じめじめした天気が続きますがいかがお過ごしでしょうか。幸手の新名所、権現堂のあじさいも梅雨を待ち望んだように咲き誇り暑い夏を迎える前夜祭のようです。さて、本日の友達の輪には泣Aルファ代表取締役の鳥海孝雄さんよりご紹介いただきました濱田清美さんにご登場いただきます。濱田さんは本年三月までの一年間ミスさくらを務められました。
第十九代前年度
ミスさくら 濱田 清美さん
本紙取材
木康夫
【高木】こんにちは。「若い方へバトンタッチしたい」と鳥海さんからご紹介いただきました。三月までミスさくらを務められたそうですね。ミスさくらに応募されたきっかけは何ですか?また、当日のコンテストはどうでしたか?
【濱田(敬称略)】はじめまして。よろしくお願いいたします。鳥海さんは叔父さんにあたります。知人からミスさくらコンテストのお話を紹介され、それで、母に相談したら「思い出になるので挑戦してみたら」と薦められたのがそもそものきっかけです。好奇心が旺盛なのでしょうか?昔から何でも挑戦しようという気持ちが強いので、抵抗もなく応募したのです。コンテストの当日は不思議なくらい全く緊張しませんでした。リラックスしすぎかなと思うほど、普段の自分が表現できたと思いました。その結果がミスさくらの栄誉となりました。
【高木】ミスさくらとしてのお仕事はいかがでしたか?お忙しかったのでは?
【濱田】毎月二回ほどミスさくらとしてのお仕事がありました。当時は旅行会社に勤務しておりましたので、前もって日程がわかりましたのでお休みを調整してミスさくらの公職に臨みました。いろいろな経験をさせていただきました。今になっては貴重な体験でした。夏祭りには仮設ステージで司会のアシスタントもさせていただきました。NACK5の方と一緒に務めたのですが、普段では経験できないことですね。とても、楽しかった思い出です。また、権現堂の桜のPRには大宮駅で開催された「さいたま物産展」に合わせて駅のコンコースを利用する方々にPRパンフレットを配布しました。はじめは権現堂のPRになっているのだろうか不安でしたが、ミスさくらのユニフォームで行き交う人たちに声を掛けると、あたたかく受け取ってくださいました。これも、貴重な体験でした。ミスさくらコンテストも二十年という長い歴史がありますが、こんな体験をさせてくれる機会は本当にありませんから、たくさんの人たちに経験して欲しいと思います。それに、いろいろな人たちに出会って、自分自身も成長できたと思います。ミスさくらは出会いと体験の玉手箱ですね。今は感謝でいっぱいです。
【高木】旅行会社にお勤めだったのですね。
【濱田】旅行が大好きで、旅行会社に就職したくて、観光学科がある東洋短大に進学したほどです。(現在は東洋大学に統一されて観光学科はないそうです)旅行好きのきっかけは、幸手市の国際交流事業として、ドイツのフングシュタット市と国際交流が行われているのですが、ラッキーなことに高校一年生のときに応募しましたら選考されて、ドイツにホームステイで二週間滞在したことがあるのです。普通の家庭で家族のように生活しましたが、国民性の違いや文化の違いをたくさん体験しました。ホームスティ先に同じ年頃の女の子がいたのですが、私達よりもずっと大人で、自分の将来のことも考えていました。街の環境もきれいで、ごみひとつも落ちていないのです。それに、驚いたのは自動販売機が一台もないことです。その当時から環境先進国としてドイツはいろいろな取り組みをしていたのだろうなと感じます。たった二週間でしたが帰国前にはホームスティ先の家族と分かれるのが辛くて、涙が止まりませんでした。テレビでウルルン滞在記という番組がありますが気持ちが良くわかりますね。以来、オーストラリアやマレーシア、ハワイ、グアム、サイパンなど海外に出かけることが多くなりました。
【高木】日本文化も伝える民間交流ですね。お仕事も新しいものに挑戦されているそうですね。
【濱田】俳優の石坂浩二さんが学院長を務める「浅草観光振袖学院」というのがあるのです。ここは、浅草を盛り上げようと日本の伝統文化である振袖と日本髪でお客様をもてなす「振袖さん」という舞妓さんの浅草版のような人を派遣するところです。「振袖さん」は礼儀作法に着付けはもちろん、日本舞踊、新舞踊、お茶をマスターしなければならず、更に年齢制限があって二十五才で定年退職ときめられています。しかも、最低三年の勤務が条件という厳しいものです。毎年、募集されているのですが、年齢と最低三年間の条件がクリアできるので、旅行会社の人から応募してみたらと薦められたのです。いろいろな人に国際的にも出会えることや人と話すことが好きな性格でしたので、自分にとってはラストチャンスと考え、母に相談したところ応援してくれるというので応募したのです。運良く合格して、三ヶ月の研修期間が終わりまもなくデビューするのですが、この間、お辞儀の仕方から始まって、姿勢や歩き方、振る舞いなど日本の伝統文化のひとつを学んだ気がしました。仕事の内容は料亭で踊りを披露したりお客様とお話をしたり、三社祭りでは浅草寺の舞台で踊ったりします。お客様には外国の方や会社の経営者など、接待の場が多いですね。父もそうでしたが「振袖さん」というイメージがつかめないようで、私は祇園の舞妓さんのように浅草の「振袖さん」をもっと認識させたいと思っています。
【高木】夢のある素敵なお仕事ですね。ぜひ、定年まで頑張ってください。それではお友だちをご紹介いただけますか?
【濱田】ドイツにホームスティしたときに一緒でした内田千絵さんをご紹介します。現在アメリカに留学されておりますが、夏には幸手に帰って来るそうですが間に合いますか?
【高木】次回の発行は七月十三日ですが、せっかくのご紹介ですから、それでは、電話とメールで取材してみたいと思います。私も新しい挑戦ですね。(笑)本日はありがとうございました。これからも「振袖さん」として和の美しさを広めて下さい。ご活躍をお祈りします。
(濱田さんの信念は、接する人を自分より一段上において考えることだそうで、いくつになっても感じる心を常に持っていたいとおっしゃる相手を尊重できる素敵な方でした。)