2001年10月21日



岡田 誠一さん 山々の木々が色づき始め、行楽シーズンまっさかりです。今日の友達の輪には筑波山の千回登山を目指している並木さんよりご紹介いただきました久喜新道にあるヘアーサロンオカダの岡田誠一さんに登場いただきます。岡田さんは埼玉県理容組合で社交ダンス・カラオケ愛好会の会長をはじめ、多くの趣味をお持ちの方です。そして、岡田さんは友達の輪がスタートして約六年経ちますが、ちょうど150人目になられる方です。

ヘアーサロンオカダ
社長 岡田 誠一さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】はじめまして。朝夕、めっきり寒くなりました。すっかり秋ですね。並木さんから多種多彩な方と伺ってまいりました。七十七才の現在も理容店では現役として常連さんの調髪をされているそうですね。

戦争で寸断された
  理容業への道のり

【岡田(敬称略)】並木さんとは古くからのお付き合いで、幸手写友会で一緒に楽しんでおります。お客さんとしても私がずっと調髪しております。調髪に来て、私が居ないと帰ってしまう方です。(笑い)私は大正十三年に幸手市内で生まれました。現在は幸手市中五丁目となっておりますが、当時は上高野村と呼ばれる静かな農村地帯でした。私の父が理容業をしておりましたので、親の後を継ぐことが当たり前の時代でしたから、外で勉強しようということで昭和十三年に理容業見習として、日本橋の理容店に入店しました。入って二年間は、掃除、洗濯、子守などの担当をさせられずいぶんと苦労しました。しかし、だんだん戦争が激しくなり、徴用令により横浜市磯子区にあった石川島航空工業鰍フ軍事工場に連れてゆかれ、理容業を断念させられるように転職させられました。

【高木】戦争ですか?最近もアメリカでの同時多発テロ事件で報復攻撃が行われ、戦争のような状況ですが、岡田さんの青春時代も大変だったのですね。

眼前での戦友の死・・
  いつも平和を祈りたい

【岡田】昭和十八年には兵隊検査で甲種合格となり、北支那四二○四部隊に入隊し、小銃、歩兵砲、重機関銃、軽機関銃、「擲弾筒」、銃剣術、馬術等を習いました。残念ですが戦死した戦友もたくさんおりました。部隊長、中隊長、教官も戦死しました。前線では機関銃から発射された弾丸が雨あられ状態で音をたてながら飛んでくるのです。ピューピューという音の場合は水平に撃ってくる時で、伏せれば弾丸に当たることはありません。しかし、プスプスと弾丸が地面に突き刺さる音の場合は上の方から発射してくるもので隠れようがないのです。その場を直ちに移動しなければ命を失う危険性が高いのです。実感として申し上げることができるのですが、戦争ほど悲惨で、残酷なことはありません。私はいつも日本の平和、世界の平和を祈っております。今回のテロ事件も大きな戦争にならなければと祈っております。そして昭和二十一年四月、無事復員出来ました。

岡田 誠一さん【高木】岡田さんにとっては戦友の死を無駄にできませんね。

復員後に猛勉強
 二代目として家業を継承

【岡田】そうですね。戦争に行くときは無くした命と思っていましたので、復員後はすぐに家業を継ぐべく理容業の講習会、研究会などに参加して一生懸命勉強しました。おかげさまで二代目として家業を継ぐことが出来ました。その後、幸手理容組合支部長を十八年間務めることが出来ました。その間、区長も務めながら埼玉県理容競技大会審査委員長を六年。又、関東甲信越理容競技大会審査委員長。埼玉県理容組合常任理事、全国理容評議員九年と理容業の世界で重責を務めさせていただきました。理容の世界大会があるのですが審査員の埼玉県代表としてオランダにも行きました。息子夫婦が三代目として一生懸命やってくれますので安心して店を任せられます。ですから、好きなことが出来ますね。

【高木】そうですか。ダンスでは指導者としてご活躍だそうですね?

息子夫婦と
  一緒にダンス

【岡田】社交ダンスは三十年になります。現在、埼玉県理容組合社交ダンスカラオケ愛好会と久喜社交ダンスドリームサークルの会長を務めております。二百六十名を超える会員がおりますが今でも皆さんに指導しております。息子夫婦の浩平、雪子も私のダンスを見てはじめたのですが、一九九六年の三笠宮杯全日本スポーツダンス選手権大会ではJADA一級モダンの部で優勝をはじめ、一九九九年に北関東大会がアスカル幸手で開催されたのですが、モダンD級の部で優勝もしました。仕事の傍ら、夫婦でダンスサークルの指導をしたり、パーティーでデモンストレーションなどをし、私を含めて多くの仲間たちと一緒にダンスを楽しんでいます。

【高木】ダンス以外に趣味も豊富のようですが?

【岡田】いつのまにか増えてしまいました。詩、俳句、川柳といった文芸から、舞踊、三味線、民謡などの日本の伝統文化もやっております。また、書道は中村書道専門学院で四十年指導を受け八段になりました。写真も四十年になり、現在も幸手写友会の会長として北公民館で研修会を行っております。

【高木】パワフルですね。健康の秘訣はなんですか?

【岡田】今、注意しているのは食事・運動・ストレスです。運動は毎朝起きたら3kgのバーベル二つを5分間リフティングしています。それから、呼吸を整えて三十分間歩きます。雨でも台風でも毎日欠かさず朝夕行っております。そして趣味は積極的に楽しむことですね。今でも金曜日の夜は社交ダンスの指導をし、毎月第四金曜日は写真の会で楽しみ、水曜日午後は時々福政さん(うなぎや)で三味線も指導しています。おかげさまで身体はどこも悪いところはありません。何事も前向きに進み、人に迷惑をかけない事をモットーとし、これからの人生は自由に楽しみながら元気で生きていきたいと思います。

【高木】活き活きとしてらっしゃいますね。それでは、お友達をご紹介下さい。

【岡田】写真でご一緒している歯科医の高柳悦郎さんををご紹介いたします。

【高木】ありがとうございました。これからも現役としてお仕事に多種多彩な趣味の世界に、それぞれご活躍下さい。

(年齢には見えない若さがお話や行動の中から溢れ出ている方でした。予定がぎっしりで午前中はお店に居るそうですが、午後は趣味の多くに時間を取られてしまうそうです。お休みの月曜火曜は組合の相談役としてのお勉めもあるようで、年を取ることを忘れてしまうくらい、ご多忙な方でした。忙しいことも元気の秘訣なのでしょうか?)

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