2001年9月23日



白石 荘さん 今日は秋分の日、すっかり季節も秋らしくなってまいりました。今日の友達の輪は不動産鑑定士の秋場英雄さんよりご紹介いただきました白石荘さんです。白石さんは鷲宮町にお住まいで、地域コミュニティーのもと「彩の国いきがい大学」を通じ伊奈学園鷲宮地区親睦会の初代会長をつとめられ、秋場さんとは幸手ロータリークラブでご一緒の間柄だそうです。

伊奈学園鷲宮地区親睦会
初代会長 白石 荘さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】こんにちは。秋場さんから人生経験豊富な方と伺ってまいりました。

【白石(敬称略)】私は鷲宮生まれの鷲宮育ちです。地元に長い間住んでいながら地域の人たちとの交流が少なくて、定年後、友人を増やそうと思い幸手ロータリークラブに入会しました。秋葉さんとはそこで知り合いとても親しくさせていただいております。


【高木】交流が少なかったと言うと?

定年退職して
  地元に知人なし

【白石】定年退職する前は東京佃島にある石川島播磨重工業の本社勤務が長く、毎朝五時五十分に家を出て、会社を午後八時か九時に退社し、帰ってくるのが十時、十一時という生活の毎日でした。六十才を過ぎ、六十五才まで関係会社の役員として勤務し、六十五才に退職したのですが、いざ自宅で定年後の生活が始まってみると回りには知っている人がいないのです。会社にいた時は数え切れないほどたくさんの友人がいましたが、いざ、地元に暮らしてみると、知っている人がいない現実はまるで浦島太郎のようでした。

【高木】現役時代はお忙しかったのでしょうね。

日中国交回復後に
   中国へ技術支援

【白石】仕事柄アジアに行くことが多かったですね。特に田中角栄氏が日中条約を結んでから中国に行く機会が多くなりました。中国は面積が広大で物流に海を使う国で、各地の港の設備充実が計られていました。そこで、日本の技術が求められたわけですが、当社では船の荷を積み下ろしするクレーンなどの港湾設備の建設を手がけていました。中国には三年ほどいましたので、よく「中国語はぺらぺらですか?」と聞かれるのですが、日常会話程度しかマスターできませんでした。というのは、建設にあたって中国側との交渉や打ち合わせには一人に一人の通訳が付く環境だったのです。当時の日本は威張っていたような印象も持ちましたが、実際は、開放政策が進んでおらず、私たちも宿泊しているホテルと建設現場の往復で、会話内容もすべて通訳が把握している訳ですから、中国側に管理されていたように思えます。もちろん、自由がないわけではありませんから、休日にはいろいろなところも観光しました。流通の拠点である上海が長かったのですが、歴史がない所で三日もいると飽きてしまいますね。やはり、中国は北京などのように歴史がある場所がいいですね。その他、韓国、台湾などにも行きました。今でも当時の仕事仲間が海外から我が家に遊びに来たり、招かれて夫婦で行ったりしています。

白石 荘さん【高木】地元よりも海外の友人が増えてしまったのですね。

いきがい大学入学で
   地域人の仲間入り

【白石】そうですね。あくまで仕事を通じてのことです。そこで、定年後に伊奈市の県民活動センターで埼玉県が開校している「彩の国いきがい大学」が目にとまったのです。一年制と二年制があり、毎年二月頃募集されるのです。二年制の方は毎週一回全日授業が行われます。入学資格は六十才以上で受験にはレポート提出があります。生活環境科、福祉科、ふるさと伝承科、美術工芸科と四学科あり、毎年二〜三倍くらいの倍率です。おかげさまで生活環境科に合格し二年間のコースが始まりました。一日のカリキュラムは午前中二時間が一般教養で、午後二時間は専門学科の時間にあてられます。その後の二時間は学科を超えて、部活のように趣味のグループで活動します。ダンス、俳句、朗読、写真、陶芸などあらゆるジャンルがありました。このような「いきがい大学講座」が二年間で百回ほど開校されているわけですから、自然とたくさんの友人が出来てしまいました。卒業後も卒業生を対象に月に一回のペースで趣味のクラブ活動は継続され、好きなクラブに入ることが出来るのです。私は、ゴルフ、写真、ハイキング、旅行の四つに加わりました。それぞれが月に一日ずつの活動を行っていますので、卒業してからも地域の人たちと一緒に忙しい日々をおくらせていただいております。まさに、いきがいを見出してくれる大学と感じました。私は第七期生でしたが女房にも薦めて第八期生になりました。卒業して地域に知り合いが出来ましたので第一期から第七期までの鷲宮、幸手、加須、羽生、栗橋、大利根、北川辺の卒業生に声をかけ「伊奈学園鷲宮地区親睦会」を作りました。名称はいきがい大学の伊奈学園で学んだ鷲宮地区の卒業生の集いという意味です。初代会長という大役をまかされ、現在四十三名にもなりました。年間通じて新年会からハイキングなど六回ほどの親睦会を行っております。いきがい大学に入って、やっと地域人の仲間入りが出来たように感じています。

【高木】何事にも活動的ですね。聞くところによるとゴルフのラウンド数が千回を超えたとか?

記録魔31年
 千回のプレーがびっしり

【白石】そうですね。今年の一月七日にゴルフが千回を超えました。それよりも、お見せしたいのはその結果のすべてを記録しています。現在一○二九回ですが初めてプレーしたのがサラリーマン時代の一九七〇年一月十五日でレインボウカントリークラブ、82・81の163打でした。それから三十一年目の今年、日光カントリークラブで46・46の92打で千ラウンドに達しました。記録は大学ノートに日時、コース、スコア、パット数、天候、メンバー名、感想などと共にスコアとパット数は折れ線グラフで記録しました。全部で九冊のぎっしりした記録となりましたが、パソコンもやっているのでデジタル化しようとも考えましたが、アナログの手書きの良さを今後も続けたいと思っています。女房からは記録魔と言われていますよ。(笑い)

【高木】それではお友達をご紹介下さい。

【白石】久喜市栗原に住んでいる友達で、筑波山千回登山を目指している並木二良さんを紹介します。

【高木】ありがとうございました。

(今では地域活動でお忙しい日々を送られている様子です。奥様から記録魔と称されるように、写真の整理などもシーズン別、ジャンル別からの検索が出来るようプロ並みに管理されていました。おおらかでも几帳面な方とうかがいました。)

[Image :logo.jpg]