各地で桜の花が開きはじめ、すっかり春気分です。桜の名所として年々観光客も増えている幸手の権現堂もまもなくみごとな花を見せてくれるでしょう。さて、本日の友達の話にはボーイスカウト幸手第一団の指導者である相良フミエさんにご紹介いただきました鞄c川木工顧問である田川英治さんにご登場いただきます。
鞄c川木工
顧問 田川英治さん
本紙取材
木康夫
【高木】こんにちは。相良さんから福祉に貢献されている方と伺いました。本日はよろしくお願いいたします。
【田川(敬称略)】はじめまして。貢献と言うほどではありません。私は相良さんと同じ千塚に住んでおりまして、以前千塚で区長をやっていたとき、たまたま、幸手市で社会福祉協議会が立ち上がる時期に重なったのです。そこで、地域で役に立てないだろうかと考えて社会福祉協議会に積極的に加入していただけるよう働きかけました。その当時、二四五世帯ほど居住されている方がいらしたのですが、二百世帯以上の皆様に社会福祉協議会の会員になっていただきました。以来、毎年この地区では九十%以上の方々に加入していただいております。たくさんの方々に福祉に関心を持っていただくには社会福祉協議会に入会していただくことはとても意義あることだと思っております。
【高木】田川さんは家具製造業ですよね?
【田川】私は福井県で生まれ20歳まで大工の見習をやっておりましたが、上京して荒川区で五年間家具作りを勉強しました。昭和三十四年の二十八才のとき西新井に住居と家具工場を兼ねた一軒家を建てて、一人で家具作りを始めました。主に整理ダンス、洋服ダンスを製作しておりました。十五坪の工場でしたから、スペースがないもので一週間で五本製作するのが精一杯でした。しかし、当時は物不足の時代でしたから作ったものはすべて売れました。一人で四年間やっておりましたが、不思議なくらい売れる時代でしたので弟を呼んだり、人を雇ったりして業績を伸ばすことが出来ました。しかし、木工は木片やカンナくずが出るのです。それをドラム缶で燃やしていたのですが、近所から苦情が寄せられました。しかたなく、昭和42年に西新井をやめ親戚が幸手で工場を持っていたものですからそこに勤め、昭和47年春、柳原家具工業株式会社という会社を共同で興しました。私は西新井からトラックで通い、帰りには出来上がった家具を積んで帰る毎日でした。需要もあり順調に進んでおりましたが昭和四十七年十二月に火災で全焼してしまいすべてを失ったのです。
【高木】全焼ですか?
【田川】そうです、途方にくれましたね。投資した設備も工場もすべて焼き尽くされてしまいましたので気力さえも失いました。しかし、何かをしなければという思いもあり、ゼロから出直しですが、運送会社に勤めて運転手をやることも考えました。そんな時、取引先の材料屋さんが「技術もあるし二人仲良くやっているのだから、資本も支援してあげるからもう一度家具製造を興したら」と声をかけてくれたのです。とてもうれしかったですね。早速、上高野にある倉庫を借りて機械も導入し、全焼からわずか三ヶ月で、再スタートが出来ました。それから、無我夢中で仕事に取り組みました。五年後でしたが外国府間の現在の場所に土地を購入して、翌年、親戚が解体業をやっている関係で入間で300坪の大きな倉庫を壊すと言う話を聞きつけ、その倉庫の150坪分の鉄骨と屋根を格安で移築して工場を作りました。タイミングも良かったですね。以来、現在の場所で工場を稼動させております。
【高木】ご兄弟は仲が良いのですね。時代と共に売れる商品も変化していますか?
【田川】当社の社長は現在弟がやっております。私は七年前の六十五歳で定年をきめて、弟にバトンタッチしました。現在は、顧問という立場で工場におります。当社にはショールームがあるのですが、昔のように婚礼三点セットなどという家具はまったく売れません。当社のショールームで昨年一年間で三点セットを購入された方は一人か二人だと思いますよ。当社でも以前は三点セットを生産しておりましたが、需要のピーク時は一日に三十本作っておりましたから、現在と比べるとその比はすごいものです。既製品の時代は終わってしまったということですね。当社でも三点セットなどのような既製品製造から、マンションや住宅の取り付け家具に代表されるようなオーダー家具に転換してまいりましたので、現在も続けていられるものと思っております。私は木製品を作るのが好きで五十年間飽きずに続けてきました。これからの快適な住まいは、空間(すきま)家具を如何に活用するかであると思います。一度当社のショールームにお越しください。
【高木】企業として歩む道をしっかり見極めないといけないものですね。趣味などは!
【田川】趣味はさつきです。さつき愛好者は全国組織で(社)日本さつき協会というものがあり、全国には四千人くらいの会員がおります。私はその幸手支部の支部長を務めております。ピーク時には四十名ほどいました会員も高齢化が進み、現在、十八名ほどで楽しんでおります。鉢植えが基本ですが、花の部門と銘木の部門とに分かれております。さつきは五月の終わりから六月の初めにかけて咲きますが、毎年五十鉢位が出揃い展示会を行っております。今年も五月二十三日〜二十五日まで中央公民館一階のホールにて行います。今後もさつきで知り合った仲間、友達との出会いを大切に、花を愛し友達の輪を広げていきたいと思います。
【高木】では、お友だちをご紹介ください。
【田川】(社)日本さつき協会の理事を務めている中村正之さんをご紹介いたします。中村さんは五霞町にお住まいで私のさつきの師匠です。
【高木】ありがとうございました。
(田川さんはとても穏やかな方で、仕事一筋にやってこられた印象を受けました。取材が終わり、工場を見学させて頂きましたが、その際、田川さんが余った木片を加工して、塗装し作られた趣のある鉢台を頂いてしまいました。木のぬくもりが優しい製品でした。ますますのご発展を祈念いたします)