2002年7月7日



 世界でのべ四百億人が見るといわれるワールドカップ2002も、予想通りブラジルが5度目の優勝を果たし幕を閉じました。そして七夕の日に登場いただく方は鰍ネらいち常務取締役である奈良俊一さんからご紹介頂きました商工会青年部副部長の船川高広さんにご登場いただきます。船川さんは幸手小学校近くで魚和を経営されております。

船川高広さん商工会青年部副部長
魚和 若社長 船川高広さん
本誌取材 高木 康夫

【高木】こんにちは。お忙しいところすみません。奈良さんから商工会で息投合した後輩と伺ってまいりました。へそづくり応援団の団長だそうですね。何をされてるのですか?

【船川(敬称略)】奈良さんには商工会で大変お世話になっております。特にへそづくり応援団では大きな力を頂いております。へそづくり応援団はその名の通り幸手市のへそである中心地を活性化させようというものです。言い過ぎかもしれませんが錆びれかけている街並に多くの人が集まるように市民の声や若いスタッフの声をもとに、イベントを通じて求心力を模索しようというものです。

【高木】人が集まる仕掛けを通じて中心地を活性化させようということですね。具体的に?

大晦日イベント
  カウントダウン&21世紀
  ハッピーウェディング

【船川】応援団はミレニアム年を迎えようとする1999年にスタートしました。最初に手掛けたのがミレニアムへのカウントダウンでした。地元でも集まれる場所を作ろうと一九九九年十二月三十一日深夜に中山家具センターの前にイベント会場を作り、幸宮神社への初詣客らも巻き込んでカウントダウンをしました。翌年はいよいよ二十一世紀へのカウントダウンということで、幸手市にずっと住む予定で結婚予定のあるカップルを一組公募して、21世紀ハッピーウェディングを行ないみんなで祝福しようという企画をしました。ウエディングドレスを身にまとった花嫁がとても印象的でしたね。お二人は今も幸せに市内に暮らしています。また、幸手オリジナルの商品開発をして夏祭りや市民まつりで販売しようと、桜のアイスクリームその名も『さくら愛ス』を開発しました。幸手駅構内にあります観光物産コーナーも応援団がリフレッシュさせたものです。これからの予定ですが、へそとなる拠点施設や幸手駅のイメージアップを計りたいと考えております。

【高木】お祭りも大好きと伺っておりますが?

趣味は祭り
  伝統文化の醍醐味

【船川】お祭りは趣味ですね。幸手の夏祭りはもちろん、都内のお祭りにも参加してます。お祭りは江戸の中心地から始まって、季節を追うように外側の地域にお祭りの輪が広がって行きます。私が参加しているものはお神輿がほとんどですが、毎年五月頃から祭りの季節が始まります。ちょうど、田植えの時期から収穫の時期までといった感じです。最初は神田明神のお神輿です。そして三社祭り、新宿・深川の富岡八幡、秋に入り世田谷八幡様、十月終わりに三軒茶屋のお神輿で一年が締めくくられます。お祭りはそれぞれに由緒正しい歴史があるのですが、特に歴史がある江戸の三大祭は「神輿深川、山車神田、そして赤坂山王山祭り」と云われております。今年の深川祭りは三年に一度の本祭りです。深川祭りは帯ひとつ締めるのにも決まりがあって、若い人たちがよくやっているタオルを頭に巻くなんてことは認めません。掛け声も、「ワッショイ」のみで「セイヤ、ソイヤ」などの掛け声はご法度です。歴史の重みですね。半纏も役職や役割、町内によってデザインが違います。みんなで大切に継承されている伝統文化なんです。

【高木】更にお祭りと忙しくて大変ですね。

消防の県大会
  夜間訓練真っ最中

【船川】そうなんです。人から頼まれると断れない性格なんですね。なんでも受けてしまい仕事が終わってから出掛ける事ばかりです。また、消防団にも入っていまして、八月二十一日に吹上の消防学校で開催される消防の県大会に向けて毎週月水金の午後七時半から十時過ぎまで夜間訓練を行なっています。五人一組でチームを作るのですが、現在二チームを作って最終的に五人に絞られて大会に参加します。やるからには良い成績を残せるようみんな一生懸命です。でも、商工会やへそづくりの予定が火木土に入ってきますので家族と一緒に夕食をとれない毎日です。先月は二回、今月はまだ一回ですが、幸い自宅とお店が一緒ですから昼間は家族と顔をあわせられるので助かっています。幸手市内は消防の分団が六ヶ所に分かれており、私たちは中一から中五、中川崎、東二から東五の広域なエリアを受け持っています。ですから、仕事中でもそれ以外でも防災無線は聞き逃さないよう耳を立てています。火災は初期消化が大切ですからね。それに最近は大きな火災も発生しておりますので火の元には十分気をつけて欲しいと思います。船川高広さん

【高木】ご苦労様です。消防団の皆様はボランティアですから本当に頭が下がります。ところで、お仕事のお話を聞かせてください。

父の跡を引き継ぎ
   自然に魚屋に

【船川】魚和は父が昭和四十三年三月に始めたものです。私はその年の十二月に生れましたので生まれた時から魚屋でした。ところが、父が四年後に三十一才の若さで他界してしまったのです。四才の私と姉と弟の三人の小さな子を抱え母は大変な苦労をしただろうと思います。そんな母を見て育ちましたので私も小学校の頃からお店を手伝うようになっていました。ですから、高校を出たら魚屋になるのが当たり前という気持ちで、鴻巣の魚屋さんに三年間住み込みで修行しました。しかし、母は魚屋になることに反対でした。でも、父から受け継いだ家業と感じて二十一才の時に魚和に入ったのです。当店は日曜日がお休みですが、父が亡くなった時に母が家族の時間を持つ事が大切なことだと、月曜定休を日曜に代えたのです。今でも母の協力はもとより自分の嫁さんと三人で力を合わせて商売を営んでおります。毎朝五時頃市場に行って仕入れをし、鮮魚と刺身を中心に活きの良さで経営しております。最近はデリバリーなんて言ってますが、当店では昔から「配達して」と言われればいつでもお届けしていますよ。今日も手巻き寿司用のネタを注文頂きこれからお届けするところです。舟盛りからパーティーなどのお刺身など、ご予算とご希望に合わせておつくりいたしますのでお気軽にどうぞ。

【高木】それでは、お友達をご紹介下さい。

【船川】とっても頑張っている八百屋さんをご紹介します。ジョイフルアネックスで営業している鈴木康之さんです。

【高木】ありがとうございました。
(活きの良い魚屋さんで、お話にも切れがありました。女でひとつで築き上げた家業を継承するという優しさと温かさを感じさせてくれる好青年でした。)

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