夏休みも残すところ一週間たらず、今年の暑さは一体何だったのでしょうか。異常気象ですまされない時代がやってきたようにも感じられます。さて、本日の友達の輪には早坂流民謡師範、早坂光謡さんよりご紹介いただいた、幸手都市ガス且ミ長である藤倉孝治さんに登場いただきます。
幸手都市ガス
社長 藤倉 孝治さん
本紙取材 高木 康夫
【高木】こんにちは。早坂さんから長いお付き合いをさせていただいている方で、奥様とは同級生で民謡もご一緒にやられていると伺いました。
【藤倉(敬称略)】暑い中、取材、ご苦労様です。野口さん(早坂光謡さんは早坂流民謡師範名)とは家族ぐるみのお付き合いをさせていただいており、かれこれ二十年以上になります。妻が野口さんのもとで早坂流の民謡をやっており芳謡会の会長を務めているようです。
【高木】藤倉さんは代々幸手なのですか?
【藤倉】私は天神町で生まれ育ち、家業である燃料店を父から継いだのです。当家は薪や炭といった山の材料を素材とした燃料と建築・農業素材としての竹を扱っておりました。現在も天神町で「河内屋」として息子がすべてを担っておりますが、むかしは竹屋さんと呼ばれていました。
【高木】幸手都市ガスの設立から係っていると伺いましたが。
【藤倉】ガスは生活には欠かせないライフラインのひとつで、そのためには安全に配慮した設備が求められます。ですから、LPガスを最初に設置した燃料店がそのお客様に対して責任を持って供給サービスに務めているのです。しかし、私が父親の後を継いだ頃は屋内にボンベを置いて、そこにゴムホースをひき回し、その先がガス器具といったように、多くの家庭でとても簡単に設備されていました。ですから、ガス業界内ではボンベとホースを取りかえるだけの顧客争奪戦を繰り広げていたのです。また消費者はガスの知識も少なく、見えないから恐さも知らない状態で、ガス爆発などの事故が多発していました。私はこれからのガス業界として保安、安全を第一に考え、それぞれが設備を投資して責任を持ち、取り合いなどをやっている場合ではないと感じていました。そんな中、昭和四十五年ごろに幸手団地ができることがわかったのです。当時、七十戸以上の集合住宅にガスを供給するには法規制で、簡易ガス事業の認可が必要ということもあり地元のLPガス業者を集めて勉強会を始めたのです。そんな中、全国各地で大手企業が中心となって都市ガス会社が設立されていました。当地でも「とにかく、資本金が必要だからお金を貯めなさい。」を掛け声に都市ガス会社設立の機運が盛り上がってきたのです。
【高木】何社位が係ったのですか?
【藤倉】勉強会では約二十の燃料店が参加してくれました。話が具体化するにつれ、大手の商社やエネルギー会社などが幸手への進出を図っていましたが、当時の三ツ林町長と中村商工会長が「地元だけでやるなら応援する」と支援してくれ、LP業界の代表者と一般の代表者合計九名で設立準備に入りました。その後、百十人の株主を一般募集し地元の武蔵野銀行、埼玉銀行も株主になって戴き、百%地元出資のガス会社として昭和四十六年に設立し、昭和四十七年十二月に営業開始いたしました。現在、創業三十一年目に入りましたが、インフラ整備も本管106km、供給管19kmになります。私は平成十年九月に三代目の社長として就任致しましたが、昨年、長期安定供給策として、中東への依存度が高い石油系ガスから天然ガスへの転換作業を行いました。これは、一万件の都市ガス利用世帯の熱量変更を行うもので、ガス器具のすべてを改造するのです。一世帯あたりお風呂やガス台など平均三台弱の改造となり、お客様のご協力があって出来たことですが約三ヶ月で二万七千台の器具調整を連日百二十人体制で行いました。約八億円の費用が掛かりましたが、エネルギー業界全般では規制緩和や制度改革によって経営環境も激変していますので、公益事業として安定供給の上でも天然ガス化は有益です。
【高木】熱変は大変な作業だったのですね。ところで、趣味などは?
【藤倉】少し前まではダンスもやっていたのですが、現在はゴルフを楽しんでおります。ゴルフを始めたのは都市ガスが出来た頃です。当時の石井社長に仕事の付き合いでゴルフを勧められ、石井社長が二週間前にミズノゴールドメダルのハーフセットを買ってくれ、それを持って練習してデビューした思い出があります。今でも忘れませんが64・64の128でラウンドしてきました。今は、オフィシャルハンデ8です。実は熱変の期間中、休みが取れないほど仕事に追われゴルフを含めて運動をする時間がなかったのです。年令のせいもあるのでしょうか(笑い)そうしたら体力が落ちまして、特に足の腿の筋肉が弱っていました。これは大変だと感じ、熱量変換が一段落した昨年の秋から本格的に練習を再開したのです。目標として一度はシングルになっておきたかったものですから、自分のまわりに「シングル宣言」をしました。ハンデ11からのスタートだったのですが、十二月の段階で10になり、今年に入って9、五月には現在の8まで上達できました。年内にはなんとかハンデ7を目標にしています。一年間でハンデを五つ減らそうという目標設定ですが、このシングルハンデを五つはずいぶん険しいものです。私は「言ったからには何が何でも」という有言実行タイプですから、現在は暇さえあれば練習をしています。なんとか、今年のアベレージが79.5で収まっています。でも、目標を持っていると若さがありますね。ですから、私は毎年必ず目標を持つことにしています。欲を言えば片手シングル(5以内)を目指したいのですが。(笑い)
【高木】この場で更に公になってしまいますが、よろしいでしょうか?(笑い)それでは、お友達をご紹介下さい。
【藤倉】趣味のゴルフを通じて親しくさせていただいてる秋場英雄さんを紹介します。秋葉さんは土地家屋調査士としてご活躍されています。
【高木】ありがとうございました。幸手都市ガス鰍フ益々のご発展をお祈り致しますとともに地域に根ざしたサービスの提供にご尽力下さい。
(藤倉さんは三十才の時に都市ガス設立に係ったそうです。「有言実行」と言われるように意思が強い方で、何事にもくじけない強靭な姿勢と強いリーダーシップが感じられました。)