2001年6月3日



会田浩章さん 紫陽花が似合う季節になり、時折見せる強い陽射しがそこまで来ている夏を予感させます。本日の友達の輪は幸手市剣道連盟の尾崎武さんよりご紹介いただいたカイダ接骨院副院長の会田浩章さんです。

カイダ接骨院 副院長 
柔道四段 会田 浩章さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】こんにちは。尾崎さんの体を治療されるそうですね。接骨院の先生方は柔道をやられている方が多いようですが。

祖父から柔道を継承
    父が道場開設

【会田(敬称略)】当院は父である会田俊雄が院長で、私は五年前に国家資格を取得してこの仕事につきました。当家は祖父が埼玉県警の警察官として柔道(六段)を率先し、父も警視庁で柔道を指導しておりました。父は十八年前に柔道の道を活かすべく転職しをはかり現在の場所に接骨院を開業し、合わせて会田道場を開設し子どもたちに柔道の指導を始めたのです。接骨院の国家資格は柔道整復師という名称で、この資格を取得するのに柔道が必修となっております。つまり、この資格を持っている人は柔道経験があるのです。ですから柔道をはじめスポーツ選手の身体を治療することも多く、尾崎さんもときどき来られます。柔道では国際級選手の治療も手がけ、幸手ではハッピーハンドの手形で話題になった金メダリストの井上康生選手も月に一度ほど出張して治療していました。手形のことで話をしたら心よく応じてくれたようです。また、アトランタオリンピックで金メダルをとった中村三兄弟の中村兼三選手も治療しております。

【高木】何才から始められたのですか?

中学、高校、大学と
       柔道一直線

【会田】気がついたら柔道衣を着ていましたね。(笑い)幸手市の連盟で父が指導しておりましたので、自然に柔道に入っていったのでしょうね。でも、サッカーや水泳などもやっていましたよ。小学校四、五年の頃は友達と遊びたい一心で、練習が休めない柔道が嫌いになりました。「お腹がいたい」などと言って困らせたようですが、母から一度も「休めば」とは言われなかったことで現在まで続けられたのかもしれません。おかげで、力もつき幸手中学に入学と同時に一年生だけでしたが二十名で柔道部が創設され、中学二年と三年には県大会に出場できるまでになりました。その後、幸中柔道部(当時・数間久市監督)は弟たちの年代では団体戦で県大会優勝まではたし、関東大会、全国大会に出場しました。私は柔道では強豪の春日部共栄高校に進学しました。幸中柔道部では新設部で先輩がいませんでしたから一年から三年までキャプテンを務め、高校の柔道部に入って初めて上下関係に驚きました。今はずいぶん変わってますが、当時は体育会系という表現があるように先輩の言うことは絶対なんです。白でも黒になり、反発しようにも精神的、肉体的にレベルが違いますから素直に先輩の言うとおり柔道をするだけでした。部訓が「忍耐」でまさにその言葉に尽きる高校時代でした。そして、拓殖大学に進学し寮生活で四年間柔道を続けました。

【高木】思い出に残った事は?そして今の道場では?

好きな柔道だからやれた
   更に厳しい拓大時代

【会田】拓大では皆、柔道をやる為にきた猛者ばかりで、一日一日が想像をはるかに超えるものでした。夜中二時過ぎまでの夜稽古、指導という名の朝までの正座、腕立て千回などが日課でした。体育寮での生活は高校時代を更に上回る厳しいものでしたが、柔道が好きだったからこそやり通す事ができたと思っています。また、環境にも恵まれ、柔道部の後輩には、現在プロレスラーUFO・村上一成(小川直也とタッグ)や同じ体育寮に大相撲の栃乃洋など第一線で活躍している人達もいて、彼らに負けまいと自分に厳しく努力できました。お蔭様で全日本学生優勝大会にも二度出場。卒業後は、厚生大臣杯で優勝。全日本実業団では優秀選手賞を戴き、会田道場の指導者と一般門下生の協力を得て埼玉県の道場対抗線では、五回も優勝することができました。現在道場には県内でトップを狙える子もいます。その子ども達を中心に「強いからといって威張るのではなく、礼儀正しく、そして他の子には優しく。柔道を頑張れる子は、勉強もできる。」等を伝え、ようやく結果もでてきました。私自身も子ども達に負けないように柔道や接骨院の仕事に精をだし頑張っています。

会田浩章さん【高木】世界医師スポーツ大会に日本代表で出場されると伺いましたが?

世界医師スポーツ大会
   柔道日本代表として渡仏

【会田】今月の23日から月末まで、フランスのエビアンという都市で世界医師スポーツ大会が開催されます。世界医師スポーツ大会は世界中の医師がオリンピックのように競う大会で、この大会の中の柔道競技に日本代表で参加します。日本から各階級に医師たちが参加しますが、柔道整復師としては私を含めた二名が出場します。私は重量級と無差別級の二階級に出場しますが、世界舞台での夢を果たせませんでしたので今回の世界大会はとても楽しみです。金銀銅いづれかのメダルを二個持ち帰りたいと思っています。(笑い)オリンピックと同じようにトーナメント制で戦いますので、体を大会に向けて調整しながら大学の道場に行って練習しています。この大会は両親も楽しみにしており、両親と私の妻も一緒に応援団として渡仏します。

【高木】それではお友達をご紹介下さい。

【尾崎】初代幸中柔道部からの友人で、現在、幸手と福島県を行き来しながらペンション経営をしている榎本季一(えのもと すえかず)さんをご紹介致します。

【高木】ありがとうございました。世界大会でのご活躍をお祈り致します。これからもたくさんの子ども達に柔道を通じて身心共に豊かな人間形成にご尽力下さい。

(フランスの世界大会に向けて毎日練習がハードになっているようです。地元から大きな世界大会に出場される方がいらっしゃることを目前にして、何か自分のことのようにうれしく思いました。インタビューでは大きな身体にやさしいまなざしと笑顔で答えていただき、すがすがしいほどの礼節には感動しました。座右の銘は「継続力なり」「文武両道」だそうで館長である会田俊雄さんは七段、浩章さんは四段の高段者として道場で健全な子どもたちを育て、将来はオリンピック選手を輩出したいと大きな夢を語ってくれました。世界大会にのぞむ会田さんに読者の皆様からも激励のメッセージがございましたら編集部にお寄せ下さい。日本・チャ・チャ・チャ)

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