2001年11月18日



 市民まつりも盛況に終わり、すっかり冬支度の今日この頃です。さて、本日の友達の輪には高柳歯科医院の高柳悦郎さんからご紹介いただきました遠藤薬局代表取締役である遠藤裕久さんに登場いただきます。

遠藤裕久さん遠藤薬局
代表取締役 遠藤 裕久さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】こんにちは。高柳さんから歯科医療においての医薬分業を率先された方と伺いました。

【遠藤(敬称略)】高柳さんとは古くから親しくさせていただいております。それだけコミュニケーションが取れている間柄でしたから、歯科医院さんとの医薬分業についてもスムーズに実現できたものと思います。今でこそ、医療機関さんと薬局との分業はどこでも普通になっておりますが歯科医院さんと医薬分業を行なった時は画期的なことでした。

【高木】遠藤薬局さんは昔からあるようですね。

砂糖遠藤、米遠藤
 そして、膏薬遠藤

【遠藤】当社は祖父が明治二年に創業したものです。町の薬屋として代々続いており、生薬屋(きぐすりや)でした。生薬は昔から植物の草根木皮や動物の一部から、成分を取り出して薬として役立ててきました。昔は高麗人参や牛蒡、大根、にんにく、サイの角といった自然界に存在する生薬を利用しておりました。現在九十二才になる私の母も薬剤師で、薬剤師という職業も受け継いで来ました。また、当時は「膏薬遠藤」と呼ばれ、その名のとおり膏薬の製造販売を行なっておりました。この近くには「遠藤」という屋号を持つお店が多かったものですから、それぞれを取り扱い商品名で区別して、「砂糖遠藤」「米遠藤」と呼称しておりました。「砂糖遠藤」は現在の遠藤お茶屋さん、「米遠藤」は遠藤医院さんです。また、私の伯父が、とげぬき地蔵で有名な巣鴨の地蔵通りに移って軟膏を製造し、地蔵様に製造したすもう膏を卸していました。とげぬき地蔵は当時も来客が多い場所でお灸のあとにつける薬として軟膏が売れていたのでしょうね。変わったネーミングでしたが「すもう膏」という薬品名です。

【高木】塗り薬としては重宝されていたのでしょうね。家業を継がれたのは?

新婚ホヤホヤで
    家業を継承

【遠藤】私は千葉大を出て六年ほどシオノギ製薬に勤務し、都内に住んでおりました。ところが、母が病気をしまして、私も妻も薬剤師でしたので母を助けるべく遠藤薬局に入ることになったのです。実は新婚ホヤホヤで、しばらくはサラリーマン生活が続くものと考えていましたから、急なことで妻には苦労を掛けました。シオノギにいた時にアメリカの情報を多く見聞したのですが、当時、物販はすべてアメリカがお手本でした。アメリカでは企業が生き残るために先見性を持って、それに打ち勝ったものだけが世間に支持され、薬においては100%医薬分業だったのです。ですから、薬についての最先端を、医者が我々製薬メーカーに聞くのです。アメリカの薬剤師は薬のプロフェッショナルという位置付けがあったのです。家業に入って、町の薬屋が生き残るためにも調剤薬局という選択肢を強くしたのです。

【高木】薬剤師さんのお仕事は?

遠藤裕久さん

人の命を預かる仕事
   信頼、安全の提供

【遠藤】一般的な認識では、薬剤師という仕事は医師の処方箋に基づき薬の調剤をしますが、医者が使う一万五千アイテムの中でその薬剤の相互作用や副作用をチェックする仕事もあります。また、医薬品を作ること、分析することも大切な仕事です。テロ事件で問題になっているたんそ菌の培養も行なえます。それだけ薬剤師の活動の場は多岐に渡っておりますが、それは「人を助ける商売」「人の命を預かる仕事」であるのです。ですから、調剤薬局をはじめ、薬剤師は信頼と安全をいかに提供できるかを常に考えていなければなりません。

【高木】幸手以外にも店舗をお持ちですが、地域性など感じられますか?

若い世代が住みやすい
       元気な街を

【遠藤】当社のお店に三郷店があります。ここは昭和四十九年、当時人口二万人のところへ公団が団地を建設したのです。当時は陸の孤島とまで言われ不便な場所で人口も伸びなかったようです。しかし、現在は吉川、三郷間の面整備が進み、来たる平成十五年には鉄道も筑波学園都市まで延伸されます。秋葉原まで二十分という利便性もあり、若い世代も多く、都心の企業に勤務する新住民が増えております。他の所と一概に比較は出来ませんが、幸手市は若い世代が少ないように思えます。通勤距離も短く環境のいい所へ人口が移動しているようですが、もっと若い世代が住みたくなるような街の元気が欲しいと感じます。街の商店街の中には何代も続いているところもあり、若い経営者には頑張っている人もたくさんいます。行政が何らかの形で支援活性化させて欲しいものです。また、幸手市は国民健康保険の加入者比率が県内でも高い地域です。企業負担の多い社会保険加入者比率が高い地域に比べればその分自治体負担が多くなるわけです。そういう意味からも総体的に都心企業に勤めるような若い世代の人口増が大切です。

【高木】保健医療から見る自治体のパワーですね。趣味などは?

何から何まで
  体育会系

【遠藤】学生時代は野球、スキー、水泳、ゴルフなどスポーツはなんでもやっておりました。孫がいるのですが、「おじいちゃんは体育会系だよね」とどこで覚えたのか言われます。(笑い)また、ゴルフはずいぶん懲りまして、年五十回くらいコースに出たこともあります。今では忙しくて年四、五回になってしまいましたね。私は商人という性分が根底にあるのでしょう、朝から晩まで動いていなければ気がすまないタイプなんです。歩きながら考えるドイツ人、考えてから走るアメリカ人、走ってから考えるのが日本人という例えを聞いたことがありますが、まさに、その日本人です。しかし、記憶力も衰えてきましたのでメモに残しながら日々を送っております。最近はそのメモをどこに置いたか忘れてしまうこともあるのですが。(笑い)

【高木】それでは、お友達をご紹介下さい。

【遠藤】日本出版で重役まで勤められ、現在は悠悠自適に暮らされている鴨田広さんをご紹介致します。いろいろな体験談が聞けることと思いますよ。

【高木】
ありがとうございました。市民の健康に貢献される薬局としてご活躍下さい。遠藤さんは調剤薬局を中心に十五店舗のお店を経営されております。とても、お話し好きな方で、会社の若い社員ともコミュニケーションを大切にされ「クリエイティブに、そして、ネバーギブアップの精神」とよく話されるそうで、「ビジネスの原点はその時代をつかむという事」と信念をお話いただきました。

[Image :logo.jpg]