始められたのですか。

モーター屋として
      独立開業

【花輪】終戦直後の時代でしたね。農業が機械化の一歩をしるした頃で、農業用の動力源としてモーターが普及し始めたのです。しかし、モーターを販売する人はたくさんいても修理をする人が少なかったのです。そこで、モーターの修理技術を会得し、修理を手始めに私の仕事がスタートしたのです。当時の仕事といえば、モーターを分解してコイルを巻き直したり、焼けて壊れたモーターの部品を分解して巻き直したりしたものです。当時、モーターは高価な物でしたから、簡単に交換したり出来ませんでしたから、農家にとっては修理屋さんはとても喜ばれました。おかげさまで、昭和三十年四月にモーター屋として独立させていただきました。

【高木】モーターですか。水道とはずいぶん縁遠い気がしますが?

井戸水とモーター
   そして水道へ

【花輪】そうですね。でも、モーターと現在の仕事には縁があったのです。当時は水道がありませんでしたからどの家庭でも井戸水でした。手漕ぎ式の井戸がほとんどで、しばらくすると井戸水をモーターでくみ上げる自家水が主流になってきました。ところが、そのモーターが故障すると井戸屋さんでは対応できず、私たちのモーター屋に修理の依頼が来るのです。モーターの修理に行っても自家水の配管などが付属しますから、おのずと水道配管まで手掛けることになるのです。私の親が精米機などを販売する機械屋だったものですからネジ切りの道具なども揃っており必然的に水道のほうもするようになったのです。そして、数年後の昭和三十五年に幸手に水道が入りました。最初は水道の本管工事などは大きな会社しか出来ませんでしたが、町の方で水道の指定工事業者を募って宅地内の枝線の工事から請け負えるようになったのです。おかげさまで、以来、一般家庭の上下水道工事、空調設備、衛生設備や、それらに関連する工事をさせていただいております。

【高木】井戸水の時代ですか。若い人達には想像がつかないかも知れませんね。現在、お仕事の方では第一線から離れていると伺いましたが。

六十五才で定年
  その日からバトンタッチ

【花輪】現在は会長という立場におりますが、自分では六十五才を自分自身の定年と考えて仕事をしておりましたので、六十五才の誕生日にせがれに社長を譲りました。実はせがれには六十五才の誕生日の一ヶ月前位に突然話したのです。せがれにとってはどんな印象だったかは聞いておりませんが、誕生日を迎えたその日からは、一切、口も手も出さずに仮にせがれがどんな苦労をしようとも全権を託したのです。それから、四年半が経ちましたが、他の会社を見たりしておりますと、世代交代といっても、そっくり全部任せるところは少ないように感じます。親の欲目ではありませんが、せがれにとっては頼るものもないわけですから、人と人の中に入って揉まれることによってずいぶん成長したように思えます。後継者不足の時代と言われておりますが、おかげさまで良き後継者に恵まれたと思います。花輪孝二さん

【高木】頼もしいですね。趣味で写真に凝っているそうですが?

せがれが
カメラを買ってくれた!

【花輪】時間が取れるようになったものですから、せがれが「何もしないと身体に良くないから好きなことでもやれば!」と言ってカメラを一台買ってくれたのです。家内からでも聞いたのでしょうか、私が子供の頃にカメラに凝ったことがあるのを知っていたのです。仕事、仕事で四十年来てしまったものですからこれと言った趣味のようなものもなく、夫婦二人でみかも山のかたくりの花を撮りに行ったのが最初でした。娘からせっかくやるのだったら、専門家に教えてもらったらと薦められ、春日部にある「よみうり文化センター」に通いました。その後、市内の写真同好会である幸手写友会にお世話になり、そこで、パソコンを使った写真の加工編集を聞いて、今度は六十八才からパソコンを始めたのです。パソコンを買う時は、ほこりをかぶってしまわないか、不安でしたが、今年は年賀状も作れるようになりました。どこまで出来るかわかりませんが、挑戦してみたいと思っています。

【高木】オフィスには写真がたくさん飾ってありますね。

【花輪】気に入った写真を元の事務所の壁面に飾り始めたのですが、訪れる方から好評を頂いてます。蓮の花を見て感動して下さった方や、作品に感想を話して下さる方など、写真という物は観る人によって色々な感性を与えるものだな感じています。


【高木】それではお友達をご紹介ください。

【花輪】親子二代に渡ってお世話になっている粉奈徹さんを紹介致します。粉奈さんのお父さんはモーターの技術指導をしていただき、私を一人前として独立させていただいた方です。そして、息子さんにはパソコンによる写真編集やプリントの指導をして頂いています。初心者の私でもパソコンにさわれるのは粉奈さんのおかげです。

【高木】新しい時代の幕開けに花輪さんの仕事人生を語っていただき、本当にありがとうございました。これからも、ご夫婦でお出かけの際にはお好きな写真をたくさん撮って、オフィスのギャラリーをにぎやかにして下さい。

(花輪さんは仕事の苦労も夫婦一心同体でやってきた結果と語りながらも、奥様に対して「家内が良くやってくれたから今があるんですよ。そして健康の秘訣は家内の食事療法です。」と奥様に感謝の気持ちをやさしくお話し下さいました。)

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