2003年2月23日



 梅の花から桜前線へと季節も移り、益々華やいだ気分になってまいりました。本日の友達の輪には幸手走友会の江森敦夫さんにご紹介いただきました野口元一郎さんにご登場いただきます。野口さんは三十五歳以上の陸上競技選手で構成されている全日本マスターズ陸上競技連合で活躍されている方です。

幸手都市ガス
取締役 野口 元一郎さん
本紙取材木康夫

【高木】こんにちは。江森敦夫さんから陸上競技で凄い方と伺ってまいりました。マスターズという連合があるそうですね。


【野口(敬称略)】はじめまして。よろしくお願いいたします。全日本マスターズ陸上競技連合という団体があります。マスターズは陸上競技を楽しむ三十五才以上の人たちで構成されている連合です。陸上競技を楽しまれている方なら誰でも参加できます。各種目は三十五才から五才刻みの年齢別にわかれており、たとえば三十五才〜三十九才までの男子をM35と表し、それぞれの年齢別クラスで競い合います。M90なんて鉄人のようなクラスの人もおります。野口元一郎さん

【高木】元気な方々ばかりなんですね。いつから参加されているのですか?

生涯現役陸上
  マスターズ

【野口】中学、高校とバスケットボールをやっていたということもあって、スポーツは大好きでした。きっかけは市民体育大会の走り幅跳び種目に選手がいないのでかり出されたことです。当時五十六才でしたが、記録は五メートルを超えて思ったよりは良い結果でした。そこにたまたま埼玉マスターズ陸上競技連盟の大会の結果が載った新聞が目に入ったのです。自分が出した市民体育大会の走り幅跳び記録を見てみると、同世代であるM55クラスでは4m80cmだったのです。これなら、自分でも出られるかなあと思いまして、その後に開催された埼玉マスターズの記録会に初参加しました。平成五年のことでしたが、忘れもしない川口青木町公園で陸上トラックのことをタータンと呼びますが、初めてその上を走りました。とても、感動しましたね。それで、二種目に参加したのですが、走り幅跳びは4m60cm、100m走は14秒2という記録でした。その年に、埼玉マスターズの走り幅跳びと三段跳びに正式にエントリーして大会に出場しました。無名の新人でしたが、走り幅とびで四位入賞し、三段跳びでは二位で銀メダルを受賞しました。この時、手ごたえを感じたのですね。金メダルも夢ではないぞと思い、それから日々の練習に熱が入りました。

【高木】陸上競技を本格的にはじめられたのが五十六才ということですね。混成競技にも挑戦されていらっしゃるそうですね?

六十五才から
   棒高跳びに挑戦

【野口】そうですね。六十四才の時に五種競技に挑戦しました。五種や十種といった競技は、走る、投げる、跳ぶ、の競技を組み合わせたもので、歴史のあるものです。マスターズ陸上の五種は200m走、1500m走、円盤投げ、やり投げ、走り幅跳び、でした。結果は別として、いままでやっていた競技に頭打ち感を覚えていたのでチャレンジしたのです。そして、翌年の六十五才の時にM65の十種競技に挑戦しました。マスターズ陸上十種は100m走、400m走、100mハードル、1500m走、砲丸投げ、円盤投げ、やり投げ、走り幅跳び、走り高跳び、棒高跳びの十種目です。十種競技で初めて棒高跳びに挑戦しました。五種も十種も記録によってポイント換算して、その総合ポイントで競い合うスポーツですが、この時の記録は現在でも歴代四位の成績でした。そのまま続けておりますが2002年の記録は二位でした。

【高木】おもしろいエピソードがあるようですね。

本番で
  初めてバーを!

【野口そうですね。それは始めた当時、棒高跳の練習をするところがないのです。そこで、マスターズに出場している人に棒高跳びの指導をお願いしました。踏みきりまでのタイミングは指導を受けられましたが、バーを跳ぶ練習が出来ないのです。しかたなく、本大会に出場して初めてバーを飛ぶことにしました。大会では実際のバーが目の前にあるのですが、飛んだことがありませんから自分の飛ぶ順番が来るまで、回りの人に飛び方を聞きながらタイミングを計っていました。そして、自分の順番が回ってきたのですが、失うものは何もないという思いで、練習したイメージで思いっきり飛びました。うれしかったですね、初めて本物のバーを越えることが出来ました。その後、バーが上がっていくのですが、不思議なことに私に指導してくれた方が1m90cmで脱落してしまい、私は2m10cmまでクリア出来ました。この記録はM65の埼玉県の記録として現在も残っております。野口元一郎さん

【高木】棒高跳びのデビュー戦が歴代一位ですね。記録更新の期待がかかりますね。

参加するのが夢
  マスターズ世界大会

野口この年になりますと、練習がきついですね。もともと、人間はわがままですから、疲れたり嫌になったりすると「これでいいや」と辞めてしまいます。でも、大会に行くと相手がいますので、頑張る原動力になります。マスターズはアジア大会、世界大会も開催されておりますが、一九九八年に第十回アジア大会が沖縄で開催され、参加しました。M60クラスの300mハードルで銅メダルを頂きました。そして、続けることが健康の秘訣でもあります。記録の向上は日頃のストレス発散となります。二年程前に直径八センチの胃潰瘍を患ったのですが、スポーツで鍛えた体のおかげで、切らずに薬だけで完治いたしました。いつまで出来るかわかりませんが、一度は世界大会に参加したいと思っています。マスターズはすべて自費参加ですから遠征費も貯えませんと。(笑い)

【高木】素敵な趣味ですね。それでは、お友だちをご紹介ください。


【野口】千塚でカブスカウトを永い間指導されている相良文江さんをご紹介いたします。子どもたちと遊ぶのが大好きな方です。きっと、楽しいお話が伺えると思いますよ。

【高木】ありがとうございました。健康第一にマスターズの歴代記録を更新できるよう、ご活躍ください。


(野口さんは幸手都市ガスの取締役としてもご活躍ですが、日頃のお仕事が評価され、昨年十一月には経済産業大臣保安功労者賞を受賞されました。益々のご活躍ご期待いたします。)

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