2001年7月15日



並木敦さん 今年は例年になく空梅雨ですが季節も7月の半ばとなりました。毎日毎日暑い日がつづきますが、いかがお過ごしでしょうか?さて、本日の友達の輪は「居酒屋ニュー鈴家」の鈴木雅之さんよりご紹介いただきましたさくらせんべいで有名な桜製菓の並木敦さんに登場いただきます。

桜製菓  並木 敦さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】毎日暑いですね。鈴木さんから商工会青年部時代にお世話になった方と伺いましたが、いろいろな団体でご活躍のようですが?

商工会青年部長と
  青年会議所理事長

【並木(敬称略)】こんにちは。友達の輪は知っていましたが、まさか、私が紹介されるとは思ってもいませんでした。鈴木さんとは商工会青年部で今でもお付き合いをさせていただいております。とても、熱心な人で何でも前向きに取り組まれる方ですね。私は商工会青年部では平成九年、十年と部長を務めさせていただきました。また、社団法人幸手青年会議所の会員でもあり平成十二年に理事長を務めさせていただきました。両組織とも二十才から四十才までの人たちで構成される団体で、商工会青年部は商工業者の集まりで、日本全国に存在します。また、青年会議所(JC)は自分の住んでいる街を良くしたいと思う人たちの団体で、日本全国はもちろん、全世界に存在しております。

【高木】主な活動はなんですか?

商工業の活性化と
明るい豊かなまちづくり

【並木】商工会はその名の通り、商工業を活性化させる事業を行っています。特に青年部ではいろいろなイベントを企画したり参加したり、勉強会や先進地の視察なども行い、幸手地域の商工業の発展を考えております。JCの方は「明るい豊かなまちづくり」をコンセプトに、地域社会に目を向け市民まつりをはじめとする地域イベントなどに関わったり、地域発展に向けての政策提言や教育問題や環境問題に関わる事業や研修等も行っております。私がJCに入会したのはハッピーハンド事業という「幸せの手」にちなんだイベントでした。その年は子どもたちに夢を与える主旨で、NHKの「にこにこプン」が北公民館で開催されたのです。まだ、小さかった子どもと一緒に観覧していたのですが、我が子をはじめたくさんの子どもたちが目を輝かせていました。それを見て、自分も未来の子どもたちに何か出来ることをしたいと思い入会しました。今でもハッピーハンド事業は継承されております。商工会青年部もJCも、四十才までの心身ともにアクティブな年代でしか出来ないことと思います。「若い人たちが街に対して何が出来るのか」という発想と「人の喜びが自分の喜びになる」そんな経験をたくさんさせて頂きました。

並木敦さん【高木】ところで、桜製菓さんは二代目と伺いましたが?製造直売ですね。

創業来四十六年
 天日干しの製造直売

【並木】当社は昭和三十年に父が創業し、私で二代目となります。私は二十四才の時に家業を継ぎました。創業以前のことですが、父の兄が幸手でせんべい屋をやっていたのです。父はそこで働いていて、兄から「のれん分け」をしてもらい桜製菓を創業したようです。その後、父の兄はせんべい屋を辞めてしまいましたので、実際は後を継いだような形になりました。自社工場で製造したものをお店で小売もしていますが、問屋を経由して小売店やスーパーに商品を供給しているメーカーでもあります。主力商品は「天日干し」の商品名で販売しているおせんべいですが、一般的には「さくらせんべい」と呼ばれています。商品名と会社の名前がごっちゃになっているのでしょう。でも、幸手の桜から社名がつけられていますので嬉しいことです。その他あられなども人気商品のひとつです。余談ですが一般的におせんべいと呼ばれているものはうるち米を使ったもので、もち米を使ったものはあられとなります。昔は農家の人が余ったお米を保存するためにせんべいに、余ったもち米をおやつ代わりにあられにしたようです。

【高木】これからの夢などはありますか?

夢の夢ですが
軽井沢でせんべい屋

【並木】創業者である父に怒られてしまいそうです、あくまで夢物語ですが、軽井沢でせんべい屋をやりたいですね。都会にも近いし、自然がいっぱいあるし、たくさんの人たちにも触れ合えますし、マイペースでのんびりやってみたいのです。旧軽井沢にご夫婦ふたりで経営されている甘味屋さんがあるのです。軽井沢に行くたびに立ち寄るのですが、とてもうらやましく感じられます。自分たちもこういうスタイルで仕事が出来たらどんなに素敵だろうと思うのです。日々の雑踏の中で追われている自分があるのかなあとも思うのですが、本当の自分とのギャップがなく、自分を持って生きたいと思います。つい最近ですが、一生懸命やっている人の姿がカッコ良く見えてきました。自分もそうなりたいですね。

【高木】立派な体格をされていますが、趣味で何かスポーツを?

アメフトにはまった高校時代
  重量を誇る日大一高ライン

【並木】今の趣味はスポーツ観戦ですね。中学時代にアメフトが流行っていまして、私自身もとりこになっていました。なんとしても、高校に進学したらアメフトをやりたいと思いましたが、アメフトクラブがある高校が少なく、高校のアメフトリーグで常に上位だった日大一高に進学しました。たぶん、アメフトにあこがれていたと言うよりはメイドインアメリカに焦がれていたのだと思います。アメフトの装備である、ヘルメット、ショルダーパット、ヒップパットなど、はじめて身につけたときは最高の気分でした。身体も当時、180cmを超え、体重100kg以上でしたので、高校生のアメフトラインとしては重量級でした。笑い話ですが「重量を誇る日大一高ライン」と評されましたが、重量級は自分一人だけだったのです。(笑い)

【高木】さぞかし強かったのでしょうね。それではお友達をご紹介下さい。

【並木】さくらまつりに関わったときに知り合えた方ですが、権現堂堤保存会でご活躍の並木克巳さんをご紹介いたします。同姓の並木さんですが、桜の季節以外に権現堂堤に人々が訪れるようにと、紫陽花の植樹を続けていらっしゃいます。今年の紫陽花はずいぶんきれいに咲き誇り、県内外からもたくさんの観光客が訪れました。

【高木】ありがとうございました。これからも自分たちの街がさらに良くなるように、商工業の発展と共にご尽力下さい。

(並木さんは「春風や藤吉郎の行く所」という詩が大好きだそうで、夢を求めながらも木下藤吉郎のように存在するだけでまわりの人たちが明るくなるような人間になりたいそうです。そして、自分が住んでいるところ、活動しているところ、触れ合いがあるところ、そこは必ず楽しい人たちがいる所にしたいと思っているそうです。大きな身体と優しい瞳で語られる優しさあふれた並木さんでした。)

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