2001年11月4日



高柳 悦郎さん 紅葉前線も南下して、全国各地の景勝地は観光客で賑わっているようです。さて、本日の友達の輪にはヘアーサロンオカダの岡田誠一さんからご紹介いただきました高柳歯科医院の柳悦郎さんに登場いただきます。

高柳歯科医院 
院長 高柳 悦郎さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】はじめまして。岡田さんから写真のほうでご一緒と伺いました。歯科医院としては随分歴史もあるようですが?

【高柳(敬称略)】岡田さんには幸手写友会で大変お世話になっております。当院は父が昭和7年に開業し、間もなく七十年目を迎えます。私は二代目で,子供の頃から回りの人から、歯医者の長男は歯医者になるのが当たり前のように言われていましたので、自然と後を継いでいました。父親は歯科医も少なく患者さんが多い時代にやっておりました。「こんなに忙しいのでは死んじゃうよ」が口癖で、子供の頃から見ている私の姉は「歯医者には絶対お嫁に行かない」と、違う道を選んだほどです。

【高木】そういえば、歯医者さんはいつもいっぱいだったように記憶してます。

歯科医不足の
   昭和五十年代

【高柳】幸手市は昭和五十年頃に歯科医がもっとも少なく、「歯医者は三軒半しかない」と言われていました。三軒半というのは柿沼歯科と駒橋歯科、そして当院の三軒に、その外に一軒先生が高齢で半日で診療を終わらせていたものですから、歯科医不足の不便から患者さんから、そう言われたものです。ですから、朝八時から夜九時までずっと患者さんが続
くこともあたりまえでした。このまま診察していたら自分がまいってしまうと何度も感じました。患者さんのほうも大変でしたね。治療が終わったのに帰らない患者さんがいて「なんで残ってるの」と聞くと、「明日の順番を取ろうと思って・・・」なんてこともありました。(笑い)考えられませんが、深夜から医院の前にいて、警察官に不信尋問された患者さんもありました。


高柳 悦郎さん【高木】今は歯科医院もかなり多くなりましたね。

コンビニの二倍
 二十六軒の歯科医院

【高柳】患者さんにとっては良い環境になりました。逆に多すぎると言った方がいいのかもしれませんが、全国ではコンビニの二倍以上の数になります。幸手市では歯科医師会に所属する歯科医院が二十二ヶ所、それ以外の歯科医院4ヵ所の合計二十六あります。石を投げれば歯医者に当たるとか、増えるのは歯医者と年寄だけなどと言われていますよ。(笑い)その分専門分野が増えてきました。うちでも息子と娘が歯科医になり診療をしておりますが、大学で学んだことは、私が学んだ三倍くらいの量になるようです。それだけ、歯科の分野も広がり技術革新があったのだと思います。

【高木】三人で診察されているのですか。

歯医者に行って
   さっぱりしよう

【高柳】息子には私が元気な間は縛られることなく自分のやりたい道を進んでもらっています。週に二日間は当院で診療しておりますが、それ以外は大学や企業の研究室で口腔衛生学や予防歯科学の研究をしてます。日本人は世界の中でも良く歯ブラシをする国民なのです。しかし、成人の虫歯は昔から減っておらず、歯ブラシだけではちゃんと磨けないわけです。結局歯医者に行って予防をしっかりやらなければならないのです。虫歯になったら歯医者に行くということでなく、これからは歯周病や虫歯にならないよう歯医者に行って、歯石や歯垢をとったり、またフッ素を塗ったりの定期的な健診が望まれます。「歯医者へ行ってさっぱりしよう」といった感覚で来て下さい。8020運動という八十歳で二十本歯を残す運動が実践されていますが、成人の約80%は歯周病および歯周病予備軍ですので、歯をきっちり手入れをする定期健診がとても有効です。

【高木】二階がさくら矯正歯科となってますが?

地域医療に徹して
  育成(更正)医療指定医に

【高柳】娘が矯正歯科専門医としてやっております。歯列矯正はアメリカが発祥地で、娘も何度も行って学んできました。歯列矯正と言うと特殊な針金や金具を使って歯並びを整えるイメージがあると思いますが、それ以外に矯正の20%近くは外科手術を伴うものがあります。外科医とチームを組み手術の前後に矯正を行ないます。特に口蓋裂などの先天性のものは、育成(更正)医療という県から患者さんに医療補助金が受けられます。患者さんがこの医療補助を受けるには認定をうけた歯科医に治療してもらわないと支給されません。しかし口蓋裂患者の矯正治療ができる歯科医が少ないため指定医の医療機関が少ないのが現状です。娘も東京の大学病院にいた頃、この辺からも患者さんが複数通っており、予約も一年以上待たなければならない状態を見ていたようです。私たち歯科医は地域の人達に育ててもらったわけですから、真の意味での地域医療を充実させたいと思い指定医になったのです。

【高木】地域にとってはありがたいですね。趣味などは?

趣味は手品から
  写真へ、そして

【高柳】父親が大の手品好きだったので、門前の小僧ですね。私も物好きで、盆栽にも懲り鳥も十姉妹からキジまで150羽ぐらい飼っていたことがありました。東天紅や尾長鳥なんかも飼っていました。今は野鳥を、とくにメジロを窓辺に呼んでいます。これから冬に向かってがシーズンです。仕草が可愛いもんですね。休日は早寝早起きで写真を撮りに出かけております。シャッターを押す瞬間がたまらないですよ。

【高木】それでは、お友達をご紹介下さい。

【高柳】遠藤薬局の社長である遠藤裕久さんをご紹介致します。遠藤さんは昭和四十年頃歯科医との協定で県内ではじめて処方箋を取り入れた方です。

【高木】ありがとうございました。これからも、親子三人で地域医療の発展に更にご尽力下さい。

(やさしい先生で、若いときから向学心に富み積極的に歯科医療に取り組まれたようです。昭和四十年頃には歯科医療の技術革新を見据え,毎月大学の知人や開業医の先生を講師として招き埼葛地区で研究会を発足したそうです。土曜の午後の診療は息子さんに託し自分の時間を楽しめればとにこやかに話されました。)

[Image :logo.jpg]