さくらの花と菜の花が美しいコントラストで咲き始めています。そして、今年も権現堂ではさくら祭りが開催され、県内外からたくさんの観光客が幸手の地に訪れる季節になりました。本日の友達の輪には幸手市立図書館で主任を務められている初見正晶さんからご紹介いただきました助産婦さんの谷古宇弘恵さんにご登場願います。
助産婦
谷古宇 弘恵さん
本紙取材 高木 康夫
【高木】こんにちは。貴重なお休みの中お時間をいただきましてありがとうございます。初見さんから青年海外協力隊の一員として、助産婦という立場でアフリカに行きご活躍された方と伺いました。谷古宇さんが助産婦さんになろうと思ったのはどうしてですか?
【谷古宇(敬称略)】はじめの動機は看護婦さんにあこがれていたということです。そして、その道を選択するために看護学校に入りました。その中で実習とかに行きますと子供や赤ちゃんに接する機会も多くなり、「子供って可愛いな」と思っていました。そして、看護婦の資格を取得した後に、さらに勉強して助産婦さんの資格を取得しようと考えたのです。四年間の学生生活で看護婦と助産婦の資格を取得し、草加市立病院に助産婦として勤務することになりました。
【高木】あこがれの看護婦さんからより専門職である助産婦さんになられたのですね。青年海外協力隊でアフリカに行くことに対してご家族はどうでしたか?
【谷古宇】以前から海外に対しては、旅行をはじめとして興味がありました。そんな中、青年海外協力隊募集に目が止まり、自分の助産婦という職業が活かせることもあって、応募しようと思ったのです。でも、母からは「なんであなたが行かなければいけないの?」と心配され、自分でも海外に行きたいなと思ってはみましたが、はたしてやっていけるのだろうかという不安もありました。合格してもいないのに受けるべきか受けないべきか真剣に悩みましたが、自分の気持ちに正直に応募したのです。
【高木】協力隊員になるにはどうしたらいいのですか?
【谷古宇】応募資格は、募集要項によると「海外での協力活動に支障のない心身共に健康な20才から39才までの日本国籍を有する者で、自ら海外協力活動に参加しようとする自発意志と奉仕精神を有し、異文化の人々と生活を共にする協調性のある者、異文化のなかで協力活動を実践するのに必要な語学的素養と適応力を有する者」となっており、募集は、年2回、春と秋に行われます。選考は筆記の一次試験と面接、健康診断の二次試験が行われ、それらに合格すると、隊員候補生として合宿訓練に入ります。約三ヶ月の合宿制で訓練を修了して初めて正式な協力隊員となり、それぞれが要請国へ派遣されます。私の場合はアフリカのガーナの隣のコートジボワールという国にある人口六千人ほどのゴモン村に助産婦として派遣されました。コートジボワールは昔、フランスの植民地だったところで公用語がフランス語です。フランス語の経験がない私は、合宿訓練と事前の訓練で学んだフランス語で自己紹介程度の語学力をもって赴任しましたが、助産婦という専門職が時間をかけずに言葉の壁を取り払ってくれました。
【高木】ゴモン村ですか?どんなところですか?
【谷古宇】日本からコートジボワールまではパリ経由で十八時間位です。ゴモン村はコートジボワールの首都から100km程離れた田舎で、二つの部族が暮らす村です。コートジボワールには三十人ほどの日本人協力隊員がいるのですが、ゴモン村には私の他にもう一人日本人の看護婦隊員がいるだけでした。赴任先の助産所は診療所に併設されており、助産所のほうは現地の資格を持った助産婦と永年の経験をもつ現地のおばさんと私の三人で運営する体制です。でも、日本のように電話がないため、夜に陣痛が起こると自宅で産んでしまうケースも多々あります。それから、なにより驚いたのですが、時計、カレンダーなどがない家庭が多いのです。というよりも必要としないのですね。ですから、産まれた赤ちゃんを連れてきて診察する際、いつ産まれたのか聞いても正確な日時が聞けないのです。日本と同じように母子手帳のシステムはありますので、その後の記録は残せますが、本当に驚きました。日本は少子化傾向で女性が一生の中で産む子供の数も約1.3人ですが、コートジボワールでは7人です。私が赴任していたニ年間で約六百人の子供たちが産まれました。
【高木】気候や文化の違いなどは?
【谷古宇】熱帯雨林気候の場所で一年中扇風機だけで過ごせるところです。道路などは舗装されておらず、ジャングルではありませんが自然があふれている場所です。村の人たちもとてもフレンドリーで誰にでも声をかけて挨拶をしています。映画などの娯楽というものがないところですがとてものどかです。子供たちもやることが少ないので、休みの日などは近所の子供たちと、自然を相手に遊んでいました。赴任当事は子供たちや村の人たちから私の名前の谷古宇を「ヤコー」と聞くたびに、よく「おまえの名前は何語なんだ?」と質問されました。不思議に思っていたのですが、現地語で「ヤコー」に似た「ヤーコ」の意味はなぐさめの言葉だったのです。それからは名前を覚えてもらうのに時間もかからず、「ヤコー」「ヤコー」と親しみをもって呼ばれました。それから、私たちをとても気にかけてくれ、おすそ分けを戴いたり、食事に招かれたり、また、日本の稲作技術が導入されコシヒカリのような高級米として現地で開発された「ゾウヒカリ」というお米もありましたね。思わず笑ってしまいましたがアフリカらしいネーミングですね。
【高木】素敵な体験でしたね。それでは、お友達をご紹介下さい。