2002年10月27日



 紅葉シーズンをむかえ、各地の観光地では人出も多くなりにぎやかになっているようです。さて、本日の友達の輪には「五霞町ほたるの会」相談役の増田吉宏さんからご紹介頂きました幸手市の長須房次郎さんにご登場頂きます。長須さんは元県内公立中学校の校長先生ですが、教師の傍らトンボや野草の研究を四十年以上も続けられております。その研究活動が評価され、昨年内閣府により全国から四十三名選考された「エイジレス章」〔エイジレス・ライフ(年齢にとらわれず自らの能力と責任で、自由で生き生きとした生活をおくること)の実践者に贈られる章〕を授与されました。

野草・トンボ研究家
長須 房次郎さん
本誌取材 高木 康夫

【高木】こんにちは。増田さんから植物やトンボの研究者として熱心な方とご紹介頂きました。


【長須(敬称略)】増田さんとは私が鷲宮町の図書館長をしていた時に出会いました。鷲宮町の宝泉寺の池に四葉のクローバーのような漢字の田の字に似ているデンジソウ(田字草)という植物が群生しているのですが、この植物は絶滅危惧種で研究して増やそうという人たちの集まりである「たのじ会」でご一緒させて頂きました。ホタルの研究に熱心な方ですね。

【高木】そうでしたか。ずいぶん長く野草やトンボの研究をされていらっしゃいますね。なにかきっかけがあったのですか?

自分の生きる道は
子どもの心を育てること

【長須】私は戦後まもないころ「自分の生きる道は何か」と自問し、それは「子どもの心を育てること」と教師を志しました。昭和二十五年に理科の教員になったのですが、当時の教え子の九割が農家で、農業は雑草との戦いでした。そこで「この子たちには雑草の生態を教えることが大事」と考え、自分自身も勉強するつもりで一緒に河畔や路傍を探索するのが授業の一環になりました。雑草の生態を知っていく中で、多くの雑草と出会い名前の違いを知って、子どもたちの心が豊かになっていくのです。子どもの心を育てたいと思っていたのでとてもうれしくなりました。残念ながら今の子どもたちは自然とのふれあいが少なくなっておりますが、自然が持っている力は感性の高い子どもたちの心を豊かにしてくれます。当時、私の給料が三千三百三十一円だったのですが、二千円もする学術書を購入し雑草を調べまくったものです。以来、子どもと共に学び続けて、「江戸川上流流域西部の植物」という一冊の本になりました。長須房次郎さん

【高木】なるほど、子どもたちと一緒にはじめられたのですね。トンボもそうですか?

日本トンボ学会
  会長との出会い

長須もう少し研究したいという思いがあったのですが、当時、県外派遣内地留学制度という中学校外で勉強できる制度があり、運良く一年間国立科学博物館で研究出来るチャンスを頂いたのです。国立科学博物館には世界の研究者がたえず往来しており、埼玉の雑草とその周辺で採集したトンボを見てもらおうと持っていったおりに、トンボの世界的権威、日本蜻蛉(トンボ)学会会長の朝比奈正二郎先生に出会ったのです。先生はその中のトンボのひとつに目をやりながら「これは珍しいトンボなんだよ、国内では利根川と信濃川下流流域にしかいないオオセスジイトトンボだよ」そして「埼玉のトンボはまだ解明されていない。どうだやってみないか」と勧められ、トンボの研究にも没頭するようになりました。当時、日本蜻蛉学会が発足したばかりで創立メンバー十人の推薦を頂くためにトンボの論文を書いた記憶が印象に残っております。

【高木】二足のわらじですね。埼玉県が発刊した学術書にも関わっていらっしゃいますね?

埼玉県や幸手市の
     生態系変化

長須埼玉県における野草とトンボの研究を行っておりましたので、埼玉県が発刊した「埼玉県植物誌」では野草部門を「埼玉県動物誌」ではトンボ類を担当しました。「埼玉県植物誌」は十年間の調査をもとに昭和三十七年に一度発刊されましたが、平成十年に「新版埼玉県植物誌」が刊行されました。いずれも調査委員が県内くまなく回り調査研究したもので、四十年ほどの間に県内の生態系変化が著しく感じ取れました。デンジソウのような絶滅危惧種も増えてきておりますし、外来種も繁殖しており、在来種が脅かされている現実もあります。動物誌は昭和四十六年から五十三年の七年間かけて県内各地を調査してまとめたものです。野草もトンボも標本がないと学術的には信頼度がありませんので、植物誌担当では一千以上の押し葉標本を作成し、動物誌の時には数多くのトンボを採取し標本としました。長い間調査研究を行なっていると、絶滅したとされる野草やトンボに出会うことがあります。昨年の六月のことですが加須中川低地で「絶滅種」とされていた「モートンイトトンボ」を四十二年ぶりに鷲宮町で見つけました。この時は身震いするほどの興奮で一番感動しました。長須房次郎さん

【高木】俳句の会も主宰されておりますね。

俳句で養う
   子どもたちの感性

【長須】若草会という俳句の会の会長をしております。ご存知の方も多いと思いますが幸手には中野三允先生(なかのさんいん)という俳人がおりました。現在ある中野薬局さんのおじいちゃんの弟さんにあたる方ですが、正岡子規の弟子ですばらしい俳句を数多く詠まれた方です。昭和三十年に亡くなられたのですが、当会の月刊誌の「若草」という文字は三允先生の書によるものです。本年十月号で四三六号の発刊となりますが、毎月力作が寄せられております。また、子どもたちに俳句を通じて身近な生活や自然を見る目を養ってもらおうと小学生俳句大会も開催しております。本年が第八回目になりますがアスカル幸手にて来月二日に開催されますのでどうぞ多くの方にご覧頂きたいと思います。

【高木】楽しみですね。では、お友達をご紹介下さい。


【長須】小学校からの同級生で無二の親友ですが、「米のあきら」を経営されている斉藤あきらさんをご紹介いたします。経営感覚に優れた人ですよ。

【高木】ありがとうございました。埼玉県における野草とトンボの研究家の第一人者が地元にいるということはとても誇りに感じます。更なるご活躍をお祈りいたします。


(長須さんは幸手市においても市史編集委員として自然環境編パートUや幸手歴史物語「川と道」を担当したり、鷲宮町では広報紙に鷲宮の野草を連載したり、久喜市民大学の講師や久喜市文化財保護審議会委員などを務められ、お忙しい毎日をすごされております。また、新聞各紙面に長須さんの記事やご自身の投稿が掲載されており長須さんのお名前を目にされた方も多いのではないかと思います。)

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